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日本では仏教と共に馴染みの宗教といえば日本神道です。南河内にもいくつもの神社がある中で、河南町の壱須何神社(いちすかじんじゃ)には、来年宮司になるための勉強中で現在はその手前の禰宜(ねき)という立場で頑張っている女性神職の方がいらっしゃいます。
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彼女の名前は羽山菜穂子さんです。神職とは全く無縁の仕事をしていた方が、なんと60歳からあえて神職に挑戦!今では神職(禰宜)となり、最終的に宮司を目指していることを知り、とても気になった私は取材を申し込んだうえで壱須何神社に向かいました。
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ちょうど前の日にできたばかりの茅の輪があります。羽山さんによれば、氏子総代の方々が来て作ってくれたそうです。

茅の輪くぐりの作法です。このように図入りでとてもわかりやすく説明があるのが良いですね。

画像は拝殿で、その奥に本殿があるのですが、通常は拝殿の賽銭箱の手前までしか行くことができず、そこで参拝します。今回は特別に拝殿の中でインタビューさせていただきました。
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インタビューの前に由緒ある壱須何神社をおさらい

拝殿内です。奥に朱色がかった建物が本殿です。
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(拝殿内から外を見た風景)
改めて壱須何神社をおさらいすると、まず明確な創建に関しては明らかではありません。由緒によれば、古くは蘇我氏の流れを汲む石川氏の祖先神、蘇我石川宿禰(そがのいしかわすくね)を祀った神社であったとも伝えられています。
一帯は蘇我氏から分かれた一族である石川朝臣の本拠地であり、また一須賀古墳群の一角にもあたることから、もとは古墳を祭祀の場として成立した可能性も考えられているそうです。
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壱須何神社は大ケ塚寺内町にあり、住所は一須賀628にあります。
一須賀にあるので、一須賀神社という名前でもよさそうです。平安時代に編纂された延喜式神名帳に名前が出てくるほど古くからある「式内社」に「壹須何神社(壱須何神社)」と記載されるほどなので、そのまま伝統的な神社名になっています。
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中世の南北朝時代になると、この地域を本拠としていた石川氏は南朝方の楠木氏に属しました。そのため「石川城」の一部として神域が利用されたと伝わります。北朝側の攻撃などにより、大きな被害を受けたと伝わります。

1589(天正17)年、豊臣秀吉は河内国石川郡の代官であった伊藤加賀守秀盛(いとうかがのかみひでもり)を通じて、壱須何神社に祈祷を命じ、あわせて境内の免許状を与えました。そのときに湯釜が奉納され、今も社宝として大切に保管されているそうです。
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余談ですが、伊藤加賀守秀盛は富田林市史にも「豊臣氏代官伊藤秀盛」として、南河内地域に鎮座する建水分神社や叡福寺太子廟、美具久留御魂神社に対してのやり取りが説明してあります。
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1801(享和元)年に刊行された地誌兼ガイドブック『河内名所図会』にも、壱須何神社が紹介されています。
そこでは、「一須賀村にある壱須何神社は、延喜式に載る古い神社で、現在は天神と称している。当村および大ヶ塚村の産土神(うぶすながみ:氏神と氏子の関係にあたる)であり、神社に付属する寺(神宮寺)には十一面観音を安置している」と記されています。当時神宮寺があったのは神仏習合の時代だからです。
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明治時代には神仏分離令によって神宮寺が姿を消しました。その後、1907(明治)40年の神社合祀政策により、石川村大字東山の菅原神社と大伴村大字南大伴の降旗神社を合祀し、現在に至ります。
壱須何神社の祭神は以下の通りです。
- 大己貴命(おおなむちのみこと・若いころの大国主命)縁結び、病気平癒の神
- 天照大神(あまてらすおおかみ)国土安泰の神
- 天児屋根命(あめのこやねのみこと)産業繁栄の神
- 品陀和気命(ほんだわけのみこと・応神天皇の別名)開運厄除、家内安全の神)
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そして配祀神として、合祀された神社の神々も祀られています。
- 天之忍日命(あめのおしひのみこと・天孫降臨で守護した神)軍神の神・旧降旗神社より合祀
- 日子番能迩迩芸命(ひこほのににぎのみこと・天孫降臨した天照大神の孫)交通安全の神・旧降旗神社より合祀
- 日子穂穂手見命(ひこほほでみのみこと・山幸彦で瓊瓊杵命の子で神武天皇の祖父)一家繁栄の神
- 鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと・山幸彦の子、神武天皇の父)安産の神・旧降旗神社より合祀
- 神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと・神武天皇)勝運の神・旧降旗神社より合祀
- 天滿大自在天神(てんまんだいじざいてんじん・神格化した菅原道真)学業成就の神、旧菅原神社より合祀
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壱須何神社禰宜、羽山菜穂子さんにお話を伺いました

