本日のメイン記事

大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内河南町】神山にある古代の書物にも名前が残っている鴨習太神社の歴史や由来とは

神社の創建は不明ですが、古代の書物で927(延長5)年に「撰上(せんじょう:編纂した書物を天皇に献上)された延喜式神名帳に「河内国石川郡 鴨習太神社」との記載があり、他の石川郡式内社九座(神社)に記されていることから、西暦900年代にはすでに存在している由緒ある神社です。
河内長野の行事・イベント

【河内長野市】奥河内冬の風物詩!天野酒酒蔵見学会。お土産付き1月31日から3月7日まで毎週土曜日開催

酒を醸造している時期に酒蔵を見学できる酒蔵見学会がいちばんの見どころではないでしょうか?天野酒さんの公式ページによれば、今年は1月31日(土)から、2月7日(土)・2月14日(土)・2月21日(土)・2月28日(土)・3月7日(土)まで毎週土曜日開催し、各日 (1)13:30 (2)15:30 所要時間:60分程度。料金は1500円(土産付き)で、予約を受け付けています。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡太子町】二上山雄岳山頂より一段低いところに鎮座。奈良県との境周辺に大津皇子の墓があります

大津皇子の墓を紹介しました。二上山山頂ではなく少し低いところに墓があるのは、かつて二上山が二神山と呼んで神聖化していたので、少し遠慮した場所に埋葬されたのかもしれません。
河内長野のおでかけ・散歩記事

【河内長野市】驚きます!本当に水が無い滝畑ダム。さらに赤い川が流れ、水没前の村の跡が現れています

実際に取水制限なども行われておりとても気になりますが、滝畑ダム取水制限のページ(外部リンク)では次のように書いてありました。今回の取水制限を実施しても、他の水源を活用することにより給水制限等はなく市民生活への影響はありません。現時点(2026年1月26日6:00現在)では影響がないということで、一安心でした。
インタビュー記事

【南河内郡千早赤阪村】こごせっ子は土が付いているから価値がある!芋を大阪唯一の村名物に奮闘が始まった

福芋こごせっ子はWithこごせコンソーシアムが村の農家さんと企画しているもので、栗かぐやという品種の芋を昨年実験的に作付けを行なった結果、味も好評だったので、今年の春から本格的に栽培を始めようというものです。
その他

【河内長野市】これが市役所?1階に人工の森の休憩所を設置、窓口の雰囲気も変化。市役所窓口改革が進行中

「これが市役所?」画像だけだと、どこかのショッピングセンターに設置された休憩スぺ-スのようにしか見えませんが、これは河内長野市役所の1階ロビーです。雰囲気がずいぶん変わりましたね。このプチリニューアルは、1月の成人式がらみの連休(10日~12日)の間に行われたといいますから驚きました。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【大阪狭山市】山本自治会館の隣にある大平大明神。江戸時代に開拓した新田の地に鎮座する神と由来とは

西高野街道の山本新田だったあたりに残っている大平大明神という名前の小さな社に立ち寄ってみました。ちなみに山本の地車小屋から西高野街道を北に向かって歩いています。
その他

【河内長野市】若者ミライプロジェクトとは?河内長野駅前広場で開催する蚤の市出店者を25日まで募集中!

25日日曜日まで出店者を募集しています。集客力をもつ強い店がいくつも出店して、駅前が盛り上がったら良いですね。河内長野の若者を中心としたミライプロジェクトは、まだまだ始まって開催に向けて準備中ですが、今回の蚤の市とデジタルスタンプラリーの企画が実施され、それが大いに盛り上がったら、来年度以降さらに発展していくであろうと予想されます。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡太子町】古くて新しい緑の一里塚は、日本最古の国道竹内街道の休憩所を整備。太子町にあるものは

一里塚は、かつて街道を旅する人々にとって里(り:約4km)ごとの目印です。竹内街道に限らず、西高野街道にもあります。昔の人は一里塚の上に生い茂る木に立ち寄ってつくられた木陰が休憩所の役目を果たしていたそうです。
河内長野の行事・イベント

