【河内長野市】「農ある暮らし」の懸け橋に!空間デザインからマルシェまで、人と農を繋ぐ空庭さんの挑戦

インタビュー記事

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梅雨入り前の初夏というのもあるのでしょうか?5月23日から24日にかけてはイベント特異日というべき日となっていて、くろまろの郷、寺ケ池公園、富田林のレインボーホールとすばるホールなど、それなりの規模のイベントが乱立していているため、どこに行こうか迷ってしまいます。

そんな中、大阪府立花の文化園で、恒例となりつつある第5回「みどりめぐるマルシェ」が行われます。地元の、ひと、コト、モノがつながるマルシェということで9:30~16:30まで行われます。

マルシェといえば、半ば飽和状態ではと思えるほど毎週どこかで行われている印象があります。

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そんなマルシェがまだ一般化する前、マルシェ黎明期と言える時代に大阪市内で始まったぐりぐりマルシェの仕掛人が、みどりめぐるマルシェの運営者であることを知っている人はそれほど多くないのではないでしょうか?

(大阪難波神社で行われてたぐりぐりマルシェ)

その方は中川(旧姓山内)美陽子さん(以下、空庭さん)です。実は私が河内長野に引っ越しをする前から空庭さんとは面識があり、かねてからパワフルに活動されている方という印象を持っていました。そんな空庭さんが「みどりめぐるマルシェ」として河内長野に来た時には本当に驚いたものです。


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そして5回目を迎えた今回、空庭さんにインタビューを依頼させていただき、みどりめぐるマルシェを運営する空庭さんがどういう方なのがご紹介しようと思います。

東京の大学で空間と農を学ぶ

(東京・右に見えるのが皇居・江戸城跡)

空庭さんは大阪市内の谷町4丁目生まれです。現在の活動をするきっかけになったのは大学でした。高校は京都だったこともあり、大阪、京都の次は東京の大学行きたいという願望があり、東京農大に進学します。


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当時の農学部農園学科(現:デザイン農学科)では、建物以外の空間デザインを手がけるための学びの空間でした。その分野には造園などが含まれます。そして造園から植物へと繋がり、関心ごとが植物になりました。主に空間を交えた人と植物の関係性や魅力的な共生を学びます。

大学には造園業の後継者など、より専門的な人も多くいたため、空庭さんは一通り勉強をしたものの、「専門的な人には叶わないし、極められない」と感じたそうです。また建物にも興味があったため、まちづくりの本を読み、他の大学に行って学んだりもしました。

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(自然の山には曲線がある)

空庭さんは恩師の名前として、東京農業大学名誉教授で元学長の進士五十八(しんじ いそや)先生の名前を上げました。先生の研究室で学んだ空庭さんは、特化型ではなく歴史、空間、本質など総合的な研究(アメニティデザイン)を学びます。

空庭さんはこの研究がとても面白く、その世界に傾倒したと言います。やがて「都市と植物の関係」「田舎のデザイン」等を考えていくうちに、天然の空間は曲線が多い「デザイン」だといったことに気づきます。

(あえて「百姓」の名前で活動する笑ノ百姓さん)

また「百姓」という言葉に注目しました。都会の人は、行う仕事の役割が決まっている。それに対して農家の人は「百の仕事」と言われるほどいろんな作業をしている。空庭さんはそいういうことに関心を持ち、少しずつ「農」の世界に傾倒していきます。


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コンサル会社で3年働いた後、独自の道へ

その後、大学院を経て大阪に戻ってきた空庭さん、まちづくりシンクタンクのCOM計画研究所で3年間働きます。COMの高田昇社長は大学の先生で、立命館大学の教授だったこともあって、造園デザインも一部、業務としてしていたそうです。

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「社長は植物のことが詳しかった」ので、COM時代はワークショップなどを通じて造園業者同士を引き合わせるようなこともしていて、週末には河南町の里山クラブの活動にも参加していました。

しかし、空庭さんは3年でCOM計画研究所を退職しました。理由はこのままいても芽が出ない気がしたからだと言います。

背景として、コンサルタントとして自立するには10年くらい助手をやらないと難しいことに加え、ガーデンデザイン事務所はオーダーを受けて庭づくり、つまり依頼主のための庭づくりになります。


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空庭さんとしては「依頼ではなく、普通の生活者が緑のある暮らしができる空間づくり」を考えていたため、方向性が違うと判断。結局会社を退職し、自分の信じる道に行くことになりました。

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実家の屋上を「都会に浮かぶ空の庭」に

(大阪市内谷町4丁目にあった空庭さんのかつての実家。現在は取り壊され中崎町に移転)

当時は志はあっても依頼してくれる人がおらず、仕事が無いので一時的にバイトをしようかと考えていた空庭さん。この時にあることを思い出します。


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それは「実家の緑化」です。空庭さんの実家は谷町4丁目にある一棟建てのビルでした。

