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南河内や堺市の北側には、世界遺産である百舌鳥古市古墳群があります。古墳群の中にある巨大古墳の数々の背景には、河内王朝と呼べそうな河内の王権といえる勢力が存在した可能性があったことが指摘されています。
その時期としては、応神天皇から允恭天皇(いんぎょうてんのう)の頃、つまり4世紀後半から5世紀中期ごろが該当するとされていますが、南河内地域には天皇の宮(都)は、ほとんど造られていません。例外的に18代反正天皇が現在の松原市に宮を置いたという伝承が残っています。
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丹比柴籬宮の伝承

それが丹比柴籬宮跡(たじひしばがきのみや)です。古事記や日本書紀にも記載があります。
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冬十月、都於河內丹比、是謂柴籬宮(引用:日本書紀・反正天皇)
現代語訳:冬十月、河内の丹比(たじひ)に都を造った。これを柴籬宫(しばかきのみや)という。
伝承では大津道(長尾街道)と丹比道(竹内街道)の中央に位置していて、柴籬宫の跡地とされる場所に創建されたのが柴籬神社(しばがきじんじゃ)です。
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説明によれば、反正天皇は、王権が中国・南朝に使者を派遣した倭の五王(讃・珍・済・興・武)のうちの「珍(ちん)」と考えられていて、その治世は平穏にして穀物は豊作で人民は富でにぎわい、平和な時代であったと日本書紀で記されています。
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さらに神社付近には極田山、中門、若山、反正山、歯神、高見などの地名が残っていることから都の跡を想定させられるとのこと。
柴籬神社に行ってきました

ということで柴籬神社に行ってみることにしました。河内松原駅に電車が入る直前に画像の看板が車窓からも見えました。

ここが入口かなと思うと違いました。ここは松原市民ふるさとぴあプラザです。
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小さな濠(水路)があり、白壁の塀が続く中を入口に向かいます。この佇まいが、宮という感じ、京都御所などを連想してしまいます。

ということで入口に来ました。反正天皇都(宮)跡は冒頭に伝えた通りですが、その横に市名発祥の地とあります。市名発祥?ここは柴籬市ではなく松原市です。一体どういうことでしょうか?
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松原市の公式ページによると、「松原」の地名が文献上で確認できる最古の例は1148(久安4)年の『御室御所高野山御参籠日記』で、この地域がすでに「松原」と呼ばれていたことがわかります。
そして「松原庄」と呼ばれるものが出てきます。現在の上田・新堂・岡地区にあたる地域で、その名前が中世から近世を経て現在の松原市へと受け継がれました。
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ただし、「松原」という地名がなぜ生まれたのかは明らかになっていません。市の資料でも由来は不明としながら、かつてこの地域に松が広がっていた(松の原だった)可能性を紹介しています。
そのことを思わせるのが、上のリンク先で見られる1931(昭和6)年頃に撮影された柴籬神社参道の写真です。そこには見事な松並木が写されており、現在もわずかにその名残が残っています。
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「市名発祥の地」の看板は、松原市という名前がここで誕生したという意味ではなく、現在の市名のルーツとなった「松原庄」の中心地域がこの周辺(神社があるのは上田)にあったことを示していると考えられます。

ということで入口に来ました。中に入ってみましょう。柴籬神社に限らず明治の神仏分離までは神仏習合が普通で、柴籬神社にも神宮寺の観念寺がありました。
画像の南門は観念寺の姿を今に伝えている貴重なものなのだそうです。ちなみに寺の釣鐘は同じ上田にある願正寺に移り、本尊十一面観世音も上田の観音堂に移転したそうです。

反正天皇の宮があった場所に鎮座しているためか、天皇家のものと思われる菊のご紋が見えます。
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百度石が見えます。
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境内の鳥居をくぐります。

手水舎があります。

ここは遥拝所です。これは神宮(伊勢神宮外宮・内宮)を遠く離れたこの地から拝むために設けられた場所です。昔の人々にとって伊勢参りは一生に一度の大旅行だったので、実際に参拝できない人々は、ここから伊勢の神宮を拝みました。
歯神様と歯磨き面

こちらには境内摂社があります。
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不思議な顔の像がありますね。一体何でしょう。
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説明板によると、ここには日本で唯一とされる歯磨き面があり、歯神が祀られています。歯神社御祭礼日5周年を記念して歯磨面を建立したとのこと。
また神社の公式ページによると、8月8日には歯神社祭りが行われます。午後8時8分になると境内に設置した400灯の庭灯のローソクの灯りで境内が照らされるとのこと。
歯の神社がある背景には、祭神である反正天皇の別名「瑞歯別命(みずはわけのみこと)」があります。

