トップの画像は昨年の狭山池の桜。私が大阪狭山市の担当になった直後の2025年4月1日に撮影したものです。大阪管区気象台は、26日に大阪市で桜(ソメイヨシノ)が開花したと発表。平年より1日早いとのこと。
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今年は「早すぎず」「遅すぎず」という感じでお花見が楽しめそうです。ちょうどタイミングの良いことに、昨日27日から2026桜まつり〜春がスタートしました。4月7日まで行われる予定なので、ちょうど桜の咲き始めから満開にかけての良いタイミングで行われそうです。
4月7日まで「2026桜まつり」がスタート

(狭山池北堤:2025年4月1日撮影)
大阪狭山市の公式ページによると、ライトアップが日没から午後10時までの予定で行われます。期間中の土日、3月28日(土曜日)3月29日(日曜日)4月4日(土曜日)4月5日(日曜日)の4回はキッチンカーが10:00~16:00までの予定で出るそうです。
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さらに今日28日は特別な日です。藤井寺市岡1丁目にある大阪渋谷麦酒で醸造された大阪狭山市のクラフトビール「さやま日和」の試飲会が11時から行われます。「デラウェア」、「トマト」に加えて、「さくら」が登場する予定で、先着順ですが、車や自転車を運転する人や20歳未満の人は飲めませんので、お気を付けください。
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さやか公園は狭山藩下屋敷の跡地

今更ながらなのかもしれませんが、狭山池の東側にあるさやか公園は、元さやま遊園、さらにその前にあったのは狭山藩下屋敷です。狭山藩をおさらいすると、関東の戦国大名で豊臣秀吉と最後に戦った後北条氏の末裔が、江戸時代を通じて(江戸時代という時代全体に)に存在した藩です。
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江戸時代にできた狭山藩の初代は、戦国時代に関東に勢力があった大名、後北条氏の4代当主氏政の弟で、5代当主氏直の叔父にあたる北条氏規(ほうじょう うじのり)です。

(狭山の地車に後北条氏と狭山北条氏の北条三つ鱗(ほうじょうみつうろこ)がある)
関東の後北条氏は豊臣秀吉に滅ぼされますが、後に北条氏規は秀吉に許されて狭山城主となります。2代目の氏信の時代、1616年に狭山陣屋(城の代わりに設置された屋敷)が築かれ、3代目の氏宗の時代1637(寛永14)年に完成しました。
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一瞬混乱するのは、狭山藩陣屋跡が狭山池より北東の場所に石碑があるため、さやか公園の位置からずれていると感じるかもしれませんが、さやか公園にあったのは下屋敷です。
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陣屋跡地には上屋敷として、藩主の住む御殿が1637年に完成したとあります。それに対して下屋敷は池の畔の別邸として、五代目の氏朝(うじとも)の時代に陣屋の拡大に伴い作られたもので、1709年に完成しています。
狭山藩下屋敷の跡地がさやま遊園に

明治時代になり狭山藩が無くなってからも北条家の所有物だった下屋敷のエリアでしたが、その後、北条家の関係者が当時の南河内郡狭山村の村民のために有効活用してほしいということで広大な土地が寄贈されました。
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(さやか公園内にある下屋敷があったことを示す看板)
寄贈された土地は、1938(昭和13)年5月に南海電鉄系の遊園地としてさやま遊園が誕生しました。
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しかし、すぐに戦争が激化し戦時中や終戦直後は休園したまま荒廃したそうで、1952年から3年間は狭山競争場という競艇場もあったとのこと。

1955年に競艇場が住之江に移転後、1959年に再び南海電鉄がさや遊園を復活させました。

ちなみに、戦前の頃の最寄り駅は、旧半田村(現在の大阪狭山市半田)があったことから、河内半田駅という名前で1917(大正6)年に新設されていました。そして1950(昭和25)年の段階で狭山遊園前駅に改称されました。その後さやま遊園が閉園となった2000(平成12)年に、大阪狭山市駅と再改称されています。

さやま遊園は地域密着型の遊園地で、プールや屋内型のスケートリンクもあったそうですが、少子化、レジャーの多様化などの理由で入場者数が激減し赤字が拡大したため、2000年4月1日を持って閉園したとのこと。その跡地の一部がさやか公園です。
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さやか公園の「さやか」とは

さやま遊園が閉園となり、跡地の多くは住宅地として再開発されました。
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一部は公園として整備されて、さやか公園という名前の防災公園として誕生しました。防災公園を確認すると、普段は遊び場として利用できる公園なのですが、火災や大規模の地震が発生した場合に緊急避難場所として利用できるように整備された公園。防災フェスタ(外部リンク)なども行われています。