ここからが本題です。羽山菜穂子さんになぜ壱須何神社の神職になり、さらに宮司を目指しているかについてお話を伺いました。
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羽山さんは出生地こそ違うものの、10歳の時には河南町に引っ越ししてきたそうです。以降、幼いころから半世紀もの間、壱須何神社の氏子として神社にかかわってきたそうです。

(2026年元日)
羽山さんのお父さんの影響もあり、元旦の初詣には必ず壱須何神社に参拝しました。それは結婚後も変わりません。その間、羽山さんが知っているだけで、3代宮司が変わったそうです。
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転機が訪れたのが2年ほど前でした。羽山さんのお父さんが他界します。壱須何神社の宮司さんにお願いして神道の葬儀にあたる神葬祭(しんそうさい)を執り行ってもらったそうです。羽山さんは、それでもお父様が亡くなったという事実をなかなか受けいれられませんでした。
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羽山さんによれば、仏式では初7日とか49日があるように、神道でもそいういう日があり、10日祭、20日祭と、10日ごとに行われるそうです。そして50日祭が最後で、仏式の49日にほぼ一致します。
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一連の儀式が終わり、宮司さんから「お父さんの魂が神となり、ご自宅に鎮座しました」と言われたとき、羽山さんはとても救われた思いがしたと言います。神道の考えでは、亡くなった人の魂は、「家の守り神として、そのお家に神として鎮座する」という考えがあるからです。
晩年に病院で入院しているときに「家に帰りたい」とお父さんが言われたそうですが、生前は叶えられませんでした。しかし、死後に氏地の鎮守として戻ってきたことで、家のある場所に戻ってこれたと感じたからだそうです。

余談ですが、神道には仏教のような「戒名」は存在しません。代わりに「諡(おくりな)」と呼ばれる死後の名前をつけます。
基本的な構成は「本名(フルネーム)+ 諡 + 命(みこと)」となり、一般的に成人男性には「大人命(うしのみこと)」、成人女性には「刀自命(とじのみこと)」を後ろに書き添えます。
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※ただし、こちらのサイトにあるように諡は亡くなった年齢によって異なり、例えば3歳以下なら「嬰児(みどりご)」、70歳を超える高齢であれば男性は「翁(おきな)」、女性は「媼(おうな)」に変わるなど、細かく分かれています。

