【河内長野市】両親が培った店のDNAを引き継ぎ、東京から美加の台へ!まなびやカフェ ノワは気軽に英語学習と海外に触れる場

インタビュー記事

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多くの人に感動を与えた名店・人気店も、条件によっては閉店という道に進むことがあります。特に先日5月6日をもって閉店したカフェ蘭館富田林店は、多くの人からの反響があり、GW期間中は連日多くの人が殺到したほどでした。



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そして、店が閉店すれば物理的になくなります。そのお店の思い出を持っている人々の心の中では、ずっと生き続けているのではないでしょうか。

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(2021年12月撮影)

2021年12月、40年間(そのうち美加の台で26年)営業が続き、地域の人のためにケーキを作り続けていた老舗人気店、パティスリーノワさんが閉店するということを取材させていただきました。もう4年半ほど前のことです。

そして利用した多くの人の心の中で「思い出」として残り続けるという、他の名店と同じ道を歩むものだと思っていました。



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(4年半ぶりに訪れたノワさん。すでに先代当主、高橋さんのお父さまは他界されたとのこと)

しかし、違いました。なんと両親が培ってきたお店のDNAを引き継いだ娘さん、髙橋華子さんが東京から美加の台に戻って来て、今年から「まなびやカフェ ノワ」を立ち上げたのです。

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当初私が思ったこと、パティシエの娘さんが店を復活させたのかといえば、そういうわけではありませんでした。違う形での復活だったのです。とても気になった私は高橋さんに取材を申し込みました。

パティシエとは違う方法で両親のDNAを受け継いだ

高橋さんが始めた「まなびやカフェ ノワ」とは、簡潔に言えば言えば、英会話を楽しく学びながら異文化のことを知る機会を設けた空間です。ではなぜこのようなことを始めたのでしょうか?

高橋さんは、「3つの出来事が今の私の人生のきっかけになった」と語りました。ひとつ目は高橋さんのお父さま(先代)が海外旅行好きだったということ。そのため「幼いころから海外が身近にあったことが関係していることは間違いない」と語りました。



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高橋さんは、50カ国の渡航経験や河内長野に戻る直前まで外務省に勤務していたほどの海外通です。そして後で詳しく書きますが、今回の「まなびやカフェ ノワ」も海外を体験できる空間を意識しているのです。

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高橋さんの2つ目のきっかけは、中学校の修学旅行です。修学旅行先は長崎で、原爆の被爆者の方の話を聞く機会がありました。痛ましい歴史的事実を知り、大きな衝撃を受けたそうです。


(カナダでの犬ぞりキャンプ 画像提供:高橋さん)

高校は富田林高校に進学し、3年生の時にカナダ・オンタリオ州の高校に1年留学したという高橋さん。その留学先で3つめのきっかけと出会います。

それはイラクから難民として来ていた同世代との出会い、そしてテレビで見たアフリカのニュースだったのです。

(カナダ留学時代に家族が訪問した様子 画像提供:高橋さん)

この3つの経験が、後に高橋さんが外務省に勤務するほどとなったことは間違いなかったのです。



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大学生の時にアフリカと出会う

高橋さんは大学の進学先に、被爆者の方たちと出会った長崎大学教育学部を選びます。そこでは、平和学や英語教授法などを学んだそうですが、それ以上に大学時代に様々な経験をしたと言います。

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「それはそれはたくさんのアルバイトをしました」

例を挙げられたのを聞いて本当に驚きました。塾、深夜のホテルフロント、百貨店での甘栗・天ぷら・ケーキ・いなり寿司・化粧品販売、球場でのビール売り子、選挙スタッフなど。

(大学時代コートジボワールで学校給食の調査 画像提供:高橋さん)

もちろん、バイトだけではありません。高橋さんは大学時代にアフリカのコートジボワールに行き、現地での学校給食の調査などを行いました。

いきなりコートジボワールという、ほとんどの日本人が一体どこにあるのかわからない国に行ったわけですが、ここにも面白いエピソードがあります。

高橋さんは8月7日に生まれたので、名前が(はな)から華子さんになったそうですが、同じ日はコートジボワールが独立した日(1960年8月7日:独立記念日)だったのです。そのことを知った大学教授からの勧めでコートジボワールに行くことになり、それが高橋さんとアフリカをつなぐきっかけとなりました。



