歴史記事

大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡河南町】ようやく行けたパワースポット!珍しいニギハヤヒを祀り境内に48の磐船。磐船大神社

私が担当した地域の中でも昨年の4月から1年間だけでしたが、南河内郡は「市」とは違う不思議な魅力を感じました。公共交通派にとっては行くのが少し大変ですが、むしろそれに楽しさを感じてしまうほどでした。南河内郡は明治29年に発足しました。その前の...
大阪狭山と南河内郡の歴史

【大阪狭山市】2026桜まつりがスタート!狭山池のほとり、さやか公園と前身のさやま遊園の歴史を考えた

トップの画像は昨年の狭山池の桜。私が大阪狭山市の担当になった直後の2025年4月1日に撮影したものです。大阪管区気象台は、26日に大阪市で桜(ソメイヨシノ)が開花したと発表。平年より1日早いとのこと。「PR」「PR」今年は「早すぎず」「遅す...
河内長野の歴史

【河内長野市】東高野街道に静かに鎮座する「孝子地蔵」。江戸時代の巡礼悲話とはどういうものだった?

地蔵菩薩は、河内長野市の古い街道沿いに行けばいろんなところで祀られています。名もなき地蔵菩薩もあれば、今回紹介する孝子(こうし)地蔵のように由来がはっきりしている地蔵もありますね。「PR」「PR」では、なぜ孝子地蔵という名前がついているのか...
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡河南町】河内にわか公演が決定!大ヶ塚寺内町のふもとで静かに称える天誅組長野一郎の碑を訪れる

南河内の歴史上の人物といえば、一般的には楠木正成をはじめとする楠木氏や南朝に関係する人たちを連想するかも知れません。しかし、幕末の天誅組(天忠組)のことを忘れてはいけません。【ふるさと納税】サッカー まちづくり 支援 河内長野 大阪 スペラ...
大阪狭山と南河内郡の歴史

【河内長野市・河南町】3月29日に開催する関西城郭サミットでも紹介された水越峠を見張った上河内城跡

次回行われる関西城郭サミットは、2026in烏帽子形城ということで、3月29日に河内長野市の天野山金剛寺で行われます。テーマは「中世の戦いと甲冑・弓」で、13:00~16:30(開場受付12:30)の予定。会場は天野山金剛寺です
河内長野の歴史

【河内長野市】三日市のサンリードショールームで、3月1日にcyarity marcheを開催

南海三日市駅近くにある三日市サンリードショールームで、定期的に開催されるCyarityMarusyeが3月1日10:00~16:00まで開催されます。売り上げの一部を被災地支援に充てるとのこと。「PR」「PR」今回の出店者はこちらcococ...
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡千早赤阪村】2月28日に文化協会によるスプリングマーケットがいきいきサロンくすのきで開催

道の駅ちはやあかさかやくすのきホール、郷土資料館に隣接したところにあるいきいきサロンくすのきで、2月28日に文化協会会員の作品がお手元に見られるスプリングマーケットが開催されます。時間は10:00から15:00までです。
河内長野の歴史

【河内長野市】天見にある出合ノ辻の由来に迫る!鎌倉時代末期に勃発した安満見合戦の場をおさらい

※戦いが行われた(正慶二年正月五日:旧暦1月5日が今年の場合、2月22日になります)のでこの日に合わせました。(2022年8月24日アーカイブ記事です)【ふるさと納税】河内長野市を応援してください! 大阪府河内長野市 応援寄付金 1000円...
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡太子町】奈良県境・二上山雄岳にも日本遺産があります。葛城修験第二十六経塚二上山 陀羅尼品

南河内郡太子町といえば、聖徳太子御廟を始めとする複数の天皇・皇族陵や日本最古の国道(官道)とされる竹内街道を連想するかもしれません。しかし、もうひとつ忘れていけないのは、奈良県葛城市との境付近にある日本遺産の葛城修験です。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡千早赤阪村】大阪唯一の村の玄関。古い建物が残る森屋のまちなみを歩きながら歴史に思いを馳せる

