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羽曳野市にある近鉄古市駅は、橿原神宮方面へ向かう際に乗り換える駅ですが、兼ねてから気になっていたものがありました。
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これがこちらです。古市駅なのですが、背後に山のように緑があります。
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航空写真で確認すると、駅のホームの東側が緑色になっているのがわかります。
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(航空写真をもとにAIが作成)
そこは神社の境内(鎮守の森)で、白鳥神社が鎮座していることがわかります。古市駅周辺の人や羽曳野市民からすれば「当たり前」のことかもしれませんが、最近この地域を歩いている「よそ者」にとってはとても気になりました。
白鳥神社を参拝しました

ということで、白鳥神社に参拝するために行ってみることにしました。古市駅東口からすぐのところに古市駅東広場があり、その裏山のようにあるのが白鳥神社の境内です。
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無知なので広場の北側にあった遊歩道から直接境内に行けるのかと思いましたが、行けませんでした。なので注意しましょう。
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古市古墳群を示した地図があります。こうしてみても周囲には本当に大小さまざまな古墳があることがわかります。

広場の外を出ると白鳥神社の参道に出てきました。
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実際の神社への入口はこちらです。竹内街道に面しています。
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白鳥神社の祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)です。公式ページによれば、このほか素戔嗚命(スサノオノミコト)と稲田姫命(クシナダヒメノミコト)を祀っています。記紀神話(古事記、日本書紀)に出てくる白鳥伝説に関係する神社です。
直近の行事は夏祭りが7月11日、12日の予定で、11日には河内音頭五月会による古市盆踊り大会がおこなわれるとのこと。

参道の坂を上ると境内になります。
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白鳥神社に祀られている日本武尊の生涯をおさらい

坂を上がると社殿が見えます。ここでで祭神の日本武尊について簡単におさらいすると、第十二代景行天皇の皇子とされる伝説上の英雄です。
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幼名は小碓命(おうすのみこと)という名前ですが、兄を殺すほどの激しい気性をもち、抜きんでた武力を持っていました。
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父の天皇に命じられて赴いた熊襲(くまそ:南九州)への征伐では、女装して敵の首長に近づき討ち取る場面があります。勇敢さを敵将から称えられて「倭建命(日本武尊:やまとたける)」の名を授かりました。

その後東国への征討を命じられ、駿河の焼津では敵の豪族から火攻めに遭いますが、伊勢神宮の宝剣で草を薙(な)ぎ払いで逆に火を放ち難を逃れたことから携えていた剣は草薙剣(くさなぎのつるぎ:三種の神器)と呼ばれるようになったとされます。
各地を制圧したヤマトタケルでしたが、伊吹山で病に倒れ、伊勢国・能褒野(のぼの)で命を落とします。死後は白鳥となって飛び立ち、現在の羽曳野の地に立ち寄ったとされます。

(日本武尊白鳥陵)
このような伝説から白鳥神社が創建され日本武尊が祀られて、近くには日本武尊白鳥陵が築造されています。
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白鳥神社は元々「伊岐宮」現在地に鎮座している歴史的背景

白鳥神社の公式ページ(外部リンク)を見ると、白鳥神社の歴史が記載されています。それによると元々は河内国古市郡古市村の産土神(うぶすながみ:この地に生まれる前からその人の生涯を見守る神様)で、古市村に隣接する軽墓村(現羽曳野市軽里)西方の伊岐谷(いきだに、井喜谷)にあった伊岐宮(イキイノミヤ)だったとのこと。

伊岐宮はもともと白鳥陵の傍らに鎮座していたそうですが、南北朝時代や戦国時代の戦火により焼失。その後は軽墓村(現:羽曳野市軽里)の峯ヶ塚古墳に小さな祠として再建されますが、1596(文禄5)年に起こった「慶長の大地震」で倒壊。
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しばらく放置され、江戸時代初めの寛永末期(1640年頃)に現在地に遷座したとのこと。
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また1801(享和元)年に発行された河内国地域のガイドブック「河内名所図会(かわちめいしょずえ)」には、「伊岐宮 誉田の南五町古市村にあり 日本武尊の霊を祀て白鳥明神と称す 古は伊岐谷にあり 後世つひに勧請す 相殿牛頭天皇 婆利賽女を併祭る 此所の生土神とす」と記されているそうです。
なお、江戸時代には白鳥大明神、午頭天王(ごずてんのう)、婆利妻女(はりさいにょ:牛頭天王の后とされる神)の三神が祀られたとの記録があるそうですが、これは名称が違うだけで今祀られている神様と同じなのだそうです。

白鳥神社は明治時代に入ると旧社格で村社となり、1908(明治41)年には同じ古市村の高屋神社を合祀します。
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しかし、高屋神社は1954(昭和29年)に古屋敷に再建され遷座しました。とはいえ白鳥神社では現在も高屋神社の祭神である饒速日命(ニギハヤヒノミコト)と広国押武金日命(ヒロクニオシタケカナヒノミコト:安閑天皇)を祀っています。
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境内摂社は「白蛇」由来の神々

白鳥神社の境内摂社です。こちらは白長大明神です。白蛇そのものの神様として祀っています。

白永大明神の左隣に通路があり、その奥にふたつの社が見えます。
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正面に社が見えますが、さらに右に入ったところにもうひとつの社の前に行けます。

左側が白龍大神です。白蛇が天に昇り、より強大な力を持つ龍(白龍)になった神様を祀っています。

右側が白玉大明神です。こちらも白蛇に関する神様のようです。
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入り口付近にあった謎の慰霊碑

神社境内の右側に慰霊碑があります。情報無く半ば忘れ去られた存在にも見えます。
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慰霊碑に近づいてみました。何のための慰霊碑なのか気になったので後ろに回ってみることにします。
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後ろには「昭和二十八年八月古市町建之」と刻んでありました。さらに近くに忠魂碑という石碑が見えます。つまり戦争で亡くなった人々を慰霊・顕彰していると考えられます。
GHQの占領が終わったのが1952年(昭和27年)4月28日なので、その翌年に建てられていることがわかります。可能性としては戦前にあった忠魂碑をGHQの指示などで一時期整理され、占領が終わってから改めて慰霊碑として建之したのかもしれません。

結果的に、1956年(昭和31年)に南大阪町として合併するまでの旧南河内郡古市町という自治体が存在していたことを残す結果となりました。その後、1959(昭和34)年に南大阪市を経て羽曳野市になったわけです。
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ということで白鳥神社に参拝してきました。羽曳野市を代表する古市駅のすぐ隣にある神聖なパワースポット。
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7月の盆踊り(夏祭り)や10月の「古市だんじり祭」(秋祭り)はとても賑やかですが、普段の静かな白鳥神社も神聖な空気が流れた中で静かに参拝ができます。
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白鳥神社
住所:大阪府羽曳野市古市1丁目1-18
アクセス:近鉄古市駅下車徒歩1分
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この記事を書いた人
奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。
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