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南河内を歩いていると、いろんなところで顕彰碑を見ることができます。しかし、その多くは刻んでいる文字が見えにくくなったり、摩耗してしまい、完全に判読ができないものが多いのが事実です。
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とはいえ、そういう顕彰碑こそが面白いと思います。教科書やネット上にも出てこない、その場所の隠れた歴史が石に刻まれているからです。顕彰碑などの石碑から地域には何があったのかが読み解けます。
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文字がわかりやすく刻まれている西村晋三朗紀念碑

そんな中、石碑に刻まれている文字の状態が良いものを見つけました。西村晋三朗功徳紀念碑です。場所は北大伴墓地の中。ちなみに紀念碑も記念碑も同じ意味で、今は「記念」が一般的ですが、明治から昭和初期にかけては、「紀念」という文字で刻んでいることも多いそうです。
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では何と刻まれているのでしょうか?紀念碑のいちばん左端に刻まれている書道士の文字が2番目に大きいです。残念ながら文章を記載している明確な年月日が確認できなかったのですが、漢字にカタカナが入っている文字や「紀念碑」であること、「書道士」という肩書から大正から昭和初期のものである可能性があります。
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刻んでいる内容を解読すると次のような意味のようです。
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西村先生は、阿弥陀如来の尊い像を不思議なご縁によって授かり、「富吉」と名付け、念仏修行の道場を開き、自らの身を捧げて長年にわたり、貧しい人や病気の人を助け、災いや悪い出来事を取り除いてきました。人々が恐れる中風(脳卒中)などの病に対して、顕著な霊験(ご利益)を示し、これを封じる力があったとされます。その教えに従って実践することで、人の助けだけに頼るのではなく、信者それぞれの家庭においても、安全と幸福を祈ることができると説きました。これらはまさに不思議な功徳であり、人々はその教えを信じ、「諸護念経」と唱えてきました。
つまり記念碑は、西村晋三郎という人物が阿弥陀如来の像をご縁で授かったうえで、念仏修行を通じて人々を救ったとのこと。特に病気治癒(主に中風治癒)で信仰を集めます。その功績を後世に残すために、書道士の吉田喜世女さんに書いてもらい、記念碑に刻んだとなります。
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富田林市史でこの方の先祖かもしれない兄弟の功績が書いてあった

さらに調べていくうちに富田林市史に北大伴に西村という兄弟がいたという記載を見つけました。
富田林市史(近世編 / 第五章 近世の文化と宗教 / 第一節 在郷町の文芸と教育 / 二 学芸の展開)の中にある西村允蔵と周助(外部リンク)です。それによるとこのふたりは兄弟で、石川郡北大伴村の人です。つまりこの紀念碑がある現在の富田林市北大伴町に住んでいたそうです。1750年代から80年代(18世紀後半)の時代に生きていた兄弟です。

兄の西村允蔵は農家の出身ながら高価な書を購入し、南大伴の円照寺で「素読(そどく)」と「講釈(こうしゃく)」などの教育を受けていました。やがて京都の儒学者皆川淇園(みながわきえん)が開いていた淇園塾へ入門、医者を目指しました。允蔵は家督を弟の周助に譲って、故郷の南河内に戻って医者になりました。
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弟の周助は34歳の若さで村の庄屋に推されます。村の生活が厳しいさなかで庄屋になった周助は、今まで行われていての年忌仏事などの費用を止めるようにして、村の困窮者の負担を軽くするように努めます。さらに自ら低利の借金をして困窮者に無利息で貸し与えるなどもしました。また用水と肥料の安定確保をするなど、とても村のために働きました。
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その結果、村民の生活意識も変わり、村人たちが周助にずっと庄屋をやって欲しいと懇願します。そのことが1801(享和元)年に幕府の老中の耳に入り、周助は表彰され、銀10枚や永代苗字を名のることが許されるなどの名誉を得たとあります。
残念ながら西村晋三郎さんは、この兄弟(允蔵と周助)の子孫かどうかわかりません。しかし、その遺志を受け継いだように、念仏修行を通じて病気治癒を行って人々を救ったという点を書いてあることを見ると、どうしてもつながりを感じてしまいます。

石碑の隣で見つけたもので、昭和51年の日付が書いてあります。紀念碑の建設委員と発起人の名前が刻まれています。
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以降はあくまで仮定ですが、北大伴には江戸後期の西村兄弟の功績があり、その子孫である晋三朗さんが先祖のようになりたいと人助けをした。それは大正から昭和にかけての頃で、その功績を吉田喜世女さんに書いてもらい紀念碑を建てた。
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昭和51年の発起人などを刻んだほうの石碑の状態が悪いので、後年(平成時代以降)に新たに紀念碑を以前と同じ書体で建て直したかもしれません。だからよく見かける記念碑と比べてとても状態が良く読めたのかなという気がしました。
いずれにしても北大伴に素晴らしい人がいたことを後世の人に伝えたいとの思いを感じました。
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西村晋三朗功徳紀念碑
住所:大阪府富田林市北大伴町2丁目13
アクセス:北大伴バス停から徒歩8分
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この記事を書いた人
奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。
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