河内長野の歴史

河内長野のおでかけ・散歩記事

【河内長野市】南海天見駅から15分!流谷八幡神社で2026年は12日日曜日!暑気払いと無病息災を願う湯立神事が行われます

“探す”から“届く”へ 開かなくても、ちゃんと毎日届く安心感。気づけば届いている、あなた専用の情報便、the Letter2026年は7月12日(日)10時から流谷の八幡神社で湯立神事が行われます。以下、過去八幡神社の湯立神事の様子を紹介し...
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【河内長野市】7月5日に河内長野ラブリーホール合唱団演奏会が行われます

“探す”から“届く”へ 開かなくても、ちゃんと毎日届く安心感。気づけば届いている、あなた専用の情報便、the Letter7月5日(日)にラブリーホール・大ホールで河内長野ラブリーホール合唱団の演奏会が行われます。14:00開演(13:30...
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【河内長野市】こんなところに?原町で複数見つけた道標の正体を調べると有名な街道同士の交差点だった

“探す”から“届く”へ 開かなくても、ちゃんと毎日届く安心感。気づけば届いている、あなた専用の情報便、the Letter  河内長野市役所のある原町、西高野街道沿いには歴史を感じるスポットがいくつもあります。その中でもこれまで情報があまり...
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【河内長野市】これは明治時代の河南鉄道の名残?旧国道に架かる桜橋から見える近鉄長野線のレンガトンネル

“探す”から“届く”へ 開かなくても、ちゃんと毎日届く安心感。気づけば届いている、あなた専用の情報便、the Letter南河内地域の鉄道(南海・近鉄)は明治時代から鉄道が敷設されているため、昔のままのレンガの端が残っているところがいくつか...
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【河内長野市】130周年の里帰り!松ケ丘の地車が4月5日の橋本東家の曳行を前に、地元松ケ丘町内でも曳行されました

河内長野松ケ丘の地車が4月5日に里帰りします。和歌山県橋本市の中心にある、東家(とうげ)での曳行が行われるのです。「PR」「PR」松ヶ丘菊水青年団祭華会によると、松ヶ丘大佐地車は、1896(明治29)年9月19日橋本村の東家寺脇の依頼で大阪...
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【河内長野市】東高野街道に静かに鎮座する「孝子地蔵」。江戸時代の巡礼悲話とはどういうものだった?

地蔵菩薩は、河内長野市の古い街道沿いに行けばいろんなところで祀られています。名もなき地蔵菩薩もあれば、今回紹介する孝子(こうし)地蔵のように由来がはっきりしている地蔵もありますね。「PR」「PR」では、なぜ孝子地蔵という名前がついているのか...
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【河内長野市】三日市のサンリードショールームで、3月1日にcyarity marcheを開催

南海三日市駅近くにある三日市サンリードショールームで、定期的に開催されるCyarityMarusyeが3月1日10:00~16:00まで開催されます。売り上げの一部を被災地支援に充てるとのこと。「PR」「PR」今回の出店者はこちらcococ...
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【河内長野市】天見にある出合ノ辻の由来に迫る!鎌倉時代末期に勃発した安満見合戦の場をおさらい

※戦いが行われた(正慶二年正月五日:旧暦1月5日が今年の場合、2月22日になります)のでこの日に合わせました。(2022年8月24日アーカイブ記事です)【ふるさと納税】河内長野市を応援してください! 大阪府河内長野市 応援寄付金 1000円...
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【河内長野市】河内長野最南端の住宅地南ヶ丘に隣接。意外なところから428年前に分祀した中山天満宮(2月8日分・メイン記事)

ということで中山天満宮を紹介しました。中山天満宮の存在が、加賀田の中に「中山」という地区があったことを知ることになり、また南ヶ丘とのつながりも感じました。住んでいる人の知り合いや友人がいない限りあまり南ヶ丘に行く機会はないと思いますが、バス無料デーのタイミングでショートトリップしてみるのも楽しいです。
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【河内長野市】豆まき、恵方巻と違う天野山金剛寺星祭大法要・柴灯大護摩供。法螺貝と真言が鳴る迫力火祭り

しかし、本来節分は季節の変わり目のことを指すので、年に4回あリます。その中でも立春の前の節分は旧暦では正月節と呼ばれ、最も大切にされたそうです。そのためこの時に魔を祓い福を呼び込む様々な行事が行われるようになりました。したがって上記の定番のもの以外にも、このタイミングで様々な行事が行われます。
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【河内長野市】三日市町の由来、その前の名は?秋祭りに江戸天明期の提灯を掲げる庄屋の末裔は地域の語り部