私が大阪狭山市民ではないからそう思うのかもしれませんが、さやま遊園の跡地の公園なら「さやま公園」でもよさそうですが、「さやか公園」となっています。なぜでしょうか?ちなみに似た名前で狭山池公園があるので避けた可能性はありそうですが、さやか公園自体が狭山池に隣接していて、狭山池のイベントでは一体化しているのでそれは関係ないようです。
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さやか公園が出来た明確な年月日が出てこないのですが、少なくともさやま遊園が閉園した2000年4月以降に完成していることになります。その前に「さやか」を名乗っている存在として「さやかホール(SAYAKAホール)」があります。さやかホールは1994年11月1日に誕生しています。

さやか公園とさやかホールは歩いてそれほど遠くないので、さやか公園の「さやか」はさやかホールから採られたた可能性があります。

しかし、さやかホールの「さやか」とは別に「さやか」を名乗っている存在があります。それはさやかホールの前にある「さやか通り」です。

(法恩寺)
さやか通りは大阪府道198号河内長野美原線の一部で、北は法恩寺や半田郵便局がある交差点から、南は大阪府道202号森屋狭山線と交わる浦之庄交差点までの通りの愛称です。
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さやかホールも含めて「さやか」というのはさやか通りが最初のようです。なぜならばさやか通りをはじめとする以下の4つの通りの愛称を公募(外部リンク)していたからです。
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- さやか通り
- 狭山池通り
- いちょう通り
- 陶器山通り
4つの通りのひとつの名前が「さやか通り」で由来についての説明も見つけました。引用しましょう。
大阪狭山市の「狭山(さやま)」の「さや」という響きに、爽やかな印象を与える「さやか」という言葉を掛け合わせて名付けられました

さやか通りをはじめとする4つの通りは1994(平成6)年の公募という情報があり、同じ年の11月にさやかホールが完成しています。愛称決定の年までは判明しましたが、月などの情報が無く、ホール名の愛称と通りの愛称のどちらが先なのかははっきりしません。
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いずれにせよ、通り名の愛称とホール名の愛称である「さやか」はほぼ同時期だったことと、当時はまださやま遊園が健在だったというのは事実です。閉園後に公園が整備されたときに、通りやホールのすぐ近くということもあり「さやか」の名前を公園名にしたというのはうなづける気がしました。
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さやか公園の公衆トイレはさやま遊園の名残?

さて、さやか公園には立派な公衆トイレがあります。公園の広さから見てもとても大きくて目立つトイレですが、

近づいてみると錆びた部分が確認されています。その時にふと思ったのはこの公衆トイレはもしかして、さやま遊園の前からあったトイレ?ということです。さやま遊園が閉園になって26年が経過しますが、もっと古くからあっても不思議ではない気がしたのです。
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しかしその可能性は低いようです。

(著作権 © 国土交通省国土画像情報部(カラー航空写真))
これは国土交通省が著作権を所持しているという1975年に撮影された航空写真です。著作権者のクレジットを適切に表示することを条件に、私用も商用も関係なく誰でもあらゆる目的でこのファイルを使用することを許可されているということだったので引用しました。

当時の地形と現在の狭山池の形などを見比べる限り、旧さやま遊園の入口とさやか公園の入口が同じと判断できます。そして上記さやま遊園の航空写真を見ると入口から道が放射状になっているのに対して現在のさやか公園の入口からの道は狭山池に直進していてその途中にトイレがあります。このことからさやま遊園が無くなって整備されて新たに道が出来てからトイレが設置された可能性が高いです。
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さらにトイレの横を見るとさやか公園の防災公園としての役目を負う「防災備蓄倉庫」と書いてありますので、さやか公園誕生時にできたと考えられます。
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昨年の万博で「通称二億円トイレ」という名前がついているトイレが河内長野の大阪府立花の文化園に一部が移築されるというニュースを知ったので、「まさか?」と思いました。しかし冷静に考えると、その場合どこかに記載しそうですが、そのようなものはありません。代わりに「狭山藩下屋敷跡地」を表す表示板や公園入口にある「さやま遊園モニュメント」がさやか公園ができるまでの歴史の証として残っています。
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ちなみに、ひとつだけさやま遊園のレガシーがあることがわかりました。それはこちらの画像の観覧車です。堺ハーベストの丘の観覧車(外部リンク)として移築されたそうです。
ということで、1年間、大阪狭山市の担当でYahoo!ニュースエキスパートに記事を書いてきましたが、最後にさやか公園と狭山池遊園に関する記事を書かせていただきました。

さやか公園の住所とアクセス
住所:大阪府大阪狭山市狭山2丁目974-6
アクセス:南海大阪狭山市駅から徒歩9分
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この記事を書いた人
奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。



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