歴史記事

富田林の歴史

【富田林市】意外に知らない?美具久留御魂神社の神様や由緒、そして意外過ぎるトリビアの数々を紹介します(2021年10月7日アーカイブ)

※アーカイブ記事なので情報は掲載当時のものです秋祭りシーズン真っ只中。今年はお祭りが中止や縮小の所が多く、少し寂しい年になりましたね。お祭り以外でも、願掛けをしたい時、初詣や厄払い、七五三など、なにかと近所の神社におまいりして神頼みをしてい...
富田林の歴史

【富田林市】瀧谷不動明王寺の鐘はどんなもの?年越し前に撞いてみました。近鉄長野線の新年終夜運転も確認(2022年12月31日アーカイブ記事)

※アーカイブ記事なので情報は掲載当時のものです ただし近鉄の終夜運転の時刻表については現在のもの(2025年12月31日から2026年1月1日)に入れ替えています。いよいよ今年もあと1日。毎朝6時前後に記事を投稿していますので、厳密に言えば...
富田林の歴史

【富田林市】全国で4番目の大きさ、重さ12トンの鐘から鳴り響く除夜の鐘は圧巻!大阪唯一の木造五重塔の願昭寺(2021年12月31日アーカイブ) 

朱色の美しい五重塔のそばに来ました。建立は2011(平成23)年と、10年ほど前のこと。そして特筆すべきは木造で建てられており、それは大阪府内で唯一とのことでした。塔の高さ37mあり、これは全国10位。
富田林の歴史

【富田林市】五六七大明神は「コロナ」とは呼びません。寺内町のそばに点在する難解地名「毛人谷」の名残、旧田中家住宅の近く(オリジナル)

元々は寺内町に接する位置まで毛人谷という地名だったために、寺内町の近くを歩いていると画像のように毛人谷の名前が付いた建物がいくつか見られます。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡太子町】気軽に寺に来て、そしてもっと太子町を知って!日本最古級の尼寺、西方院院主の思い

南河内郡太子町には、聖徳太子御廟をはじめ、4つの天皇陵、日本最古の国道(官道)の竹内街道、万葉集にも出てくる二上山、二上山中腹にある日本唯一の大陸風岩窟寺院の岩屋など、たくさん見どころが多い場所。ところが残念なことに、大阪府の自治体の中でも...
富田林の歴史

【富田林市】悲報!サウナマニアも認めるブック&スパ うぐいすが今月末で閉店してしまいます!!(2022年5月29日アーカイブ)

2022年は富田林の外湯が相次いで閉店。3月末で葛城温泉が閉店した2か月後に、「ブック&スパうぐいす(Book&Spa uguisu)」まで閉店してしまいました。
富田林の歴史

【富田林市】富田林市内に残る最後の公衆浴場「葛城温泉」が今月末で営業終了。意外な歴史を追いかけてみた(2022年3月15日アーカイブ)

施設の老朽化が深刻な状況という理由で2022年3月末で営業終了した「葛城温泉」の歴史について調べてみた
河内長野の歴史

【河内長野市】クリスマスだから考えた!昔のキリシタンではなく今のキリスト教会につながる伝道師と学校

河内長野とキリスト教の接点を考えた場合、多くは戦国時代にフランシスコ・ザビエルが伝えたキリスト教が河内一帯で広がった話になります。開国後の明治時代になると再びキリスト教が日本に入り、その時の伝道成果が今も続いています。そこで今年のクリスマスは、明治以降に入ってきたキリスト教と河内長野との関わりについて確認していこうと思います。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡千早赤阪村】え?道の駅だけ周りと地名が違う!二河原辺を歩きながら地名の由来を調べてみた

二河原辺を地図で検索すると、赤で囲った地域が該当します。細長い地形で一部飛び地になっているところがありますが、飛び地は山の中です。あの道の駅ちはやあかさかの住所が二河原辺だという事実で、周りの施設は水分です
河内長野の歴史

【河内長野市】大阪府と地域住民がタッグを組んで完成させた事業!小山田の果樹園の間の道にある道普請の碑

平成15年度より3年に亘(わた)って、小山田自治会と富田林土木事務所との府民協働で改修された道路とのこと。府民協働とは、共通の目的のために府(行政)と府民が一緒に考えて対等な立場で認識、尊重しながら行動することです。
富田林の歴史

【富田林市】錦ヶ丘にある教会の24日クリスマス礼拝は信者以外も参加可能。教会堂がすばるホールと同じ設計者!(2021年12月23日アーカイブ)

富田林だけでなく、河内長野、河南町、太子町など、南河内地域に多数の教会を作ったとのこと。ヘール宣教師はその後、和歌山・三重と向かい、驚いたことに伊勢神宮のすぐ近くにも山田教会を立てました。
河内長野の歴史