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(昨年の万博より)

ちなみにコートジボワールは、奇しくもですが、昨年の万博で河内長野と組んだブルキナファソに隣接(南西)する大西洋に面した国です。

アジアやヨーロッパアメリカあたりならどんな国があるのかある程度予想できても、アフリカとなれば、ごく一部の国しか知りません。ちなみに高橋さんによると、54カ国あるそうです。

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(マサイ族の村にて 画像提供:高橋さん)

「サハラ砂漠より南部の国に行くことが多い」という高橋さん。海外に留学したり働いたりする人は一定数いると思いますが、アフリカ大陸のサハラ砂漠より南側で働くなどの経験を持っている人はそう多くはないでしょう。



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(ダージリン鉄道 画像提供:高橋さん)

また大学時代には、ご両親とインドに旅をしたという高橋さん。お父さまが憧れていたというバックパックでのインド旅行ですが、ただ旅をしたわけでなく、ダージリン鉄道に乗ってインドの良質の紅茶を求める旅だったそうです。

4年半前の取材の時に、お父さまがこの旅のことを楽しそうに話してくれたことを思い出しました。それほどご家族にとって忘れられない旅だったのでしょう。

大学院はスイスへ

大学を卒業し、高等学校教諭一種免許状(英語)を無事に取得した高橋さんは、大学院を海外に選びました。それはスイスのジュネーブにある大学院です。そこで行われたことは、国際開発学や紛争後国家における教育の役割についての研究でした。

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(画像提供:高橋さん)

高橋さんは大学院生時代にも様々な国を訪問しています。画像はJICA(独立行政法人国際協力機構)のバルカン事務所で高橋さんがインターンを経験した時のもので、バルカン半島のコソボで空爆を受けた学校の視察です。

(画像提供:高橋さん)

こちらは夏季休暇での一コマ。ハンガリーの高校で英語を教えていた時期があり、そのホームステイ先とのこと。ハンガリーといえば、今日8日と9日に、図書館のあるキックスの1階で開催するグローバルカフェの対象国です。面白いつながりがありますね。

大学院修了後は、アフリカの日本大使館勤務や大阪市内の英語科教員など

(画像提供:高橋さん)

無事に大学院を修了(国際問題開発高等研究所開発学修士課程を英語とフランス語で修士号を取得)した高橋さんは、在コンゴ民主共和国日本国大使館、外務省のアフリカ部や国際機関への拠出金を評価する部局で8年間働きました。

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ここで高橋さんが意外なことを言います。「コンゴを名乗る国が2つあるのを御存じですか」と。

コンゴには現在、「コンゴ」と「コンゴ民主共和国」があります。同じような名前がふたつ並んでいてややこしいですが、どうやらかつて支配していた宗主国の関係で、コンゴ民主共和国がベルギー、コンゴがフランスだったからのようです。

これはインドネシア(元オランダ植民地)とマレーシア(元英国植民地)の関係に似ていますね。

(万博ではブルキナファソの隣にコンゴ民主共和国のパビリオンがあった)

あと私の個人的な印象では、かつてザイールという国名だった記憶があります。調べるとこれはモブツ・セセ・セコ大統領が支配していた時代(1971年 – 1997年)だけ名乗っていた国名です。その前はコンゴ民主共和国(その前はコンゴ共和国)とのこと。これはロシアが一時期ソビエト連邦(ソ連)と名乗っていたのに似ていますね。



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(大使館勤務時代、井戸に汲みに来る子供たちを撮影 画像提供:高橋さん)

コンゴ民主共和国時代の思い出として、高橋さんは「中国人と間違われないように日本人アピールを積極的に行った」とのこと。確かに日本人から見てアフリカ人の国籍の違いをわかる人はそう多くないでしょう。同じことが逆の立場でも言えるわけで、なるほどと思いました。

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日本ではイメージが湧きにくいですが、長年内戦や紛争を経験しているコンゴ民主共和国では今も地雷駆除などが行われていて、子どもたちが誤って地雷をおもちゃと思って触らないように、地雷の怖さを芝居仕立てにして説明するようなことも行ったそうです。

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また日本の消防員がアフリカに来たこともありました。「アフリカの人は緊急時でものんびりとしているから、それではまずいということで、素早く動く必要があることを理解してもらうように消防員にデモンストレーションしてもらった」とのこと。

