古市古墳群には数多くの古墳がありますが、今回はその中のひとつ、天皇陵を紹介しましょう。羽曳野市西浦6丁目にあり、古墳群でも南西の端にあるのが清寧天皇(せいねいてんのう)陵こと白髪山古墳です。
清寧天皇は生まれつき白髪だった

第22代清寧天皇について、『古事記』『日本書紀』によれば、驚いたことに生まれつき白髪であったことから、「白髪皇子」と呼ばれていました。
白髮武廣國押稚日本根子天皇、大泊瀬幼武天皇第三子也、母曰葛城韓媛。天皇、生而白髮、長而愛民、大泊瀬天皇於諸子中特所靈異。廿二年、立爲皇太子。
(日本書紀 日本書紀巻第十五)白髪武広国押稚日本根子天皇(しらかのたけひろくにおしわかやまとねこのすめらみこと)は、雄略天皇の第三子である。母を葛城韓媛(かずらきのからひめ)という。
天皇は生まれながらにして白髪であった。成長してからは、人民を慈しまれた。
雄略天皇の多勢の皇子たちの中で、特に不思議で変ったところがおありになった。
雄略天皇の治世二十ニ年に、皇太子となられた。(現代語訳)
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その特異な容姿であることから、父の雄略天皇(大泊瀬幼武天皇:おおはつせわかたけのすめらみこと)に大切にされ、そして皇太子となったと伝えられています。
父の雄略天皇は、稲荷山古墳出土鉄剣に刻まれた「ワカタケル大王」と同一人物とみられる有力な天皇で、清寧天皇はその跡を継いで即位しました。

日本書紀、古事記の記紀神話によると、白髪の清寧天皇は、雄略天皇の死後に起きた星川皇子(ほしかわのみこ)の乱で、大伴室屋(おおとものむろや)や東漢直掬(やまとのあやのあたいつか)らに命じて反乱勢力を討伐し、即位。
しかしながら皇子に恵まれなかったため後継者をどうしようかと考えていたところ、播磨国に身を隠していた、17代履中天皇の孫・億計王(おけのみこ:後の23代顕宗天皇)と弘計王(をけのみこ:後の24代仁賢天皇)の兄弟の存在が判明します。清寧天皇は二人を宮中に迎え入れ、億計王を皇太子とし、皇統の安定を図りました。
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ヤマトタケル(日本武尊)とワカタケル(雄略天皇)は同じ人?

清寧天皇陵の周辺には、歴史ファンの興味を引く伝承(古くからの言い伝え)の「異説」も存在します。それは、北東約数百メートルに位置する日本武尊(ヤマトタケル)の墓とされる白鳥陵古墳との関連です。
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古代史や神話研究の一部には、「伝説の英雄ヤマトタケルのモデルの一端に、実在の大王とされるワカタケル(雄略天皇)のイメージが重ねられているのではないか」という説があります。

(日本武尊・ヤマトタケルノミコトの白鳥陵)
もしこの見方を採るなら、雄略天皇の子である清寧天皇の陵とヤマトタケルの陵とされる白鳥陵が近接して存在することは、本当はワカタケル(雄略天皇)の墓ではないかと想像してしまう歴史ロマンを感じさせます。

もちろん確かな証拠はなく学説として主流でもありませんが、古墳を巡る想像をかき立てる興味深い説のひとつといえるでしょう。
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この異説に立てば、羽曳野の地には興味深い構図が浮かび上がります。清寧天皇は生まれつきの「白髪」、ヤマトタケルは死後に「白鳥」となったと伝えられ、両者は「白」という神聖な象徴で結ばれています。
古代において白は「清浄無垢」や「潔白」を表し、霊威や神聖さを示す特別な色でした。奈良時代に陵墓が整備された際、王権の正統性を示す意図から、両者を近接して位置付けたのではないか?そんな歴史ロマンあふれる想像も広がります。

ただし、繰り返しになりますがワカタケル(雄略天皇)とヤマトタケルを結び付けている考えは、両者の名の類似や武勇伝の共通点に着目したためですが、それには確かな史料的裏付けはなく、古代史や神話研究におけるひとつの仮説として扱われている点に注意してください。
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拝所と古墳の概要

天皇陵の拝所にまで来ると、他の天皇陵同様に宮内庁が管轄していることがわかります。正式名称は河内坂門原陵(こうちのさかどのはらのみささぎ)です。

羽曳野市によると清寧天皇陵とされる古墳名は、白髪山古墳(しらがやまこふん)と言います。形状は前方後円墳で、墳丘の長さ115m、前方部の幅128m・高さ11m、後円部は直径63m・高さ10.5mとのこと。

前方部の幅が後円部の幅の約2倍あるのが大きな特徴です。さらに 出土した円筒埴輪の破片の特徴から、6世紀前半に築造されたものと考えられているそうです。
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墳丘を囲むお濠(周濠)をよく見ると、当時の自然な地形を巧みに利用して造られており、前方部の近くには水をコントロールするための土手が今も残っています。
古墳のくびれ部北側に目を向けると、儀式などが行われたとされる「造出し(前方後円墳などのくびれ部分に作られた、半円形や方形の小さなテラス)」の遺構を確認することができます。

近年の調査(2003年、平成15年度)では、かつてこのお濠が二重に巡らされた、より壮大な姿であったこともわかってきました。
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ということで参拝させていただきました。

こういうことを書くと大変失礼なのですが、古市古墳群には大小の古墳があり、天皇陵も複数あります。どうしても天皇陵の拝所は同じ形をしているので、古墳を巡っても同じものを見ているという錯覚を覚えます。
そんな時には、考えられている埋葬者、歴代天皇などの足跡や伝承を頭に入れておくと、感慨深く感じられるのではないかと思います。

白髪山古墳(清寧天皇陵)
住所:大阪府羽曳野市西浦6丁目2-12
アクセス:近鉄古市駅から徒歩20分
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この記事を書いた人
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大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。
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