ビルを建てる時から空庭さんの祖母が畑を作ることを考えていたらしく、屋上に畑があります。

空庭さんは小さいときに手伝ったことを思い出しました。しかし、学生以降そのことも忘れていて、祖母は高齢で施設に入居したことでその畑は放置された状態だったのです。

(屋上の緑化空間:谷町空庭 筆者撮影)

「まずはそこからやろう」と考えた空庭さんは同じ大学に通っていた友人に手伝ってもらい、半年かけて改善します。土木関係からやり直して無事に屋上が緑化の場所として形になりました。

その時に名前を「空庭」と命名したそうです。コンセプトは「都会に浮かぶ空の庭」です。

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季節を感じるものを植えて簡単に管理できるようになれば空庭は都会の里山となり、やがて循環型社会の理想形に近づくスペースになると考えました、

そこで営業の許可証を取り、同じビルの空きスペースをリノベーションして里山カフェを始めます。


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「少しオーガニックも意識して、野草のお茶を出した」という空庭さん。繁盛とはいかないもののお客さんの来店があり、それは新しい人脈の形成と新たな知識を得るきっかけとなります。

(屋上の緑化空間:谷町空庭 筆者撮影)

その一方で庭づくりの仕事についても行っていたと言います。空庭という「モデル」ができたことで、都会の土が無いような狭い場所でも十分な庭が作れるということが実証でき、そのおかげで庭造りの仕事がぼちぼち入ってきたそうです。

一例として、20年ほど前には大手前病院の屋上の緑化も手掛けました。病院の見舞客が患者と一緒に屋上を見学した時にみんなびっくりしたそうです。

デザインから畑の転換

(屋上の緑化空間:谷町空庭からビルを見る 筆者撮影)

造園関係での仕事は、デザインの庭造りに関する責任問題などのリスクも高く、だんだん負担が高いと感じた空庭さんは新たなこととして「農のある暮らし」のほうに傾倒していきます。

それは「デザイン」ではなく「畑」でした。河南町の里山クラブの活動に参加していた経験もあり、これからは畑(家庭菜園)のほうで、みんなが気楽にできる方にシフト変えを考えました。

ちょうどスローライフや家庭菜園ブームというタイミングも重なったことから、空庭さんは「空畑構想」ということで、空畑クラブを立ち上げました。空庭屋上で1年くらい行い、「みんなで家庭菜園を」というコンセプトで行いました。

ところが、これ自体が1年程度でとん挫してしまいます。空庭屋上でできることが、各家庭ではできなかったことです。原因は日当たりと風通しの問題だったからです。

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「空畑が難しいならどうしようか」空庭さんは考えます。当時世田谷区には市民農園がありましたが、大阪にないことに気づきます。何かできないかと考えた時に、空庭さんが「大阪の師」と仰いでいる人と知り合います。


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それは有機の循環型農園を手掛けている枚方の杉・五兵衛さん(外部リンク)でした。空庭さんは、杉・五兵衛さんに教わりながら、作物を大豆に絞りました。作った大豆で味噌を作るところまでやろうと考えたのです。

メンバーは空畑で知り合った人たちで、50人で大豆の作付けから味噌づくりまで2年行った後、今度はコメと野菜作りを5年ほど行ったそうです。

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農のある暮らしのために野菜販売を

空庭さんは、多くの人脈を駆使してコーディネートになるのは得意としながらも、自ら作業をすることは無理だと感じているそうで、「自分には到底できないからこそ、毎日土に向き合い、私たちの食を支えてくれる農家の方々を心からリスペクトしています」と言いました。

またコーディネートだけだと徐々に居づらくなるといい、結局抜けることになります。そうなると創設者というだけになってしまう。空庭さんは迷います。


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杉・五兵衛さんのようなノウハウもないながらも、空庭さんは「農のある暮らしを」との思い、理想と現実のギャップを考えながら様々な農家さんとの対話を通じて、ようやく出た結論が「有機農法を知ってもらいたい」ということに繋がりました。

農家さんは有機農法で作物を作ることはできても、自分たちで売るのがうまくできないという問題がありました。「有機を知ってもらうきっかけになる」ということで、今度は野菜販売を始めます。

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ところが、なかなか売れずに赤字になってしまいます。「知ってもらう分には良いが、赤字のままでは」と空庭さんは悩みます。

6次産業プランナーとしてマルシェでの販売を

そんな中、農水省の制度として6次産業総合推進事業で6次産業化プランナー制度が始まり、空庭さんは15年ほど前に6次産業化プランナーとなりました。


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ちなみに6次産業とは農林漁業者(1次産業)が自ら収穫物の加工(2次産業)や販売・サービス(3次産業)までを一貫して行うことを言い、その6次産業を総合的に支援する専門家のことを6次産業プランナーと言います。

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(AIで作成)

背景として、元々の考えとして農家が生産から販売まで全部しなければならないと考えられていました。

しかし、現実問題として販売方法も多様化している現在では、農家さんがすべてやるのには限界があります。生産のことはわかっても販売についてはわからないことも多いため、販売業者とのマッチングで活用すべきという考えに代わりつつありました。


