【南河内郡千早赤阪村】大阪唯一の村で育ったことに自信を抱く教育を!大門教育長の目指すもの

インタビュー記事

大阪唯一の村「千早赤阪村」の教育に関して、2025年度に新しい動きがありました。それは「とんこう」こと大阪府立富田林中学校・高等学校で、中学校校長兼高等学校の准校長でもあった大門和喜氏が、令和7年度から千早赤阪村教育委員会教育長に就任されたことです。



「PR」


「PR」

(画像提供:大門教育長 令和七年度のテーマ)

大門教育長は、村内にコミュニティスクール創設を目指すなど、次々と新しい試みを行っています。



「PR」


「PR」

(2月10日に行われた村の教職員向け研修会で挨拶をする大門教育長)

そこで今回、大門教育長の人となりをお伺いするため取材を申し込み、独占インタビューを敢行しました。

「PR」

(画像提供:大門教育長)

最初に大門教育長の肩書を紹介すると、千早赤阪村教育長の他にも文部科学省CSマイスターで、大阪教育大学男子バレーボール部監督でもあります。

CSマイスターについては河内長野市の大谷裕美子さんも就任されていますが、大谷さんの時にも紹介した通り、全国に2025(令和7)年度は全国で30名(外部リンク)だけです。それとは別に5名が名誉マイスターという、全国でもとても少ない人数の肩書きで、大阪府では、大谷さんと大門教育長だけしかいません。



「PR」


「PR」

(画像提供:大門教育長)

そして大阪教育大学で、現在も男子バレーボール部監督です。2016(平成28)年から現在に至るまで就任しているとのこと。その背景は、画像のカッコ内にあるように、大門教育長が大阪教育大学の卒業生ということが挙げられます。今回はその前、子どもの頃のお話からインタビューさせていただきました。

「PR」

バレーボールがしたいから教職員になった

大門教育長は、村の北にある河南町の中出身です。カットショップナカにも先代の店主さんの頃に通っていたそうです。そしてバレーボールは中学生のころから始めて、そのまま高校、大学とバレーボールで汗を流したという青少年時代。そして大阪で3位になるような強いチームに属していたこともありました。



「PR」


「PR」

(画像提供:大門教育長)

そして大学を卒業することになった時、大門教育長は教職員への道を志します。動機は意外なものでした。それはずっとバレーボールの監督をして指導していきたいという考えがあったからです。しかしながら大門教育長の親族に学校の教職員はおらず、当初周りからは「世間知らずになる」と言われるなど、決してその進路を歓迎されてはいませんでした。

「PR」

ちょうど大学を卒業するころの中学校といえば、校内暴力の嵐が吹き荒れていたころです。大門教育長は「校内で暴力をふるうほど、子どもたちはエネルギーがたまっている。だったらバレーなどのスポーツに気持ちを向かわせて、そのエネルギーを発散させよう」と考え、周囲の反対を押し切り、教職への道に入りました。1987(昭和62)年のことです。そして昭和から平成にかけて、大阪府の公立中学校で教職員をしながら、男子バレーボール部の顧問として生徒たちにバレーボールの指導をしてきました。



「PR」


「PR」

(画像提供:大門教育長)

当時の話ということなのですが、高校の場合はすでに能力が選別された後で、バレーの強豪校がある程度決まっているのに対し、中学校の場合はまだそこまで選別されていなくて、頑張り次第で上位に食い込める可能性があったといいます。

(画像提供:大門教育長)

大門教育長が中学校に勤務したのは22年間、その間に千早赤阪村の中学校にも10年いました。当時は村の生徒たちの保護者の理解もあって、思いきり指導できたそうです。例えば朝5時から起きて、早朝練習に来るバレー部員のために朝ご飯を作るなども。そしてバレーの練習だけでなく、勉強もしっかりとできる環境を整えました。