「コンゴ民主共和国で自慢できること」ということで、見せていただいた画像がこちらです。これはソーラーで動くロボット信号とのこと。調べると2015年に首都に登場したとAFP BB Newsで紹介(外部リンク)されていました。

日本に戻ってからは、日本貿易振興事業(JETORO)農林水産部食品事業推進課海外見本市担当、大阪の私立高校で英語科教員の経験もしました。英語の指導経験は5年以上とのこと。やがて出会いがあり、高橋さんは結婚。そして3人の子どもに恵まれました。

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子育てに良い実家・河内長野美加の台へ、そして両親の店を

(外務省勤務時代 画像提供:高橋さん)

結婚して子宝にも恵まれた高橋さんは、昨年夏まで東京に住んでいて外務省で勤務をされていたそうです。そんな高橋さんですが、突然河内長野の美加の台に戻ってきました。もちろん生まれた実家があるのですから、鮭のように故郷に戻ること自体は不思議ではありません。

戻ってきた理由のひとつは、ご主人さんがエジプト勤務になったこと、もうひとつは子育てです。1歳、3歳、6歳と小さなお子さんがいる高橋さんにはひとつの思いがありました。それは「こどもには手作りのものを食べさせたい」ということも含め、自然豊かな環境で育てたいということです。



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こうして緑に囲まれた美加の台に戻ってきた高橋さん、当初は外で働くことも考えていたそうですが、いちばん下のお子さんは1歳ということもあり、家でできることはないかと考えた時にひらめきました。「両親が続けていたお店を違う形で再開しよう」と。

高橋さんはパテシェではないので、かつてのパティスリーノワそのものの完全復興はできませんし、すでに先代のお父さんは他界した後なので、新たに技術を学ぶこともできません。

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しかし高橋さんは「自分には海外経験という資産」があることに着目しました。これまで50カ国訪問の経験を活かそうと思いついたのが、「まなびやカフェ ノワ」だったのです。

従来の英会話スクールとは一線を画す。カフェを通じて異文化と英会話を学ぶ

今回新しく始めたまなびやカフェ ノワは、従来の英会話教室とは一線を画したものにしたいと語ります。高橋さん自身が英語を完全に取得するまで苦労したという経験も活かしたい、完璧にはできないものの、ご両親が続けた「パティスリーノワ」のお菓子と飲み物を英語に触れながら楽しんでほしいという願いも、そこに込められています。

(画像提供:高橋さん)

実はカフェの閉店後にお父様が購入したコーヒー焙煎の機械があるそうで、これを活用することになりました。アフリカ滞在経験豊富な高橋さんらしく、アフリカのコーヒー豆を輸入してそれを焙煎したものを提供しようと考えたのです。

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(エチオピアのコーヒーセレモニー 画像提供:高橋さん)

エチオピアはコーヒーの発祥の地とも言われており、世界で初めてアラビカ種が発見されたとされ、コーヒーの原木があると言います。高橋さんはコーヒーの原木の近くにある村のコーヒー豆を仕入れて自ら焙煎して出しています。



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つまり、コーヒーのこだわりは、並のカフェ以上のレベル。先代のご両親が店で培ってきたDNAをみごとに引き継いだのです。

(特別なご厚意でいただいたシュークリームは、ほんとうに美味でした)

そしてパティスリーノワ時代のケーキ作りの機械の多くはすでに処分されてしまっていることもあって、その頃のままのものは作れないけれど、お父様にに習ったことを思い出しながらできるものからとお菓子作りにも励んでいる高橋さん。

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通常は焼き菓子を中心に提供しますが、5名以上のグループの時にはケーキを出せるということなので、生徒さんは思い出のパティスリーノワさんを追体験できるかもしれません。



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不登校のお子さんに異文化のすばらしさを伝えたい

高橋さんに限らず海外に長く住んでいる人が良く言う言葉に、「日本は窮屈」という言葉があります。海外渡航経験のない人には当たり前のことも、外を知っている人からしたら窮屈に感じる、私も海外渡航経験があるので頷けます。

