【南河内河南町】神山にある古代の書物にも名前が残っている鴨習太神社の歴史や由来とは

大阪狭山と南河内郡の歴史

道の駅かなんの住所は大阪府南河内郡河南町神山523−1ですが、同じ神山地区内に鴨習太神社(かもならいたじんじゃ)があります。

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道の駅からから見てちょうど南東に位置しており、道の駅から徒歩10分ほど歩いたところにあります。

鴨習太神社は小高い山の上に鎮座しています。富田林市史<鴨習太神社>(外部リンク)によれば、神山の地名は神社の山から来ているのではと推測しており、その視点で見ると目の前の山が「神山」という名前で、そのふもとの地区名(旧神山村)ということになります。


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さらに富田林市史は葛城地方の人、現在の御所・葛城市に拠点を持っていた葛城氏と交渉を持った人びとが信仰した神社ではないかという推測を記載しています。

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鴨習太神社が鎮座している神山の地車は、建水分神社の御旅所「比叡の前」に10月第3土曜日に宮入りしていますが、翌日・日曜日には鴨習太神社にも宮入りしています。


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鴨習太神社は、周辺の他の神社のように明治時代の合祀の対象にはなっていません。1915(大正4)年に神撰幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)に指定され、地方公共団体から供え物(神饌)と金銭(幣帛料)が供進される対象となった神社です。それだけ格式の高い神社であったというわけです。

現在は、建水分神社が管理する神社で、常駐の神職は不在です。


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階段を上り切ったところに境内が広がっていて、正面に拝殿が見えます。

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由緒が記載されています。それによると神社の創建は不明ですが、古代の書物で927(延長5)年に「撰上(せんじょう:編纂した書物を天皇に献上)された延喜式神名帳に「河内国石川郡 鴨習太神社」との記載(外部リンク)があり、他の石川郡式内社九座(神社)に記されていることから、西暦900年代にはすでに存在している由緒ある神社です。


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また「神山」という地名には「かみのやしろ」の村という意味があり、古い時代から開けていたとあります。

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また、後に蘇我氏と戦って敗れた物部氏(もののべし)の勢力圏だったとされる場所との記載もありました。そのため物部氏の祖先として崇められていた饒速日尊(ニギハヤヒノミコト:天照大神の孫)が祭神として祀っているとのこと。


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ただ近世までは天満宮として祀られており、恐らく菅原道真を祀っていたと考えられますが、富田林市史では祭神不明としています。また大田田根子命(オオタタネコノミコト)を祭神としていたとする説もあるそうです。

(拝殿の隙間から本殿が見える)

ただ現在は、饒速日尊に加え高皇産霊尊(タカミムスビノミコト:日本神話で最初に登場した造化三神の一柱)を祀っています。理由も記載があり、1660(万治3)年11月に相殿合祀とあります。相殿合祀(あいどのごうし)とは、主祭神と同じ社殿に別の神様を並べて祀ることです。一説には近くに天神神山神社があってそこに、高皇産霊尊を祀っていたそうですが、万治3年の暴風で社殿が破壊されたので、鴨習太神社に合祀されたとのこと。


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境内には複数の社があり、神々が鎮座しています。

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拝殿の右から神明宮と書いてあります。これは天照大神を祀る神明神社です。


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こちらには「百萬神」と書いてあります。これは八百万の神(やおろずのかみ)という意味で、御魂神社ということで八百万の神を祀っているとのことになります。もちろん、現実世界の尺度で測る次元のものではありませんが、そんなに大きくない社なのに、すごく多くの神様を祀っていることになりますね。

その隣にあるのが金刀比羅宮です。訪問時は扉が開いていました。琴平神社ということで祭神が大物主大神(オオモノヌシノオオカミ)。大国主命(オオクニヌシノミコト)の穏やかな側面を映し出した分身のようなもの「和魂(にぎみたま)」です。分身というだけでなく、それ自体も神様のひとつ(神格)となっています。

そしてその横にあるのが聖天宮です。聖天社という社の名前がついていて祭神が大聖歓喜自在天(だいしょうかんきじざいてん)を祀っています。これは本来仏教の歓喜天(かんぎてん)で、ヒンドゥ教の象の頭をしたガネーシャに由来しています。神社の中に仏教的なものが入った神仏習合のひとつの形と考えられます。

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境内にはベンチがあります。

結構新しいもののようです。最近設置されたのでしょうか?


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帰りは階段ではなくスロープ状になっている坂から帰ることにしました。

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振り返ると、拝殿の位置がこのように映ります。


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余談ですが、鴨習太神社の社名から、主に東大阪市・八尾市、天理市の周辺を本拠地としていた物部氏よりも奈良県御所市を本拠ととしていた賀茂氏が関係しているという説もあるようです。仮にそれが正しいとなると加茂氏の先祖、大鴨積命(おおかもつみのみこと)を祀っていることにもなります。ただ同じ河南町の平石には栂の宮(とがのみや)こと磐船大神社があり、主祭神は饒速日命とされています。

鴨習太神社は西暦900年代には確実に存在している神社ということなので、歴史が古く様々な説があるようです。さて、帰りのスロープ状の坂道は視界が開けていて河南町が一望できました。

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鴨習太神社

住所:大阪府南河内郡河南町595
アクセス:神山バス停下車徒歩5分


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この記事を書いた人

奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。

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