「PR」


「PR」

保護者や地域と子どもを育てる観点では一致したこともあり、少しやんちゃな子の対応もやりやすかったとのこと。「現在問われている先生と地域の連携、働き方改革を先取りで行ったかもしれない」と、大門教育長は当時を振り返ります。

 

 

「PR」

(画像提供:大門教育長 2006年)

千早赤阪村の次は、太子町に転勤。そこでは大阪でチームを優勝させるなどの成果があったとのこと。そして2007(平成19)年から2008(平成20)年にかけてはJOCジュニアオリンピック全国都道府県対抗大阪選抜監督にも就任しています。

教職員から教育委員会の主任指導主事へ

大門教育長に転機が訪れたのは、JOCジュニアオリンピック全国都道府県対抗大阪選抜監督の翌年、2009(平成21)年からです。この年から、現場の教職員を卒業し、大阪府太子町教育委員会の課長に就任しました。



「PR」


「PR」

それまでの7年間は太子町の中学校教師をしていたため、そのまま太子町の教育委員会の課長として6年間務めます。バレーボールの顧問を行っている教職員が教育委員会の課長という道を歩むのは珍しいそうですが、「バレーボール一筋の自分でもできるということをみんなに見せたい」と、あえて仕事を引き受けました。

「PR」

太子町教育委員会の課長としての間、英語検定の導入や弁護士を配置して学校に何かあった時のための防衛体制をも構築。当時としてはかなり早い取り組みでした。そして太子町にいる時に、従来の学校と地域との間にあった壁をつぶして一体化。社会協働による教育改革「コミュニティスクール」の必要性が、実践したその時に見えてきたといいます。

そして2015(平成27)年から大阪府教育庁に入り、地域教育振興課(社会教育主管課)の主任指導主事となります。ここでは今までにない環境であったために少し大変だったそうですが、同僚が良かったので救われたといいます。この時も地域との連携を模索していましたが、当時は2001年に発生した池田小学校の事件のことがまだ尾を引いていたこともあって、学校を地域に向けてオープンにすることに反対という立場の意見が多かったそうです。



「PR」


「PR」

大阪府立初の中高一貫校「富田林中学校・高等学校」創設に関わる

2016(平成28)年に大阪府教育庁高校再編整備課主任指導主事となった大門教育長。ここで、中高一貫校として富田林中学校・高等学校創立に向けた動きが始まりました。
主に地域と連携し、社会に開かれた教育を行ったり、地域住民が利用できる機能を備えた学校(コミュニティハイスクール)として、富田林高校を再編することになります。

「PR」

「従来とは違うことをやる。教師など学校関係者が世間知らずではよくない。地域を知る必要がある」との思いから準備を進め、翌2017(平成29)年に大阪府立学校では初の中高一貫教育校として富田林高校に富田林中学校を併設しました。

そして大門教育長は中学校の校長兼高校の准校長となり、2024(令和6)年度まで就任します。改めて富田林中学校・高等学校のコミュニティスクールの在り方について確認すると以下の3つの機能を有します。

①学校運営に関する基本方針の承認(育てたい生徒像、めざす学校像等に関する学校運営のビジョンの共有、学校と運営協議会が互いに当事者意識を持って協働へとつないていく)
②学校運営に関する意見(合議体としての意見を述べることで、広く社会の意見を反映させる)
③教職員の任用に関する意見(基本方針を実現するための教職員配置の観点から意見を述べる)

これは「地方教育行政の組織及び運営に関する法律第 47 条の6」に基づいて決められたものです。



「PR」


「PR」

大門教育長は、「生徒が好きを選ぶ」、それに対して「教職員は生徒がやりたいことを指導する」と言う流れを考えています。ここでその具体的な例をあげてくださいました。

「海外の生徒が学校に来て、そこで友達となったとします。今は、お互いが遠くに離れていてもネットでのやり取りが可能ですね。しかし相手とコミュニケーションを行う際に、仲良くなればなるほど、どうしても英語が必要と感じるようになる。そうすれば自主的に英語の勉強をするのではないかと考えられます。そういう視点で教育を行う。そして学校だけの判断ではなく、地域の意見を伺いながら教育の在り方を進めます」とのこと。

