昨日から2026(令和8)年がスタートしました。年の初めの3日間は三が日ということで神社仏閣への初詣が行われます。ということで、昨日(元日)は河南町の北側と太子町で初詣の様子を取材しました。
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南林寺の護摩焚と法話(太子町)

太子町の寺院で最初に思い浮かぶのが聖徳太子廟のある叡福寺、次にその南側にある日本最古級尼寺の西方院ですが、西方院のさらに南側にあるのが南林寺です。
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境内にある説明版によると、南林寺はもともと叡福寺の四季講堂(僧が集まって修行する場所)として建立されましたが、1574(天正2)年に織田信長の兵火により焼失。1649(慶安2)年に後水尾(ごみずのお)上皇により再建され「仙人嶽 南林寺」となり、上皇が帰依(頼みとしてその力にすがる)していた了性明空(りょうしょう みょうくう)和上が住職に就任したそうです。一時は真言律宗の学問寺として高い格式を持つ寺だったそうですが、明治の廃仏毀釈で住職のいない寺となり、やがて高野山金剛峰寺の末寺となって真言宗に属するようになったそうです。
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南林寺は西方院と共催で、2年に1度、結縁祭を行っています。そして正月3が日は、14時から新年護摩と法話が行われています。

私は当初護摩焚きと聞いたので、てっきり修験者が野外で行う護摩焚きを想像していましたが、南林寺で行われる護摩焚きは本堂の中で行われるものでした。
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おみくじなどの縁起物を眺めていると、野口真龍住職が声をかけてくださり、本堂での護摩焚きと法話に参加することにしました。

そして野口住職から護摩焚きの一連のやり取りについて撮影の許可をいただきました。ちなみに野口住職は堺市北区の愛染院の住職も兼ねておられるとのこと。
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本堂の中に入りました。鎮座しているのは本尊の阿弥陀如来像です。

右側には不動明王が鎮座しており、その前で護摩が行われます。
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ちなみに本尊の阿弥陀如来像と
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不動明王の右隣に鎮座している毘沙門天立像は、最近になってとても歴史のある仏像だと判明しました。

そして初めて寺の外、竹内街道歴史資料館で「古刹南林寺の仏像」という特別展として展示されることが決まったそうです。期間は2月10日から3月8日までの期間ですが、途中の2月21日(土)14:00~16:00まで、落語家の桂吉弥氏が友情出演して記念講座が行われます。先着100名の事前申し込み制で参加費は300円とのこと。
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ということで護摩が始まりました。本日1月2日と明日3日も14時から行われ、また毎月28日の不動明王の縁日にも午前中に護摩が執り行われているそうです。
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野口住職によると、護摩とは本来サンスクリット語の「ホーマ(homa)」で、「供物を火に投げ入れて祈願する」という意味を持つ言葉です。やがてそれがなまって、「ゴマ」となり「護摩」の漢字があてられたとのこと。

そして火を使って煩悩を焼き尽くし、願いを成就させるインド古来の宗教儀式が仏教の密教に取り込まれたとのこと。
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そして住職は、燃え上がる炎の中に不動明王が入るという話をされました。
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炎は想像以上に火柱を上げます。護摩を焚く場所の天井は金属でできた部分があり火の粉はそこまで到達していました。

そして炎に投げ込まれるのが護摩木(ごまぎ:願い事を書いた薪)です。これは仏の智慧の火で燃やすことで祈願するとのこと。
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また室内でこれだけの炎を出すので、非常に煙たくなるのですが、住職の話ではこの煙こそが人間の欲望ともいえる煩悩を払いのけるものといいます。煩悩が払いのけられることで不動明王に願い事がとどけられ、身体が清められ、災いが去って福が得られるとされるそうです。
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ここで順番に護摩木を護摩の中に入れていきます、こちらは「にんにん」さんです。昨年1月に太子町と包括連携協定を締結したみかん先生(ボイトレVTuber)(外部リンク)の格好をしています。