『日本書紀』では、反正天皇は生まれながらに美しい歯並びをしていたことからこの名で呼ばれたとされており、その伝承が後世に歯の神様として信仰されるようになったと考えられています。
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生而齒如一骨、容姿美麗(引用:日本書紀・反正天皇)
現代語訳:生まれながら歯が一本の骨のようであり、容姿うるわしかった。

面の奥に社があります。
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社には歯神社と住吉社(住吉三神)が祀られています。

となりは休憩スペースになっていて、冒頭の反正天皇と柴籬宮の説明や天皇ゆかりの地の紹介がありました。
もうひとつの境内社稲荷大神

個性的なおみくじの形をしていますが、その隣には別の境内社があります。
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こちらです。稲荷大神を祀っています。

稲荷社ということで説明があります。
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眷属(使い)の狐が左右に並びその中央奥に稲荷大神が鎮座しています。
いよいよ拝殿へ

ようやく神社の社殿が見えてきました。

狛犬の手前に清めの砂があります。説明によれば、建物を普請したり、井戸の埋め立て、樹木の撤去時にその跡地に清め砂を産めることで土地の神様を鎮めるために用いるものです。
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神社の公式ページに神社の由緒についての記載がありました。それによると24代仁賢天皇の勅命により創建されたとのこと。
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平安時代の864(貞観6)年には、第56代清和天皇から神前に供える宝幣(ほうへい:貴重な供え物))が贈られました。
その後も信仰は続き、1351(観応2)年には足利尊氏の弟、直義が参詣して祈願を行っています。

戦国時代には河内国守護の畠山氏から厚い保護を受けましたが、慶長年間(1596~1615年)の兵火によって社殿は焼失してしまいます。その後、寛永年間(1624~1644年)に神宮寺であった広場山観念寺の二世住持・覚夢によって再建されたと伝えられています。
これは神仏習合の時代の話です。境内には神宮寺である観念寺が建っていました。

松原市の公式ページには江戸時代の『河内名所図会』に紹介されている図があります。それによると本殿のそばに観念寺の本堂や庫裏(くり)が描かれており、神社と寺院が一体となった様子をうかがうことができます。
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しかし明治初期の神仏分離によって観念寺は廃寺となり、現在は神社のみが残されています。それでも境内には、南門のようにかつて神仏習合の時代があったことを伝える痕跡が今も残されています。
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(拝殿の上にも菊の紋)
また江戸時代には京都御所から菊花御紋章入りの幕を賜ったそうです。1872(明治5)年になると神仏分離により観念寺が廃寺となります。
その後ですが、1889(明治22)年には、政府から幣帛料を受ける神社として指定されるなど、時代を超えて厚い崇敬を受けてきました。

扁額には反正天皇のほか、依羅宿禰(よさみのすくね)と菅原道真が祀られています。依羅宿禰は古代に河内・摂津一帯で勢力を持った豪族の依羅氏の祖とされる人物です。
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柴籬神社の鎮座地は依羅氏の活動圏とも近く、地域ゆかりの神として合祀されたのかもしれません。一方、菅原道真ですが江戸時代のの柴籬神社は「広庭神社」あるいは「天満宮」とも呼ばれたこととも関係しているように思われます。
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また、『好色一代男』で知られる井原西鶴も柴籬神社を訪れています。神社正面から見て左手、授与所の隣には西鶴の句碑が建てられています。
句碑には、「柴籬宮 むくげうへてゆふ 柴垣の都哉(しばがきのみやむくげうへてゆふ しばがきのみやこかな)」と刻まれています。これは、反正天皇の都であったと伝わる丹比柴籬宮跡で、白い花を咲かせる木槿(むくげ)を詠んだ句とされています。
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大歳社

さて、境内にもうひとつ社があります。

こちら大歳社ということで、五穀豊穣、徐災招福(厄除け)、家内安全、夫婦和合・縁結びに関係しています。

手前の鳥居が新しいと思っていたら、2001(平成13)年2月吉日に建立されたとあります。だから新しいわけですね。
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というわけで柴籬神社を訪問しました。反正天皇丹比柴籬宮跡地に鎮座したとても歴史のある神社は、非常に珍しい歯の神様も祀られている、松原市内でも有数のパワースポットでした。
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柴籬神社
住所:大阪府松原市上田7丁目12-22
アクセス:近鉄河内松原駅から徒歩11分
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この記事を書いた人
奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。
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