【河内長野市】ヘルメット姿の人もいるガチ餅撒き!恒例の初不動光瀧寺餅まきが今年も25日に行われます

12月から1月にかけて各地で餅まきがが行われますが、その中でも有名なのが滝畑にある光滝寺初不動大餅まき大会ではないでしょうか?滝畑湖畔観光農林組合によれば、今年も例年通り開催が決まり、2026年1月25日(日)午後1時~ 光滝寺境内で行われ、参加を呼び掛けています。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡河南町】昔の字(あざ)名を冠した南北朝時代作と伝わる石像が鎮座する神山の馬場地蔵

「字(あざ)」である神山の中心部に古くからご利益があると知られた「馬場地蔵」、そして隣に鎮座し、交通安全を願って新たに安置された千手観音菩薩は、今日も地域の人々を見守っています。
富田林のおでかけ・散歩記事

【河内長野市】え、こんなところが市の境?末広町と富田林嬉との間の境目の先にあった意外なものとは

ということで、末広町と嬉の市境の様子を確認しました。ふたつの間には現在は暗渠となっている小さな水の流れがあり、そこを昔の村境としたものが今に続いていると考えられます。
大阪狭山、南河内郡のおでかけ・散歩記事

【南河内郡千早赤阪村】大阪唯一の村の冬の風物詩。奉献塔の下、スイセンの丘で約5万本が咲き始めています

千早赤阪村のスイセンをおさらいすると、元から自生していたものではなく、1999(平成11)年に千早赤阪楠公史跡保存会が植栽をしたそうです。目的は景観の向上でした。
大阪狭山、南河内郡のおでかけ・散歩記事

【大阪狭山市】西除川に架かる橋はいくつ?狭山池の南、亀の甲から西除川遊歩道を市境まで歩いてみました

ということで西除川を狭山池の亀の甲から市境草沢交差点まで歩いてみました。ちなみに狭山池亀の甲から市境の草沢まで、西除川に架かる橋がいくつあるか調べると、以下の橋がかかっていました。
河内長野の行事・イベント

【河内長野市】楠公さん大河ドラマ化の布石?NHK歴史探偵ファンミをラブリーホールで2月28日に無料開催

河内長野市の報道資料によると、2月28日に土曜日に「歴史探偵」ファンミーティング~風雲!河内の名将 楠木正成〜をラブリーホール小ホールで開催することが発表されました。
インタビュー記事

【千早赤阪村】日本一かわいい道の駅を作った若者移住の先駆者らてさん。40歳代で大阪唯一の村にて再出発

らてさんはこの話に応じる形で、まだスペイン滞在中ではありましたが、2025年9月20日から間借り雑貨店「旅する雑貨店らっちゃこ」をオープンさせます。そしてらてさんが帰国したのが11月、およそ3年ぶりに村に戻ってきたのです。
河内長野の歴史

【河内長野市】三日市町の由来、その前の名は?秋祭りに江戸天明期の提灯を掲げる庄屋の末裔は地域の語り部

【河内長野市】三日市町の由来、その前の名は?秋祭りに江戸天明期の提灯を掲げる庄屋の末裔は地域の語り部
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡河南町】河南町で盲腸の形をした「青崩」とは何と読む?青崩地区の歴史を考えて歩いてみました

河南町の輪郭だけを取り出した白地図ですが、気になっているところを青で囲みました。南東部を見るとまるで盲腸のように細い場所があります。盲腸のように細長い場所の周りは千早赤阪村です。しかし、なぜかこの細い部分だけが河南町になっていて、そこは青崩地区と呼ばれています。青崩は「あおげ」と呼ぶそうで、河南町上河内という大字の中にある地区(字)です。河南町の前は旧河内村、その前は旧上河内村に属していました。
河内長野の歴史

【河内長野市】天見の奥にある唯一無二の神事・流谷八幡神社の勧請縄かけの縄が今年も無事にかけられました

ということで流谷の八幡神社の勧請縄かけを中心に、流谷にある蝋梅(ろうばい)の郷の昨日の蝋梅の咲いている様子、最近境内に白い玉砂利が敷かれた蟹井神社の様子を紹介しました。
富田林の歴史

【南河内郡太子町】聖徳太子と政治を執り行った日本初の女帝・推古天皇陵と竹田皇子の墓、山田高塚古墳

太子町にある聖徳太子廟、小野妹子の墓、歴代天皇陵(用明天皇、敏達天皇、孝徳天皇)を回りましたが、もうひとつ大切な天皇陵があります。それは推古天皇陵、聖徳太子と政治を執り行った日本初の女帝の陵墓です。