歴史記事

河内長野の歴史

【河内長野市】天見にある出合ノ辻の由来に迫る!鎌倉時代末期に勃発した安満見合戦の場をおさらい

※戦いが行われた(正慶二年正月五日:旧暦1月5日が今年の場合、2月22日になります)のでこの日に合わせました。(2022年8月24日アーカイブ記事です)【ふるさと納税】河内長野市を応援してください! 大阪府河内長野市 応援寄付金 1000円...
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡太子町】奈良県境・二上山雄岳にも日本遺産があります。葛城修験第二十六経塚二上山 陀羅尼品

南河内郡太子町といえば、聖徳太子御廟を始めとする複数の天皇・皇族陵や日本最古の国道(官道)とされる竹内街道を連想するかもしれません。しかし、もうひとつ忘れていけないのは、奈良県葛城市との境付近にある日本遺産の葛城修験です。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡千早赤阪村】大阪唯一の村の玄関。古い建物が残る森屋のまちなみを歩きながら歴史に思いを馳せる

村役場や道の駅がある地域は河南町や富田林から入るルートからが近いので、千早赤阪村の玄関と言えそうです。その場所にあるのが森屋です。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡千早赤阪村】泉北と繋がる府道は大阪唯一の村にある寺院前が起点。そこに昭和の工事に関する碑が

西楽寺の道路を挟んだ反対側に、大きな石碑があります。西楽寺の歴代院主のひとりが昭和時代の道路工事に深くかわかっていたという証となる石碑です。紀功碑のおかげで、そんな歴史が森屋や富田林佐備にあったことを知ることができました。
河内長野の歴史

【河内長野市】河内長野最南端の住宅地南ヶ丘に隣接。意外なところから428年前に分祀した中山天満宮(2月8日分・メイン記事)

ということで中山天満宮を紹介しました。中山天満宮の存在が、加賀田の中に「中山」という地区があったことを知ることになり、また南ヶ丘とのつながりも感じました。住んでいる人の知り合いや友人がいない限りあまり南ヶ丘に行く機会はないと思いますが、バス無料デーのタイミングでショートトリップしてみるのも楽しいです。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡河南町】地区名は中だけどバス停名は「中村」。旧中村の中心、中地区に残る中村神社跡と村の足跡(2月7日分・メイン記事)

河南町中(中地区)は(旧中村)です。本来なら中バス停が正しい気がしますが、中村バス停になっています。そして旧中村の中心には中村神社跡があり、そこは広場になっていて地車小屋などがあります。
河内長野の歴史

【河内長野市】豆まき、恵方巻と違う天野山金剛寺星祭大法要・柴灯大護摩供。法螺貝と真言が鳴る迫力火祭り

しかし、本来節分は季節の変わり目のことを指すので、年に4回あリます。その中でも立春の前の節分は旧暦では正月節と呼ばれ、最も大切にされたそうです。そのためこの時に魔を祓い福を呼び込む様々な行事が行われるようになりました。したがって上記の定番のもの以外にも、このタイミングで様々な行事が行われます。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡太子町】飛鳥川に架かる日本最初の官道、竹内街道。飛鳥川に架かる六枚橋の名前の由来とは?(メイン記事)

六枚橋と新六枚橋を取り上げました。何気ない交差点やバス停の名前から、実際の橋を確認し、さらに由来までチェックすると、竹内街道の散策により深みが増すと思いました。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内河南町】神山にある古代の書物にも名前が残っている鴨習太神社の歴史や由来とは

神社の創建は不明ですが、古代の書物で927(延長5)年に「撰上(せんじょう:編纂した書物を天皇に献上)された延喜式神名帳に「河内国石川郡 鴨習太神社」との記載があり、他の石川郡式内社九座(神社)に記されていることから、西暦900年代にはすでに存在している由緒ある神社です。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡太子町】二上山雄岳山頂より一段低いところに鎮座。奈良県との境周辺に大津皇子の墓があります

大津皇子の墓を紹介しました。二上山山頂ではなく少し低いところに墓があるのは、かつて二上山が二神山と呼んで神聖化していたので、少し遠慮した場所に埋葬されたのかもしれません。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【大阪狭山市】山本自治会館の隣にある大平大明神。江戸時代に開拓した新田の地に鎮座する神と由来とは