そんなダイナミックな異文化の話ができるから、高橋さんは不登校になっているお子さんに1歩前に出る「きっかけ」となるお話ができるかもしれないと言います。もちろん不登校では無いお子さんも大歓迎。学校のようなカリキュラムではなく、目標を一緒に整理することから始め、「英語耳」を作ることで相手に伝わる発音を学びます。

一般的な英会話スクールでは、そういう発音や文法の勉強ばかりという印象がありますが、高橋さんの過去の経歴を元にした様々な珍しい体験のお話が聞けます。特に次世代を担うお子さんの場合は、新しい知識を得ることで「自分も」とチャレンジ精神が湧き、やがて大きな飛躍につながる可能性が出てくるかもやしれません。

(南アフリカのケープペンギン 画像提供:高橋さん)

高橋さんも冒頭に書いた「3つの経験」があったからこそキャリア形成につながりました。そういうきっかけになるかもしれないから、ぜひ気軽に来ていただければという願いがあるそうです。



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年配の生徒さんも大歓迎

高橋さんは「私よりも年配の方からの問い合わせも多いんです」と言っていました。生徒さんの募集を始めてからは、50代から70代の方からの問い合わせも多数きているとのこと。

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(新年の伝統儀式で村人たちと祈りをささげて牛やヤギの命を頂く 画像提供:高橋さん)

中には人生のやり残しとして英語を学びなおしたいという方、自然の中でお茶をしながらゆるく海外のことを学びたいと連絡いただく方、あるいはおしゃべりしたいという方、ただお茶をしたい人など、多彩な理由で来てくださっているそうです。



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(世界最古とされる ナミビア・ナミブ砂漠 画像提供:高橋さん)

「私より海外経験の豊富な方もいらっしゃいます」という高橋さん。「老若男女問わず、気軽な気持ちでお越しいただければ嬉しい」と何度も何度も言われました。

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(インドネシアのジョグジャカルタにあった震災後のキャンプ 画像提供:高橋さん)

また高橋さん自身が英語で苦労した経験があるので、どちらかというと英語を学びなおしたかったり、初心者の大人の方や、英語に苦手意識をお持ちのお子様などに英語の楽しさを知っていただくきっかけ作りができたら嬉しいとのこと。



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夏休みの頃に何かイベントをするかも

今後の予定についてお伺いすると、まず母の日向けに、お子様がお小遣いで受けられるワンコインのワークショップを行うそうです。その後のことは、具体的に何も決まっていないけど、夏休みに何かできたらいいなということでした。

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インタビューの最後に、高橋さんは次のように締めくくられました。



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(現地の石を持ち帰って展示している)

「海外をいろいろ見てきた私からすると、日本ってとても窮屈です。でも同時にとても恵まれてもいると思うのです。恩着せがましくはなりたくないけど、なんか面白そうな人が、一生懸命話してるな、いろんな人生があるんだななんてことを感じて欲しいです」

(ご両親が行っていた旅の思い出を高橋さんも踏襲)

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「少しでも興味を持ってくださった方がいれば、私に気軽にメッセージをください。性別年齢問わず、いろんなお話ができると思います」

ということで、まなびやカフェ ノワさんをご紹介しました。とても豊富な海外経験をお持ちで、アフリカのコンゴ民主共和国にある日本大使館勤務など、実は凄いキャリアをお持ちの高橋さん。美加の台で老若男女問わずに美味しいものと英語を楽しめる空間を始めました。

そして、普通ならパティシエのお店を継ぐのはパティシエと思いこんでしまう「当たり前」をあえて否定し、全く違う形で継承することになった高橋さん。形は違えどDNAを受け継いでいることは間違いないと感じながらお店を後にしました。



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なお、「まなびやカフェ ノワ」は、基本は2千円/回で設定していますが、ご兄弟やお子様と一緒などの場合には、金額についてはその都度ご相談という形を取っています。月謝制ではないので、単発参加もできます。まずはお気軽に高橋さんに連絡してみてはいかがでしょう。

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まなびやカフェ ノワ

住所:大阪府河内長野市美加の台5丁目6-1
電話:070-2423-2065
アクセス:南海美加の台駅からバス 延命寺口バス停 下車徒歩1分
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この記事を書いた人

奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。

登録いただいた方には、少し踏み込んだ情報もお届けします。 通常の記事に加えて、登録者限定の裏話も配信! ここだけの話も、そっとお届けします。

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