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そんな中、空庭さんは、農家さんと消費者の出会いを増やす機会が必要だと考えました。その中でひらめいたのがマルシェでした。

マルシェ(Marche)とは、本来フランス語で「市場」を意味しますが、スーパーなどでの販売ではない、蚤の市のようなシステムを用いて販売しようと考えました。

本来の蚤の市では骨董品などの販売が主体になりますが、空庭さんは骨董品の代わりに農家さんが持ち寄った農産物を販売する場の提供を考えたのです。

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そして直接農家さんの思いが消費者に直接伝わる仕組みを設けることで、スーパーにはないコミュニケーションの場となり、それが有機農法を消費者に最も直接的に説明できる方法だと感じたのです。

(画像のお茶の水駅の隣にある水道橋でマルシェを開催)

こうして空庭さんは東京の水道橋で初めてマルシェを行いました。まだマルシェの黎明期と言われたころのことです。そこから今回のみどりめぐるマルシェなどに繋がっていきます。


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空庭さんはマルシェを行いながら農家さんの支援を行うために行政との関係をつなぐなどの活動を行いました。

「普段、土と向き合っている農家さんは、都会の会社員の人と話すことが嬉しいそうです」と空庭さん。そうして中之島や御堂筋の大阪マルシェホンマモンなどに関わっていました。

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難波神社で行ったマルシェと米粉ラバーズ活動

そんな中、空庭さんはついに初めて自分でマルシェを立ち上げました。それは大阪のへそと言える難波神社で行っているぐりぐりマルシェです。四天王寺のマルシェ経験があった空庭さんは、それほど場所代が高くない寺や神社でマルシェをすることを考えたのです。

難波神社は知り合いの骨とう品店から紹介されました。当時の難波神社境内は何もやってなかったので、もっと賑やかにしたいと神社関係者は考えていました。そこで空庭さんは難波神社の宮司に毎月マルシェをやりたいと相談し、許可を得ました。


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こうして月1回のコンセプトで始められた難波神社のぐりぐりマルシェは現在も続いています。(※現在は2カ月に1回、実施月でないときは、中船場で実施中)

マルシェを成功させるにも様々なノウハウが必要だと空庭さんは言います。「例えば生鮮のままでは利益に限界があるから加工品にすべき」というようなことも一例です。

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そんな中、米の消費量が減っているという現状を打開するために、米加工品で何かできないかと考えました。ちょうど「グルテンフリー(グルテンが小麦に含まれているので小麦の食品を食べない)」という考え方がクローズアップされるようになってきた時期。

空庭さんは小麦に代わって、米粉を使ったパンやその他の料理に使えないかと、米粉づくりとその啓蒙にも携わります。そのことを「米粉ラバーズ」と銘打ち活動を行いました。


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米粉ラバーズ活動は、結果的に米粉を使ったパン作りなどを行う先生を数多く生み出しました。

(西村製作所の気流粉砕機で米粉を作る 筆者撮影)

ちなみに八尾の西村製作所は、従来の米粉とは違う方法(気流粉砕)で米粉を作る機械を開発して、ミャンマーなど海外の米の生産地に製品を納品しています。

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空庭さんは西村さんを通じて補助金を得たことで、米粉活動を積極的に実施。西村製作所の所在地であるため「八尾は米粉聖地」と銘打ったマルシェも行っています。


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河内長野はマルシェに最適な場所

そんな空庭さんは、大阪府立花の文化園の指定業者さんの依頼で、みどりめぐるマルシェに携わっています。

空庭さんの経験上、都会の真ん中で行うマルシェは意外に苦戦するそうで、むしろ郊外の住宅地で行うマルシェのほうが住民との距離が近く成功しやすいとのこと。鶴見緑地のマルシェも好評です。

そんな中、花の文化園さんはぐりぐりマルシェの思想にとても共感を持っているそうで、今後も展開していけたらと考えているそうです。また地元の出店が多いことも、魅力的なマルシェとなっています。

最後に今後についてお話を伺いました。空庭さんは、「もっと真剣に食べ物のことに取り組みたい」と語りました。「日々手に入る食べ物は簡単に作られるものではないからもっとリスペクトが必要だ」とも言われました。

出来るだけ近場で採れるものを食べるようにした「つなぐあぐり(ツナグリ)」を勧めながら、緑のある楽しい暮らしが続けていける社会ができればと締めくくられました。

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ということで、空庭さんのインタビューを終えました。空庭さんのパワフルな活動ぶりにいつも元気をもらいます。そんな方が河内長野とつながったことが住んでいるものとしてはとても嬉しいことだと感じました。


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大阪府立花の文化園(第5回 みどりめぐるマルシェ)

住所:大阪府河内長野市高向2292-1
日時:5月24日(日)9:30~16:30
アクセス:南海・近鉄河内長野駅からバス 道の駅奥河内くろまろの郷バス停から徒歩5分、上高向バス停から徒歩10分
空庭さんの公式サイト「ソラニワ」(外部リンク)

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この記事を書いた人

奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。

 

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