住職によればみかん先生の中の人が太子町を訪れた際に、本来は西方院だけの訪問だったのが、みかん先生のたっての希望により南林寺も訪問することになりました。その時に町の職員の中に文化財に精通している専門家がいたことで、南林寺の仏像が古くとても価値のあるものだとわかったそうです。これはなんとも言えない不思議なご縁を感じました。
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さて、にんにんさんが護摩木を火の中に入れた後、他の参列者も次々と火の中に護摩木を入れていきました。
一連の様子は動画にまとめました。野外はともかく本堂内での護摩焚きは映像で見るか、遠いところで行われているシーンしか見たことがなく、こんな目の前で見られるのは本当に驚きました。そしてみかん先生とのエピソード、住職と太子町の方々とのフレンドリーな雰囲気を目の当たりにしたことで、元日から良い場面に出逢うことができ、早くも2026年が良い年になるような予感がしました。
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こうして護摩焚きが終わり、続いて法話がありました。法話の内容は上記でも記載したみかん先生のことに加え、正月に年神が各家庭に来て、鏡餅で鎮座するエピードを伺いました。これは年神が正月の楽しい様子をいっしょに楽しみながら15日の鏡開きまで家に留まるそうです。初めて聞く内容などとても興味深かったです。あと2日間同じ内容が行われますので、興味のある方は目の前で護摩が焚かれる南林寺に足を運んでみてはいかがでしょう。
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(野口住職とにんにんさん)
南林寺の基本情報
住所:大阪府南河内郡太子町太子1563
アクセス:聖徳太子御廟前バス停下車から徒歩
壹須何(一須何)神社(河南町)

昨日最初に行ってきたのは河南町の壹須何(一須何:いちすか)神社です。富田林駅から旧金剛バスの車体のバスに乗ります。
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やまなみタクシーは1月6日からですが、金剛ふるさとバスとカナちゃんバス(9時台から16時台まで)については、正月期間中も通常ダイヤで運行するとのこと。
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そして大ヶ塚で降りました。ここは富田林とは別の今も残る寺内町です。

大ヶ塚は高台に作られた町ですが、その一角、崖に面したところに壹須何神社があります。
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元日の午前中とあって、地域の人たちを中心に参拝者の姿が見えます。神社の創建は不詳です。

こちらは身代不動尊が祀られており、それを風雨から保護するための覆屋(おおいや)を建てた(寄進した?)人の碑があります。
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さてこちらは長細い石柱にしめ縄がつけられて祀られています。調べると龍神とのこと。
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遥拝所があります。調べるとこれは皇居の方角を向いているそうです。

その背景には大正4年に神社本殿と拝殿を造営し、それを記した記念碑があるからです。
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また境内に戎社があり、石川戎と命名されています。これは壹須何神社の祭神はもともと宗我石川(蘇我石川:そがのいしかわ)」だったことと関係があるようです。蘇我石川とは古墳時代の応神天皇から雄略天皇にかけて仕えていた豪族とされ、この地域を領地としていた石川氏(蘇我氏の末裔)の伝説上の祖先です。

そのため蘇我氏の本支族(本家と分家)が祖廟(祖神)として蘇我石川を壹須何神社として祀ったそうで、その後江戸時代になってから、大巳貴命(おおなむちのみこと)、天照大神、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、品陀別命(ほんだわけのみこと)の4柱を新たに祀り、「天神様」と呼ばれていたそうです。
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また、明治時代に近隣にあった、東山菅原神社と降幡神社を合祀したため、東山菅原神社より(天満大自在天神:菅原道真)1柱、降幡神社より(天之忍日命:あめのおしひのみこと、日子番能迩迩芸命:ににぎのみこと、日子穂穂手見命:ひこほほでみのみこと、鵜葺不合命:うがやふきあえずのみこと、神倭伊波礼毘古命:神武天皇)の5柱が合祀されました。
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(石川成秀子爵・貴族院議員による石川氏(河内石川源氏)発祥の地を記した顕彰碑)
従って現在は合計10柱の神々と祖廟である蘇我石川を祀っていることになります。ちなみに蘇我系の石川氏の後からは、河内源氏の石川氏がこの地に入るなど、「石川」という名前とはとてもゆかりがある場所。かつてこのあたりの地名はは河内国石川郡石川村だったそうです。
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さて今年の干支・午を描いた絵馬が飾られていましたが、よく見ると「大阪芸術大学」の学生さんが描いたようです。河南町と大阪芸大との深いつながりを感じますね。

