大阪狭山と南河内郡の歴史

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【南河内郡河南町】ぷくぷくドームの「ぷくぷく」って何?すぐそばにある、知る人ぞ知る神社跡にあるものとは

“探す”から“届く”へ 開かなくても、ちゃんと毎日届く安心感。気づけば届いている、あなた専用の情報便、the Letter河南町には「ぷくぷくドーム」があります。河南町の大きなイベントはここでよく行われていますね。しかし、ぷくぷくドームの「...
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【南河内郡千早赤阪村】秋祭りの宮入の賑わいの中に隠れるように存在。パワースポット御旅所古墳と御旅所北古墳

世界遺産である百舌鳥古市古墳群には、堺市と羽曳野市、藤井寺市を中心に多数の古墳があり、その一部が周辺の富田林市や河南町にまで広がっています。さすがに大阪唯一の村「千早赤阪村」まで来ると、古墳の数は激減するようです。「PR」「PR」(画像左の...
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【南河内郡千早赤阪村】なんと二千年以上前の創建伝承!唯一無二の本殿の建水分神社は正成や秀吉との関係も(2025年4月23日アーカイブ)

※アーカイブ記事なので情報は掲載当時のものです千早赤阪村は山深いところにあり、スピリチャルな雰囲気が漂うパワースポットが点在しているように感じます。例えば地元では「すいぶん神社」と呼ばれている建水分神社(たけみくまりじんじゃ)もそのひとつで...
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【南河内郡河南町】ようやく行けたパワースポット!珍しいニギハヤヒを祀り境内に48の磐船。磐船大神社

私が担当した地域の中でも昨年の4月から1年間だけでしたが、南河内郡は「市」とは違う不思議な魅力を感じました。公共交通派にとっては行くのが少し大変ですが、むしろそれに楽しさを感じてしまうほどでした。南河内郡は明治29年に発足しました。その前の...
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【大阪狭山市】2026桜まつりがスタート!狭山池のほとり、さやか公園と前身のさやま遊園の歴史を考えた

トップの画像は昨年の狭山池の桜。私が大阪狭山市の担当になった直後の2025年4月1日に撮影したものです。大阪管区気象台は、26日に大阪市で桜(ソメイヨシノ)が開花したと発表。平年より1日早いとのこと。「PR」「PR」今年は「早すぎず」「遅す...
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【南河内郡河南町】河内にわか公演が決定!大ヶ塚寺内町のふもとで静かに称える天誅組長野一郎の碑を訪れる

南河内の歴史上の人物といえば、一般的には楠木正成をはじめとする楠木氏や南朝に関係する人たちを連想するかも知れません。しかし、幕末の天誅組(天忠組)のことを忘れてはいけません。【ふるさと納税】サッカー まちづくり 支援 河内長野 大阪 スペラ...
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【河内長野市・河南町】3月29日に開催する関西城郭サミットでも紹介された水越峠を見張った上河内城跡

次回行われる関西城郭サミットは、2026in烏帽子形城ということで、3月29日に河内長野市の天野山金剛寺で行われます。テーマは「中世の戦いと甲冑・弓」で、13:00~16:30(開場受付12:30)の予定。会場は天野山金剛寺です
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【南河内郡千早赤阪村】2月28日に文化協会によるスプリングマーケットがいきいきサロンくすのきで開催

道の駅ちはやあかさかやくすのきホール、郷土資料館に隣接したところにあるいきいきサロンくすのきで、2月28日に文化協会会員の作品がお手元に見られるスプリングマーケットが開催されます。時間は10:00から15:00までです。
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【南河内郡太子町】奈良県境・二上山雄岳にも日本遺産があります。葛城修験第二十六経塚二上山 陀羅尼品

南河内郡太子町といえば、聖徳太子御廟を始めとする複数の天皇・皇族陵や日本最古の国道(官道)とされる竹内街道を連想するかもしれません。しかし、もうひとつ忘れていけないのは、奈良県葛城市との境付近にある日本遺産の葛城修験です。
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【南河内郡千早赤阪村】大阪唯一の村の玄関。古い建物が残る森屋のまちなみを歩きながら歴史に思いを馳せる

