【南河内郡千早赤阪村】大阪唯一の村の冬の風物詩。奉献塔の下、スイセンの丘で約5万本が咲き始めています

大阪狭山、南河内郡のおでかけ・散歩記事

冬の千早赤阪村といえば、スイセン(水仙)の丘が真っ先に思いつきます。大阪唯一の村の冬の風物詩と言えるスイセンは約5万本あると言われています。

 

 

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今年のスイセンの様子を確かめるために、私は昨日の午後スイセンの丘を目指しました。道の駅千早赤阪村から徒歩3分の所にあります。



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これは、スイセンの丘の手前にある金剛登山口(令和の町石道)の石碑です。

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まずは道路上から見上げるようにスイセンの丘を眺めます。画像のようにスイセンが咲き始めています。

次はスイセンの丘に上がってみましょう。



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千早赤阪村のスイセンをおさらいすると、元から自生していたものではなく、1999(平成11)年に千早赤阪楠公史跡保存会が植栽をしたそうです。目的は景観の向上でした。

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また、ある村人の方からの情報として、一時期、スイセン祭りをしていたこともあったそうです。今こそ行っていませんが、平日にもかかわらず見学に来ている人を複数組見かけました。

丘の上からスイセンを眺めます。調べるとけっこう遠方からも見学に来る方がいるそうで、徒歩3分の所にあるくすのきホール前の駐車場に車を停めて見学に来るそうです。

スイセンを拡大しました。千早赤阪村のスイセンは「ニホンスイセン」です。ヒガンバナ科のスイセン属に含まれる花のひとつです。



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またスイセンには「自己愛」「うぬぼれ」という花言葉があり、白いスイセンには「神秘」という花言葉もあるそうです。

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少しでも臨場感がわかるように動画撮影もしました。

奉献塔にも立ち寄りました

さて、スイセンの丘の上にあるのは奉献塔です。

せっかくなので奉献塔に上がってみましょう。



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奉献塔が見えてきました。まず奉献塔そのものの本来の意味は、仏教で釈迦の遺骨とされる仏舎利ををおさめる仏塔(ストゥーパ)の一種で、信者が大きな仏塔の周りに建てる小型の仏塔を指すそうです。

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千早赤阪村の奉献塔についておさらいすると、これは楠公六百年祭記念塔です。

説明書きがあります。徳島県の森下白石が、全国の小学校児童などからの献金を建造費として集められたそうです。鉄筋コンクリート造りで1940(昭和15)年に竣工しました。塔の高さなどにも細かい定めがあります。正成が湊川の戦で戦死した年齢(43歳)にちなんで四十三尺(約13m)の高さの塔にしたとあります。

またこちらの銅標は、1979(昭和54)年に千早赤阪村楠公史跡保存会により復元しました。

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さらに上がって奉献塔の正面に来ました。説明版にもありますが「非理法権天」とは非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たずという意味があります。



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ここに刻まれているのは、1936(昭和11)年に陸軍大将の林銑十郎(はやしせんじゅうろう)の書です。1934~35年にかけて陸軍大臣、1937年には第33代内閣総理大臣になった人物です。

奉献塔のいちばん上に楠木氏の菊水門が見えます。当時、大楠公と呼ばれた楠木正成が戦前に神格化された時代の名残ですね。

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ちなみに奉献塔は正面以外の3方向には何も記載はありません。

ひときわ高い位置にある奉献塔からは千早赤阪村が一望できます。

天気が良く遠くの風景まで見渡せました。

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富田林の象徴、PLの塔も良く見えました。



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ということで、千早赤阪村のスイセンの丘とその上に立つ奉献塔を紹介しました。

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スイセンの丘

住所:大阪府南河内郡千早赤阪村水分27
アクセス:千早赤阪村役場前バス停から徒歩15分

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この記事を書いた人

奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。

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