【南河内郡河南町】前田慶次のクチコミに導かれ、「長坂」へ。消えた戦国武将の影と、静かな集落を歩いてみました

大阪狭山、南河内郡のおでかけ・散歩記事

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冒頭の写真は地車(だんじり)小屋ですが、場所は河南町長坂です。たまたまこの地にある寺院のクチコミを見ると、「前田慶次終焉の地の可能性がある」と書かれていました。


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戦国末期から江戸初期に活躍した前田慶次(本名:前田利益)は、前田利家の甥にあたります。常識を逸脱した派手な身なりや振る舞いをする「戦国傾奇者(かぶきもの)」として、その名を知られている人物です。

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確かに神出鬼没な彼のこと、絶対にないとは言い切れませんが、一般的には山形県米沢市(堂森善光寺周辺)が最も有力な終焉の地とされています。また、このほかに奈良県奈良市(旧月ヶ瀬村)という説もあります。

(二上山にある岩屋)

ところが、Yahoo!知恵袋やとあるブログ(外部リンク)で面白い記述を見つけました。家臣の野崎知通が残した遺書によると、前田慶次は1605(慶長10)年11月9日に大和国で死亡。

墓は「刈布(かりふ)安楽寺に葬り、その林の中に廟を築き、石碑を建てた」とあり、その刈布村は「旧跡当麻寺の山を左に西へ二里行った里、茂林という。それより南へ一里なり」と記されているそうです。つまり、大和国刈布村の安楽寺が終焉の地だというのです。


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大和国の西端、二上山の山麓にある當麻寺(たいまでら)から、左(西)へ2里(約8km)進んだ里が「茂林」。そこからさらに南に1里(約4km)進むという記述ですが、そのまま辿るとある矛盾が生じます。その位置は、大和国(奈良県)ではなく山を越えた「河内国(大阪府)」になり、現在の河南町付近が該当するのです。

ちなみに、地図上でざっくり測ってみると、當麻寺から二上山麓にある岩屋を経由してそのまま直進した場合、カインズ太子店あたりがおおよそ西に2里の位置になります。そこから南に1里進むと河南町エリアになりますが、長坂ではなく寅ヶ池(とらがいけ)付近になりました。

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クチコミに登場した寺院(安楽寺)が河南町長坂にあるということで、せっかくの機会ですから、長坂の集落に何があるのかを実際に歩いて確かめてみました。


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長坂へ公共交通機関で行く場合は、富田林駅から金剛ふるさとバス、あるいはカナちゃんバスに乗り、「長坂」バス停で下車します。

河南町長坂の歴史を紐解くと、もともとあった白木村の「白木三郷(白木、今堂、長坂)」のひとつであることがわかります。

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(長坂の地車)

秋祭りになると、白木、今堂、長坂の3つの地車が「白木三郷」として揃って運行される様子が、動画などでも紹介されています。

(白木神社遥拝所)

かつて白木三郷の地車は、白木神社に宮入りしていたと考えられます。その後、白木神社が建水分(たけみくまり)神社に合祀されたため、現在は建水分神社への宮入りを行っています。

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石川郡白木村は、1889(明治22)年4月1日の町村制施行に伴い、同じ石川郡の加納村、平石村、寺田村と合併し、新制の「白木村」となりました。


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その後、1896(明治29)年に所属が南河内郡となり、1956(昭和31)年に石川村、河内村、中村と合併して現在の「河南町」が誕生します。現在は「白木」が大字(おおあざ)であり、その中に属する長坂は字(あざ・小字)にあたると考えられます。

バス停のある府道から東へ延びる道を歩いていくと、長坂の集落へと入っていきます。


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古くからの家々が並ぶ集落に一歩足を踏み入れると、細い路地のような道が増えていきました。

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集落の中を張り巡らされている用水路。今は暗渠(あんきょ:地下に埋設された水路)にすることで、道幅を広げたようです。


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ここが長坂の中心部のようです。

すぐ隣には、冒頭でご紹介した地車(だんじり)小屋があります。

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その傍らに佇む石灯籠。刻まれている文字が薄くて読みにくいのですが、「太神宮」の文字がかすかに見えました。


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もしそうであれば、これは「太神宮燈籠(だいじんぐうどうろう)」の可能性があります。伊勢神宮(太神宮)への信仰や参詣(お伊勢参り)を目的として、かつて街道沿いや村の入り口に建てられた石灯籠のひとつ、ということになります。

その近くには、地蔵菩薩も鎮座していました。

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そして、こちらが目的の「安楽寺」になります。

鐘楼(しょうろう)が見えます。


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安楽寺そのものの詳細な歴史や情報はなかなか出てこないのですが、まさに長坂の集落の中心にしっかりと根を下ろしているお寺です。

境内には手水鉢(ちょうずばち)らしきものも見えました。

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前田慶次の墓(終焉の地)については諸説あり、たまたまこの河南町付近を指し示すかのような古資料も見つかりましたが、実際の長坂にそれ以上の具体的な物証(石碑や伝承など)が残されているわけではありません。


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歴史的な可能性としては、ゼロとは言い切れないものの、限りなく低いというのが正直なところでしょう。

ただ、そんな風に「偶然見かけたネットのクチコミ」に導かれて長坂まで足を運んだからこそ、素敵な発見がありました。

集落の中心部には伝統的な家屋も多く残り、まるで富田林の寺内町や、近くの大ケ塚(だいがつか)の寺内町を歩いているかのような風情を感じさせてくれたのです。

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歴史のロマンに思いを馳せながら、地車文化を今に伝える「白木三郷」のひとつ、河南町長坂の静かな街並みを満喫した散策となりました。


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長坂・安楽寺

住所:大阪府南河内郡河南町白木299
アクセス:金剛ふるさとバス(またはカナちゃんバス)「長坂」バス停から徒歩約3分

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この記事を書いた人

奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。

 

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