【河内長野市】三日市町の由来、その前の名は?秋祭りに江戸天明期の提灯を掲げる庄屋の末裔は地域の語り部
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【河内長野市】天見の奥にある唯一無二の神事・流谷八幡神社の勧請縄かけの縄が今年も無事にかけられました

ということで流谷の八幡神社の勧請縄かけを中心に、流谷にある蝋梅(ろうばい)の郷の昨日の蝋梅の咲いている様子、最近境内に白い玉砂利が敷かれた蟹井神社の様子を紹介しました。
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【河内長野市】千年の伝統の昨年の様子!流谷八幡神社の縄掛け神事は、明日1月10日土曜日に行われます。

河内長野の山の中、南海天見駅から歩くこと15分くらいのところにある流谷八幡神社では、その途中に毎年恒例の縄掛け神事が行われます。2026年は1月10日土曜日とのこと。
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【南河内郡千早赤阪村】役場の後ろに隠れるように鎮座する出合藤森戎神社とは?楠木正成との由来が。

まとめると楠木正成の夢枕に出てきたお告げから、生まれた故郷「山の井」の中にある下赤坂城の麓にある霊的な地とされた「藤ノ森」にえびす神を祀ったということです。それが現在も鎮座している出合藤森戎神社というわけですね。そんな歴史を振り返りながら大阪唯一の村にあるえびす神に手を合わせてみてはいかがでしょう。
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【河内長野市】烏帽子形八幡神社のえびす祭だけなぜ7日?その理由を探りつつ、昨日の宵宮の様子を見ました(2023年1月7日アーカイブ)

2026年1月6日が宵恵比須で15:00~19:00まで、1月7日の本恵比須は10:00~15:00までおぜんざいの接待があります。さらに1月7日15:00から餅まきが行われるとのこと。
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【河内長野市】なんと神社で除夜の鐘を撞く!神仏習合の名残、2026年の干支・午に繋がる住吉神社の初詣

「なんと神社で除夜の鐘を撞く!」と一瞬驚きますが、結論から言えば、これは神仏習合の名残です。江戸時代までは神社境内の中に神宮寺、あるいは寺の境内に神社があることが別に普通だったのですが、明治時代の廃仏毀釈で仏教系寺院の多くが廃寺となったことは、南河内地域の神社仏閣を歩いているとその足跡がいくらでも見られます。別の日に住吉神社に参拝した時に撮影しましたが、境内に鐘楼が残っていました。
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【河内長野市】クリスマスだから考えた!昔のキリシタンではなく今のキリスト教会につながる伝道師と学校

河内長野とキリスト教の接点を考えた場合、多くは戦国時代にフランシスコ・ザビエルが伝えたキリスト教が河内一帯で広がった話になります。開国後の明治時代になると再びキリスト教が日本に入り、その時の伝道成果が今も続いています。そこで今年のクリスマスは、明治以降に入ってきたキリスト教と河内長野との関わりについて確認していこうと思います。
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【河内長野市】大阪府と地域住民がタッグを組んで完成させた事業!小山田の果樹園の間の道にある道普請の碑

平成15年度より3年に亘(わた)って、小山田自治会と富田林土木事務所との府民協働で改修された道路とのこと。府民協働とは、共通の目的のために府(行政)と府民が一緒に考えて対等な立場で認識、尊重しながら行動することです。
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【河内長野市】盛松寺本堂がまるで食品工場!21日に数量限定配布される恒例ゆず味噌づくりを見てきました(2022年12月20日 アーカイブ) 

ところで、河内長野の冬至と言えば、やはり楠町にある盛松寺のゆず味噌ではないでしょうか?空海が直伝したというゆず味噌づくりは、配布される21日の2日前、昨日19日に仕込みが行われました。
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【河内長野市】河内長野駅近く、電車から見える個性的住宅群の正体は?敷地内にある谷川遊歩道の秘密も紹介(2022年1月21日 アーカイブ)

河内長野駅は言わずと知れた、南海と近鉄のターミナル駅ですが、どちらの電車に乗っても駅に到着する直前に、いつも気になる建物が見えます。それは個性的なデザインをした集合住宅群。3棟のマンションを中心とした住宅群は、周辺の住宅と比べて建物が高いためか、石川を挟んだ富田林の嬉地区からも非常に目立つように見えます。