【松原市】天美にかつてあった「弁天池」とは?説明板からたどる地名の由来と消えた池の記憶

南河内北部の歴史
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河内天美駅からセブンパーク天美までの間にはバスも走っていますが、私は雨が激しい時以外は歩いて向かいます。その途中で気になるものを見つけました。

それは河内天美駅から北方向に歩いてこちらの交差点に来た時です。

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今は存在しない?「弁天池」の交差点

交差点の名前が「弁天池前」と書いてあります。当初は弁天池が近くにあるのかなと思ったのです。

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しかし、どうみてもあるのは鉄筋コンクリートの建物しかなく池らしきものが見当たりません、いったいどういうことでしょう。

そのヒントは交差点の近く、介護老人保健施設「松原徳州苑」の入口にありました。

こちらです。比較的新しく建てられた雰囲気の小さな社や燈籠があります。これだけなら「施設の近くにあった古い祠を新しく安置しなおしたのかな」くらいで終わるのですが、左手にこの社の意味がわかる説明板がありました。

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それがこちらです。この説明板には、かつてこの近くには松原弁天池という池があったことが書かれていました。そして遠い昔は「海」であったと書いてあります。そのことについて調べると興味深いものが見えてきます。

河内湖の記憶を残す池。天美の地名と、消えた弁天池の物語

(このイラストは東が上になっています)

現在の大阪平野は、かつて今とは大きく異なる地形をしていました。

古代には、大阪平野の広い範囲に低湿地や水域が広がり、そこには河内湖と呼ばれる大きな淡水の水域がありました。

さらに河川が運ぶ土砂の堆積や地形の変化、人々による開発などを経て、湖が小さくなり少しずつ陸地が広がっていきました。

松原市天美の歴史をたどると、こうした水辺の風景を思い起こさせる「依網池(よさみのいけ)」という大きな池が登場します。

『日本書紀』には、崇神天皇の時代に河内湖の一部から依網池を造ったという記述があり、松原市の解説では、その池は周辺の農地開発や灌漑に利用されたと考えられています。

ただし、河内湖と依網池がどのような位置関係にあり、どこまで直接つながっていたのかについては、不明な点が多いようです。

その後、1704年(宝永元年)の大和川付け替え工事によって、依網池は大きく姿を変えました。

新しい大和川が池を横断するように付け替えられたため、池の一部は埋め立てられて農地となりました。古代から続いた池は、時代とともにさらに縮小していきます。河内天美駅の東側にも、その名残とされる池がありました。それが弁天池です。

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地元に残る説明板によると、この場所には五万坪池や池内池など、地域の池の歴史を伝える名前が残されています。

なかでも池内池には中央に島があり、鳥居を立てて弁財天を祀っていたそうです。島には木々が茂り、そこに弁財天のお社が設けられたことから、池は「弁天池」と呼ばれるようになったと伝えられています。

かつて河内天美駅東側のロータリー付近に弁天池がありましたが、池の大半が埋め立てられた後、弁財天の社殿が移されていきます。

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松原市教育委員会の『まつばらいろはかるた』の「も」が弁天池のことを取り上げています。「杜の島 鳥居が浮かぶ 弁天池(モリノシマ トリイガウカブ ベンテンイケ)」という読み句です。

2022(令和4)年に弁天池も埋め立てられた後に施設が造られ、現在の街並みへと変わります。しかし弁財天の社殿は敷地内に新しく建て直され、今も信仰が受け継がれています。

天美の地名の由来も紹介

なお、天美という地名にも、古代の人々の足跡が伝えられています。平安時代に書かれた『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』には、依羅連(よさみのむらじ)の祖先として、百済の人「素禰志夜麻美君(そねしやまみのきみ)」の名が記されています。

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この「夜麻美(やまみ)」が「阿麻美(あまみ⦆」となり、現在の「天美」という地名につながったと松原市では推察しています。

ちなみに、阿麻美許曽(あまみこそ)神社は、天美地区の人々が氏神として信仰してきた古社です。

なお、現在河内湖の名残とされる場所は門真市の公園にある池だけです。弁天池公園という名前なので、奇しくも天美にかつてあった池の名前と同じでした。

太古の水辺から、古代の大池、渡来系氏族にまつわる地名の伝承、そして弁天池の消失後に、社殿が移築され現在に至っています。

天美駅を見ても、かつてここに水をたたえた池があり、島の鳥居と弁財天のお社が人々の暮らしを見守っていたことはすぐには想像できないかもしれません。

それでも、地名や説明板、古い記録をたどることで、この土地が歩んできた長い歴史の一端が見えてきます。

河内天美駅からセブンパーク天美に向かって歩いていた途中で偶然見つけた社と説明板から天美の歴史を知るきっかけになったのも、何かのご縁を感じました。

天美・弁天池跡の説明板と社

住所:大阪府松原市天美東7丁目
アクセス:近鉄河内天美駅から徒歩5分程度

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この記事を書いた人

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大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。

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