村役場や道の駅がある地域は河南町や富田林から入るルートからが近いので、千早赤阪村の玄関と言えそうです。その場所にあるのが森屋です。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡千早赤阪村】泉北と繋がる府道は大阪唯一の村にある寺院前が起点。そこに昭和の工事に関する碑が

西楽寺の道路を挟んだ反対側に、大きな石碑があります。西楽寺の歴代院主のひとりが昭和時代の道路工事に深くかわかっていたという証となる石碑です。紀功碑のおかげで、そんな歴史が森屋や富田林佐備にあったことを知ることができました。
河内長野の歴史

【河内長野市】河内長野最南端の住宅地南ヶ丘に隣接。意外なところから428年前に分祀した中山天満宮(2月8日分・メイン記事)

ということで中山天満宮を紹介しました。中山天満宮の存在が、加賀田の中に「中山」という地区があったことを知ることになり、また南ヶ丘とのつながりも感じました。住んでいる人の知り合いや友人がいない限りあまり南ヶ丘に行く機会はないと思いますが、バス無料デーのタイミングでショートトリップしてみるのも楽しいです。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡河南町】地区名は中だけどバス停名は「中村」。旧中村の中心、中地区に残る中村神社跡と村の足跡(2月7日分・メイン記事)

河南町中(中地区)は(旧中村)です。本来なら中バス停が正しい気がしますが、中村バス停になっています。そして旧中村の中心には中村神社跡があり、そこは広場になっていて地車小屋などがあります。
河内長野の歴史

【河内長野市】豆まき、恵方巻と違う天野山金剛寺星祭大法要・柴灯大護摩供。法螺貝と真言が鳴る迫力火祭り

しかし、本来節分は季節の変わり目のことを指すので、年に4回あリます。その中でも立春の前の節分は旧暦では正月節と呼ばれ、最も大切にされたそうです。そのためこの時に魔を祓い福を呼び込む様々な行事が行われるようになりました。したがって上記の定番のもの以外にも、このタイミングで様々な行事が行われます。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡太子町】飛鳥川に架かる日本最初の官道、竹内街道。飛鳥川に架かる六枚橋の名前の由来とは?(メイン記事)

六枚橋と新六枚橋を取り上げました。何気ない交差点やバス停の名前から、実際の橋を確認し、さらに由来までチェックすると、竹内街道の散策により深みが増すと思いました。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内河南町】神山にある古代の書物にも名前が残っている鴨習太神社の歴史や由来とは

神社の創建は不明ですが、古代の書物で927(延長5)年に「撰上(せんじょう:編纂した書物を天皇に献上)された延喜式神名帳に「河内国石川郡 鴨習太神社」との記載があり、他の石川郡式内社九座(神社)に記されていることから、西暦900年代にはすでに存在している由緒ある神社です。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡太子町】二上山雄岳山頂より一段低いところに鎮座。奈良県との境周辺に大津皇子の墓があります

大津皇子の墓を紹介しました。二上山山頂ではなく少し低いところに墓があるのは、かつて二上山が二神山と呼んで神聖化していたので、少し遠慮した場所に埋葬されたのかもしれません。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【大阪狭山市】山本自治会館の隣にある大平大明神。江戸時代に開拓した新田の地に鎮座する神と由来とは

西高野街道の山本新田だったあたりに残っている大平大明神という名前の小さな社に立ち寄ってみました。ちなみに山本の地車小屋から西高野街道を北に向かって歩いています。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡太子町】古くて新しい緑の一里塚は、日本最古の国道竹内街道の休憩所を整備。太子町にあるものは

一里塚は、かつて街道を旅する人々にとって里(り:約4km)ごとの目印です。竹内街道に限らず、西高野街道にもあります。昔の人は一里塚の上に生い茂る木に立ち寄ってつくられた木陰が休憩所の役目を果たしていたそうです。
大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡河南町】昔の字(あざ)名を冠した南北朝時代作と伝わる石像が鎮座する神山の馬場地蔵

「字(あざ)」である神山の中心部に古くからご利益があると知られた「馬場地蔵」、そして隣に鎮座し、交通安全を願って新たに安置された千手観音菩薩は、今日も地域の人々を見守っています。
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