村役場や道の駅がある地域は河南町や富田林から入るルートからが近いので、千早赤阪村の玄関と言えそうです。その場所にあるのが森屋です。
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【南河内郡千早赤阪村】泉北と繋がる府道は大阪唯一の村にある寺院前が起点。そこに昭和の工事に関する碑が

西楽寺の道路を挟んだ反対側に、大きな石碑があります。西楽寺の歴代院主のひとりが昭和時代の道路工事に深くかわかっていたという証となる石碑です。紀功碑のおかげで、そんな歴史が森屋や富田林佐備にあったことを知ることができました。
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【南河内郡河南町】地区名は中だけどバス停名は「中村」。旧中村の中心、中地区に残る中村神社跡と村の足跡(2月7日分・メイン記事)

河南町中(中地区)は(旧中村)です。本来なら中バス停が正しい気がしますが、中村バス停になっています。そして旧中村の中心には中村神社跡があり、そこは広場になっていて地車小屋などがあります。
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【南河内郡太子町】飛鳥川に架かる日本最初の官道、竹内街道。飛鳥川に架かる六枚橋の名前の由来とは?(メイン記事)

六枚橋と新六枚橋を取り上げました。何気ない交差点やバス停の名前から、実際の橋を確認し、さらに由来までチェックすると、竹内街道の散策により深みが増すと思いました。
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【南河内河南町】神山にある古代の書物にも名前が残っている鴨習太神社の歴史や由来とは

神社の創建は不明ですが、古代の書物で927(延長5)年に「撰上(せんじょう:編纂した書物を天皇に献上)された延喜式神名帳に「河内国石川郡 鴨習太神社」との記載があり、他の石川郡式内社九座(神社)に記されていることから、西暦900年代にはすでに存在している由緒ある神社です。
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【南河内郡太子町】二上山雄岳山頂より一段低いところに鎮座。奈良県との境周辺に大津皇子の墓があります

大津皇子の墓を紹介しました。二上山山頂ではなく少し低いところに墓があるのは、かつて二上山が二神山と呼んで神聖化していたので、少し遠慮した場所に埋葬されたのかもしれません。
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【大阪狭山市】山本自治会館の隣にある大平大明神。江戸時代に開拓した新田の地に鎮座する神と由来とは

西高野街道の山本新田だったあたりに残っている大平大明神という名前の小さな社に立ち寄ってみました。ちなみに山本の地車小屋から西高野街道を北に向かって歩いています。
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【南河内郡太子町】古くて新しい緑の一里塚は、日本最古の国道竹内街道の休憩所を整備。太子町にあるものは

一里塚は、かつて街道を旅する人々にとって里(り:約4km)ごとの目印です。竹内街道に限らず、西高野街道にもあります。昔の人は一里塚の上に生い茂る木に立ち寄ってつくられた木陰が休憩所の役目を果たしていたそうです。
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【南河内郡河南町】昔の字(あざ)名を冠した南北朝時代作と伝わる石像が鎮座する神山の馬場地蔵

「字(あざ)」である神山の中心部に古くからご利益があると知られた「馬場地蔵」、そして隣に鎮座し、交通安全を願って新たに安置された千手観音菩薩は、今日も地域の人々を見守っています。
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【南河内郡河南町】河南町で盲腸の形をした「青崩」とは何と読む?青崩地区の歴史を考えて歩いてみました

河南町の輪郭だけを取り出した白地図ですが、気になっているところを青で囲みました。南東部を見るとまるで盲腸のように細い場所があります。盲腸のように細長い場所の周りは千早赤阪村です。しかし、なぜかこの細い部分だけが河南町になっていて、そこは青崩地区と呼ばれています。青崩は「あおげ」と呼ぶそうで、河南町上河内という大字の中にある地区(字)です。河南町の前は旧河内村、その前は旧上河内村に属していました。
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【大阪狭山市】なぜ?池之原会館のすぐ近くには旧丈六村(堺市東区)の飛び地が。その理由を探ってみた

大阪狭山市から最も近い百貨店をみると、泉ヶ丘駅にある泉北高島屋になりますが、つい最近まで乗り換えなしの堺東駅に直結していた堺タカシマヤがありました。御存じのように堺タカシマヤは1月7日をもって残念ながら閉店となりました。とはいえ、泉ヶ丘にも...