「PR」

かつて私は富田林中学校・高等学校について何度か取材をしたことがあります。地域フォーラムで見た探究学習での学びの高さやリアビズ(高校生模擬起業グランプリ)で常に全国でトップ争いを演じる実力校としての顔。さらに大阪府教育長を目の前にもの落ちせず自らの提案を堂々とプレゼンする生徒の能力の高さなど、富田林中学校・高等学校のレベルがとにかく高いことに、いつも息をのむ思いでした。



「PR」


「PR」

しかし大門教育長に言わせると、富田林高校も元々はあんな感じはなかったそうで、昔は一方向のインプットの詰め込み教育だけで、点数で評価を決めていたとのこと。そのため校長時代に、欧米人の様に自分で考え意見を言えるような学習を行うように変えていったそうです。

「PR」

つまり、生徒が自分の意見が言える雰囲気、アウトプットができることを重視。併せて探究学習をさせることにしました。探究心とプレゼン能力が上がることで、学力が上がり、大学入試にも好成績となっていきました。

その他にも、「使わないと意味のないツール」として、英語の活用を重視しました。これはまさしくグローバルな世界で通用する人材を育成するという狙いがあります。
実際に富田林中学校・高等学校を取材し、今回改めてお話を伺うと、大門教育長が校長、准校長として入り、教育を変える必要性、コミュニティスクールへの強い思いがあったからこそ学校が変わったんだと感じました。

大阪唯一の村の教育長として

大門教育長は昨年4月、令和7年度から大阪府南河内郡千早赤阪村教育委員会の教育長となりました。富田林から村に来たことについては、教職員として村の中学校にいたので、全く抵抗が無いと言いながら、昔と違って現在の村は本当に小さくて子どもが少ないことに驚いたそうです。



「PR」


「PR」

教育長として思うことは、「村で育った子どもたちが『村で育ったこと』を自信をもって言えるように育てたい」ということ。確かに千早赤阪村は過疎が進んで人口も減っている。しかし、少人数だからこそのメリットかある。それはひとりひとりに寄り添った教育ができることだといいます。

「PR」

そして「自分の道がわからない」と、迷っている子どもたちに刺激を与えて、その子の自己肯定感が上げられるような環境を作りたいといいます。具体的には富田林中学校・高等学校の時と同じく、探究と英語をセットにして強化して行きたいといいます。

そして千早赤阪村の教育が変わればさらに上を行く地域創生にもつながる可能性があるとも。「他の自治体自体より千早赤阪村の教育が優れているとなれば、環境に良い村への移住促進になっていくかもしれない」と語ります。

(2月10日に行われた全教職員のセミナーの講師:CS推進名誉マイスターの竹原和泉さん)

「大阪市内という都会に近いことも有利。そして山に囲まれた環境の良さが子どもたちにとっても良いことにつながるだろう」と考えています。



「PR」


「PR」

そして村全体「千早赤阪村チーム」として考えていくことも重視します。2月10日に行われたセミナーも、村の全教職員を集めて行いました。「村の教職員はほかの自治体より少ないからこんなこともできる。自分たちが主人公という千早型というべき体制を構築できたら」と、大門教育長は最後に力強く言われました。

「PR」

というわけで大門教育長に一時間余りの取材をさせていただきました。富田林中学校・高等学校のレベルの高さを知っているから余計にそう感じたのですが、千早赤阪村の教育が確実に変わっていくような気がしました。



「PR」


「PR」

千早赤阪村教育委員会

住所:大阪府南河内郡千早赤阪村大字水分263番地(くすのきホール内)
アクセス:千早赤阪村役場バス停より徒歩8分



「PR」


「PR」

この記事を書いた人

奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました