【堺市】「堺はだんじり禁止になった」は本当か? 実際に調べると意外な事実が見えてきた

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先日、堺市内でのだんじり曳行に関するニュース(事故)もありました。幸いにも死者が出たという発表は無く(軽傷との報道)安心しましたが、そもそも堺のだんじり文化はどのような歴史を歩んできたのでしょうか。今回はその歴史的背景について振り返ります。

① 北野田駅前を賑わす、熱気あふれる地車の看板

秋が近づくと、堺市東区の北野田駅前には見事な地車(だんじり)の看板が掲げられ、街は一気にお祭りムードに包まれます。

「高松」「丈六」「北野田」「南野田」などの地車が集うパレードは、鳴物の音が響き渡り、多くの見物客で賑わいます。駅前に掲げられた看板からも、この地域に根付く地車文化の存在を感じることができます。

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② 「堺はだんじり禁止になった」は本当?

この光景を見て、「堺は昔、だんじりが禁止されてふとん太鼓になったのでは?」と思う人もいるかもしれません。

しかし、これは少し誤解を含んだ話です。

現在の堺市には、東区や中区、西区、南区など各地にだんじり文化が残っており、今も秋祭りでは多くの地車が曳行されています。

地元の秋祭りで祭りに参加する人や雰囲気を楽しみたいときに

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実際に地車曳行が禁止されたのは、現在の堺区中心部にあたる旧堺市街地でした。つまり、「堺全体からだんじりが消えた」のではなく、旧市街地の一部地域で姿を消したというのが実情です。

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③ 明治の大騒動が転機となった

そのきっかけとなったのが、明治29年(1896年)に起きた「堺の地車騒動」と呼ばれる事件でした。

部屋に飾れる木製の「地車(だんじり)の模型ケース付き

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当時の紀州街道は道幅が狭く、地車同士がすれ違うのも容易ではありませんでした。そうした中で地車が鉢合わせとなり、争いが発生。騒動は次第に激化し、死傷者を出す大事件へと発展したと伝えられています。

この事態を受け、旧堺市街地では地車曳行が禁止されることになりました。

ただし、現在の堺名物として知られる「ふとん太鼓」がこの時に新しく生まれたわけではありません。堺にはもともと太鼓台の文化があり、地車禁止後はそうした祭礼文化がより主流になっていきました。

④ 河内長野へ受け継がれた堺の地車たち

旧堺市街地で曳行されなくなった地車の中には、売却されて他地域へ渡ったものもありました。

その一例が、河内長野市の烏帽子形八幡神社に宮入する小塩地区の地車です。現在の地車は、もともと堺の新在家濱で使用されていたものと伝えられています。

堺の大工や彫刻師たちが手掛けた豪華な堺型地車は、河内長野の地で受け継がれ、今も秋祭りで活躍しています。

北野田駅前に掲げられた地車の看板は、単なる祭りの案内ではありません。そこには「堺のだんじり文化は今も各地で生き続けている」という事実と、堺から南河内へ受け継がれた地車文化の歴史が込められているのです。

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この記事を書いた人

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大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。

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