【河内長野市】盛松寺本堂がまるで食品工場!21日に数量限定配布される恒例ゆず味噌づくりを見てきました(2022年12月20日 アーカイブ) 

ところで、河内長野の冬至と言えば、やはり楠町にある盛松寺のゆず味噌ではないでしょうか?空海が直伝したというゆず味噌づくりは、配布される21日の2日前、昨日19日に仕込みが行われました。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡太子町】日本で唯一の大陸風石窟寺院跡が二上山中腹に!岩屋と石切場跡は火山活動の結果で

二上山が太古の火山活動の結果、山の中に多くの凝灰岩があったために、古墳の石棺や石室に利用される石切り場がありました。それを活用して作られた岩窟寺院跡の存在、二上山の中腹には、二上山ならではの歴史の形跡が数多く残っています。
河内長野の歴史

【河内長野市】河内長野駅近く、電車から見える個性的住宅群の正体は?敷地内にある谷川遊歩道の秘密も紹介(2022年1月21日 アーカイブ)

河内長野駅は言わずと知れた、南海と近鉄のターミナル駅ですが、どちらの電車に乗っても駅に到着する直前に、いつも気になる建物が見えます。それは個性的なデザインをした集合住宅群。3棟のマンションを中心とした住宅群は、周辺の住宅と比べて建物が高いためか、石川を挟んだ富田林の嬉地区からも非常に目立つように見えます。
河内長野の歴史

【河内長野市】バス停の前に知る人ぞ知る歴史の痕跡!日野への安全な道を作ったことを記録する高向村難道碑

高向から日野、滝畑に向かう途中は山の中を道が続いていて、日野・滝畑コミュニティバスからもその様子が見られます。「PR」「PR」その中に「汐滝橋」というバス停があります。これは古保バス停と中日野バス停の間にあります。クリスマス お菓子 詰め合...
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡太子町】大化の改新の時に即位し、初めて大阪に都を造営した孝德天皇が眠る山田上ノ山古墳

太子町には磯長谷古墳群(しながだにこふんぐん)と呼ばれる、聖徳太子をはじめ複数の天皇陵や小野妹子の墓などがあります。そんな中、竹内街道沿いに古墳への入口があるのが孝德(こうとく)天皇陵こと山田上ノ山古墳です。
河内長野の歴史

【河内長野市】破片のように散らばる河内長野市木戸町の謎。その理由は?現在の町の様子も探ってみた!(2022年2月26日 アーカイブ)

都道府県や市町村の区画は、原則ひとつの塊として制定されますが、たまに「飛び地」と呼ばれるものが存在します。これは歴史的な経緯が複雑に絡んでいることが多いので、ある程度やむを得ない事情があります。しかし、飛び地どころか破片状になっている町が、河内長野市内にあることを知りました。その町の名前は木戸町(きどちょう)です。Yahoo!地図で「河内長野市木戸町」と入れると次のようになります。主に南海高野線千代田駅を中心とした区域で、寺ヶ池やいくつかの場所が反転していますね。これが木戸町で、まさしく破片のように散らばっています。
河内長野の歴史

【河内長野市】谷村新司さんの生誕地は河内長野!3歳まで過ごしたとされる長野温泉付近の今。(2023年10月18日アーカイブ)

※アーカイブ記事なので情報は掲載当時のものですある方からの情報によれば、全国自治体行政サービス改革度ランキング2023で河内長野市が全国1位なのだそうです。その上、昨年2022年度も1位とのことで、2年連続トップの座にいるとのこと。住んでい...
河内長野の歴史

【河内長野市】河内長野駅すぐのところに残る長野温泉のおもかげ。昭和レトロと台湾九份を感じる町並みが今も。(2021年12月16日アーカイブ)

※アーカイブ記事なので情報は掲載当時のものです河内長野駅は、南海高野線と近鉄長野線があるターミナル駅。西出口には、駅前広場とノバティながのなどのビルが並んでいます。しかし、東出口から少し歩いただけで、全く違う昭和レトロな空気に包まれた場所が...
富田林の歴史

【富田林市】喜志駅が見えるバス停「大深」の深い意味!そして江戸時代の大坂繁栄に貢献した加賀屋の生家も(2025年2月23日アーカイブ記事)

※アーカイブ記事なので情報は掲載当時のものです喜志駅の西側は近鉄バスですが、東側はかつては金剛バスで、今は「金剛ふるさとバス」という愛称のついているコミュニティバスが走っていますね。喜志駅の東口から最初のバス停は大深(おぶけ)ですが、駅が見...