【南河内郡河南町】歴史上の有力者を埋葬?町東部の巨大地区・平石にある平石古墳群のそばを歩いてみた

大阪狭山と南河内郡の歴史
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河南町の平石は、地図を見る限り小さな盆地のようになっている地区です。河南町の歴史を調べると、1956(昭和31)年に4つの村(石川村、白木村、河内村、中村)が合併してできたとあり、そのなかの旧白木村の中に平石が含まれています。

そして1889(明治22)年に町村制が施行された際に石川郡加納村・白木村・平石村・寺田村が合併して旧白木村ができたとあり、それ以前は旧石川郡平石村とのこと。地車小屋もあり歴史を感じる地域です。今回は平石から西方向に歩いてみることにしました。

ちなみに地図で河南町平石を調べるとこのようになりました。びっくりです。河南町の東側がほぼ平石だったんですね。持尾展望台があるので東側は持尾かと思っていましたが、北から南までが平石となっています。

大和葛城山から岩橋山方面をダイヤモンドトレールで歩きましたが、河南町側はほぼ全域が平石だったんですね。

散歩するのに便利なトイレがありました。旧金剛バスもなくなり公共交通でこの地域に行こうとするとバス停まで長時間歩くことになるので、公共トイレの存在は大助かりです。

(平石にある地蔵堂)

そんな東部の巨大地区・平石の歴史は古代にまで遡れます。富田林市史によると、河南町の二石室墳(外部リンク)という項目があり、河南町平石のアカハゲ・ツカマリ(塚廻)両古墳についての紹介を見つけました。

平石のアカハゲ・ツカマリ両古墳は平石地区の中心から西方向、加納地区に向かう大阪府道704号線(竹内・河南線)沿いに点在している古墳群の一部であることを知りました。

それがこちらです。地図の右側が平石地区の中心で、西に向かって4つの古墳があることがわかりました。ただ古墳公園のように整備されているのではなく、発掘調査をしたのちに埋め戻されるなどして、現在は農地になっているようです。

突然細い木が数本立っている場所が見えてきました。ここがツカマリ古墳の目印です。塚廻古墳とも呼ばれる古墳群。7世紀中ごろに築造された方墳で、1辺が44メートルとのこと。1979(昭和54)年に石室内部の調査が行われ、副葬品が東京国立博物館に所蔵されています。また2004年度にも発掘調査を行ったそうです。

ちょうど木の根元、右側の下の部分に古墳の開口部があるとのことですが、残念ながらこれ以上の確認は道路上からはできませんでした。ただ木の根元の左側を見ると確かに盛り上がっていて古墳らしさがわかります。

ツカマリ古墳からしばらく歩くと、アカハゲ古墳があります。徒歩3分ほどです。ただこの辺りは歩道がないのにそれなりに車は通るので、注意して歩きましょう。

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この辺りがアカハゲ古墳と呼ばれている地点です。河南町(外部リンク)によると、七世紀前半の古墳で、天皇陵に次ぐ大きさがあるとのこと。東西が約70メートル、南北40メートル以上あります。平たんな壇の上にさらに高さ1.64メートルの墳丘を三段積み重ねているそうです。そして最上段は東西22メートル、南北14メートル以上あって、そこに横口式石室が備えられているそうです。

こちらの白い倉庫がアカハゲ古墳の目印のようです。

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アカハゲ古墳の出土品には、漆塗りかご棺や褐色のうわぐすりをかけた陶器製円形すずりの破片などが出てきたそうです。そしてこれらは朝鮮半島の影響を色濃く示す遺物とのこと。

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途中で見つけたものです。何かの彫刻、オブジェかと思いましたがどうやら木が自然に朽ちたもののようです。

さて、アカハゲ古墳からしばらく歩くと歩道がありました。そこで道路を渡って歩道に入りました。

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あまり歩いている人が少ないようで、雑草をかき分けながら歩きました。

さてこの辺りに駕田(かごた)古墳があります。住所は平石から加納になりますが、平石古墳群として紹介されており、6世紀後半から末にかけて作られた方墳とのことです。棚田を造成した時に削られたそうですが、石室の天井石が一部露出したとのこと。発掘調査を行った結果、ふたつの石室が並列していたそうです。ただ盗掘が行われた形跡があり、埋葬品などの情報は出てきていません。

そしてもうひとつ、シシヨツカ古墳が駕田古墳の南西50メートル地点にあるとのこと。ちょうど画像の田園地帯の中にあると考えられます。6世紀末ごろに造られた方墳で、東西34.5メートル、南北25.5メートル。2002年に本格調査が行われました。

出土品として、漆塗籠棺、亀甲(きっこう)繋文(つなぎもん)銀象嵌円頭大刀柄頭(つかがしら)、鉄製挂甲(けいこう)、金銅装馬具及び飾り金具、銀製帯金具、金糸、ガラス玉、須恵器などがあったそうですが、ほとんどが破片状態だったとのこと。

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以上の4つが平石古墳群と呼ばれているものです。これらの古墳群は規模が大きいので、現地の有力な豪族ということまではわかっていますが、明確な埋葬者はわからないそうです。

いろいろな説があるようですが、面白いと思った説に、古墳時代の豪族、大伴金村の子孫ではというのがありました。

大伴氏の拠点とされる現在の富田林市の北大伴、南大伴と平石古墳群を見比べると、古墳群が活動拠点からそれほど離れていない東の山の中に点在しているので、そんな風に見えなくはないと感じました。

引き続き歩いていきます。歩道があるので安心して歩けます。

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古墳のように見える大きな山が見えてきましたが、あれは古墳ではないようです。

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河南町平石からの道はのどかな山里です。ただそれだけでなく、古墳が4つも見つかっている歴史ある場所であるし、途中から歩道もあるので、その昔を想像しながらの散歩も面白いのではという気がしました。

平石古墳群

住所:大阪府河南町平石、加納
アクセス:やまなみタクシー 平石地区・老人集会所下車から徒歩

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この記事を書いた人

奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。

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