西高野街道の山本新田だったあたりに残っている大平大明神という名前の小さな社に立ち寄ってみました。ちなみに山本の地車小屋から西高野街道を北に向かって歩いています。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡太子町】古くて新しい緑の一里塚は、日本最古の国道竹内街道の休憩所を整備。太子町にあるものは

一里塚は、かつて街道を旅する人々にとって里(り:約4km)ごとの目印です。竹内街道に限らず、西高野街道にもあります。昔の人は一里塚の上に生い茂る木に立ち寄ってつくられた木陰が休憩所の役目を果たしていたそうです。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡河南町】昔の字(あざ)名を冠した南北朝時代作と伝わる石像が鎮座する神山の馬場地蔵

「字(あざ)」である神山の中心部に古くからご利益があると知られた「馬場地蔵」、そして隣に鎮座し、交通安全を願って新たに安置された千手観音菩薩は、今日も地域の人々を見守っています。
河内長野の歴史

【河内長野市】三日市町の由来、その前の名は?秋祭りに江戸天明期の提灯を掲げる庄屋の末裔は地域の語り部

【河内長野市】三日市町の由来、その前の名は?秋祭りに江戸天明期の提灯を掲げる庄屋の末裔は地域の語り部
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡河南町】河南町で盲腸の形をした「青崩」とは何と読む?青崩地区の歴史を考えて歩いてみました

河南町の輪郭だけを取り出した白地図ですが、気になっているところを青で囲みました。南東部を見るとまるで盲腸のように細い場所があります。盲腸のように細長い場所の周りは千早赤阪村です。しかし、なぜかこの細い部分だけが河南町になっていて、そこは青崩地区と呼ばれています。青崩は「あおげ」と呼ぶそうで、河南町上河内という大字の中にある地区(字)です。河南町の前は旧河内村、その前は旧上河内村に属していました。
河内長野の歴史

【河内長野市】天見の奥にある唯一無二の神事・流谷八幡神社の勧請縄かけの縄が今年も無事にかけられました

ということで流谷の八幡神社の勧請縄かけを中心に、流谷にある蝋梅(ろうばい)の郷の昨日の蝋梅の咲いている様子、最近境内に白い玉砂利が敷かれた蟹井神社の様子を紹介しました。
富田林の歴史

【富田林市】大発見!須賀に大阪狭山市の飛び地が今もなぜここに、そしてどんなところか調査してみました(2023年4月6日アーカイブ)

全国的にある不思議なものとして、「飛び地」と呼ばれるものがあります。国市町村などの自治体の一部が、他の自治体にまるで飛んでいるかのようにあるからそう呼ばれるものですが、実は富田林にも飛び地があります。
富田林の歴史

【南河内郡太子町】聖徳太子と政治を執り行った日本初の女帝・推古天皇陵と竹田皇子の墓、山田高塚古墳

太子町にある聖徳太子廟、小野妹子の墓、歴代天皇陵(用明天皇、敏達天皇、孝徳天皇)を回りましたが、もうひとつ大切な天皇陵があります。それは推古天皇陵、聖徳太子と政治を執り行った日本初の女帝の陵墓です。
河内長野の歴史

【河内長野市】千年の伝統の昨年の様子!流谷八幡神社の縄掛け神事は、明日1月10日土曜日に行われます。

河内長野の山の中、南海天見駅から歩くこと15分くらいのところにある流谷八幡神社では、その途中に毎年恒例の縄掛け神事が行われます。2026年は1月10日土曜日とのこと。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【大阪狭山市】なぜ?池之原会館のすぐ近くには旧丈六村(堺市東区)の飛び地が。その理由を探ってみた

大阪狭山市から最も近い百貨店をみると、泉ヶ丘駅にある泉北高島屋になりますが、つい最近まで乗り換えなしの堺東駅に直結していた堺タカシマヤがありました。御存じのように堺タカシマヤは1月7日をもって残念ながら閉店となりました。とはいえ、泉ヶ丘にも...