授与所のテントがあります。

授与品とそれぞれの相場が書かれていました。

帰りは別の道から出たのですが、スロープのような坂道になっていました。壹須何神社は須賀、大ヶ塚、山城、東山、北大伴(富田林)、南大伴(富田林)の地車が宮入りする神社なので、秋祭りの時にはこのスロープを各地車が坂を上って(下って)いくのかもしれません。
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壹須何神社の基本情報
住所:大阪府南河内郡河南町一須賀628
アクセス:大ケ塚、須賀バス停下車
太子春日神社(太子町)

太子町は寺院の数が多いですが、神社もあり、旧山田村の初詣の参拝先が科長神社、旧磯長村(しながむら)が太子春日とも呼ばれている春日神社となっているようです。調べると1889(明治22)年に磯長村が誕生した際に石川郡太子村・葉室村・春日村の3つの村を合わせて成立していることから、もとをただせば旧石川郡春日村だった場所に鎮座しています。
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鳥居の先に駐車場がある関係で、鳥居から社殿までは車でも上がれるようにスロープ状になっていました。

ということで上がってみます。ちなみに創建については不詳ながらも「春日仏師がこの地にとどまって社を建てた」との起源が社伝とのこと。奈良時代に長谷寺の十一面観音像や葛井寺の国宝千手観音を作ったとされる稽文会(けいもんえ)と、その子の稽主勲(けいしゅくん)、がここで書かれている春日仏師という説があります。切り絵でめぐる太子町郷土誌かるたの「か」(外部リンク)でも登場します。
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春日神社の祭神は、経津主神:ふつぬしのかみ、天児屋根命:あまのこやねのみこと、建見雷神(建御雷神:たけみかづちのかみ)、誉田別命(ほんだわけのみこと:応神天皇)で、前の3柱は奈良の春日大社ででも祀られている春日神(かすがのかみ)とされる神々で、藤原氏の氏神・祖神です。
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さらに、春日西之宮(かすがにしのみや)と呼ばれる社が西のほうにあり、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と天照大神を祀っていましたが、春日神社に合祀されました。ところがその前にいったん山田にある科長神社に合祀され、それから改めて春日神社に合祀したそうです。

手水舎です。平成4年12月に新調されたようです。

拝殿のすぐ下は階段になっていますが、右側に駐車場があるからで、ここから上は、階段を上って参拝する必要があります。
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ということで参拝させていただいたのですが、拝殿の奥に階段が見えます。実際に神々が祀られている本殿は階段の上にあると考えられます。拝殿からは本殿の様子が確認できませんでした。
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ということで参拝を済ませ出戻る途中、ちょうど鳥居の中に入り込むように、二上山と手前左側に見える第3の山がすっぽりと収まりました。

ちなみに春日神社では1月15日の8:00~11:00まで「とんど」が行われるそうです。
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春日神社(太子春日)の基本情報
住所:大阪府南河内郡太子町春日1642
アクセス:太子町役場前バス停から徒歩
叡福寺(太子町)

太子町を代表する寺院が叡福寺です。聖徳太子廟があります。元日とあって多くの人が参拝に訪れていました。
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聖徳太子廟の前にも多くの人の姿があります。

そして金堂(本殿)にも多くの人の姿があります。叡福寺は境内が広いためか、多くの人が来ても行列はほとんどありませんでした。
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ちなみに金堂の前にいるこちらの像は、賓頭盧尊者像(びんずるそんじゃぞう)と呼ばれるもので、釈迦の弟子である十六羅漢の筆頭とのこと。像を撫でるとその場所の病気が治るため「撫で仏」ともいわれているそうです。

さて叡福寺では正月三が日には甘酒の接待(振る舞い)があります。
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こちらで甘酒の接待が受けられます。
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ご相伴にあずかりました。寒さで冷えた体がほのかに温まりました。こちら叡福寺の甘酒接待は2日、3日もあります。

叡福寺の基本情報
住所:大阪府南河内郡太子町太子2146
アクセス:聖徳太子御廟前バス停下車
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この記事を書いた人
奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。



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