そして、昨年60歳になった時に「神職になる」と決意したそうです。それまではコールセンターや服飾関係などのサービス業をしていた羽山さんでしたが、全く無関係の神職の道に飛び込んだというわけです。
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そのために、まず大阪国学院という全国で唯一通信教育で神職の資格が取れる教育機関に入学。そこで1年間学び「直階」という資格を授与。こうして禰宜として神職の仕事ができるようになりました。
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(額当:ぬかあてと呼ばれる女性神職の冠)
とはいえ、学びにはお金がかかるということで、介護の仕事も同時に始めました。その介護施設は生前のお父さんがお世話になったところとのこと。「神職も介護も、父が導いたご縁なのかな」と羽山さんは考えています。
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(神職が儀式のときに履く浅沓:あさぐつ)
学校は通信教育が基本ですが、年2回のスクーリングがあります。また神職には独自の作法が多くあり、それをマスターするのも一苦労とのこと。あと1年教育機関に通い、「権正階」という資格の授与を受ければ晴れて宮司になれるそうです。
この8月にお父様の3年祭(仏教でいう3回忌)が行われますが、それを神職として自分が祭主として取り仕切れることは、親孝行になると意気込まれていました。
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いきなり神職を目指すということで、ご家族の反応を伺いました。最初はビックリされたそうですが、誰も反対はしていないそうです。また羽山さんは「主人は陰で応援してくれている」と。
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宮司さんにもお話を伺いました。宮司さんは、現在「彼方春日大社」の宮司も兼任されていらっしゃいます。もともと壱須何神社には代々宮司を務めてきた家系があったのですが、後継が途絶えていたため、中継ぎとして壱須何神社の宮司を引き受けられたそうです。
宮司さんご自身もご高齢になられ、「そろそろ」と考えたとき、宮司の地位を元の家の方にお返ししようとされたのですが、代わりに宮司を務める方が見つからなかったとのことでした。

そこで宮司さんは、様々な方に後任の相談をされました。その中で羽山さんが「神職を目指している」と知り、大変喜ばれたそうです。宮司さんは「羽山さんが女性宮司を目指してくれて本当にうれしい」と話されました。
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宮司を兼任しているため、月初めの月次祭を行う場合、神社ごとにの開催時間をずらして対応されていました。しかし、先に行う彼方春日大社の氏子さんからのご相談が長引くと、壱須何神社の月次祭の開始時間が定まらないという状況だったのです。
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それが、羽山さんが禰宜になられたことで、月次祭の時間を固定できるようになりました。宮司さんは「いずれ羽山さんが宮司になられたら、壱須何神社に常駐する宮司として、地域の氏子さんと氏神様との仲介役になってほしい」と期待を寄せられています。
月次祭に参加しました

取材の日が月の初め(7月1日)だったので、月次祭(つきなみさい)を執り行うということで参加させていただくことにしました。11時からの開始時間になり、多くの出席者(氏子さん)が集まってきました。
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宮司さんが、太鼓を叩くことから始まります。
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本殿に向かって儀式を始めます。

月次祭とは毎月決まった日、壱須何神社の場合は1日と15日に執り行われる恒例のお祭りで、日々の暮らしの無事に感謝し、その月の安全や繁栄、国家安泰などを神様にお祈りするものです。
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お祓いを受けます。この後出席者にもお祓いを受けました。
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羽山さんはピンク色の装束をまとっていますが、この色については、天皇や皇太子にだけ許された禁色や、祭礼にふさわしくない忌色を避ける範囲であれば、基本的に自由に選ぶことができるそうです。

ただし、袴の色については神職の身分や服制に応じた細かい取り決めがあります。

淡々と儀式が続いていきます。実は月次祭とは別に一般の参拝の方も多く来られていました。宮司さんの話では、羽山さんが禰宜となって神社に来るようになってから、参拝者が増えてきていると言います。
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「参拝客が多い神社は、その分ご神徳(エネルギー)となって氏子さんへ還元されるとも言われているため」とても良い流れとのこと。
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この後、玉串の奉納があります。

玉串の奉納については出席者ひとりずつ行います。

玉串では神様に直接向き合うので、「願い事を神様に伝えてほしい」と、宮司さんに言われました。
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やり方がわからなくても、羽山さんが横について作法を教えてくれます。私も初めてなので、どうすればよいのかを教わりながら、玉串の奉納を行いました。

すべての儀式が終わると、お神酒を頂いて終わります。
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こういう時は公共交通派で良かったといつも思います。ありがたくお神酒を頂戴いたしました。氏子さんたちが羽山さんと楽しそうに会話をされているのを拝見して、神社がコミュニティの場として活かされていることを改めて感じました。そのためにも女性神職の方の存在はとても大きいのではないかとも。
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さて、月次祭りに出席した方のおひとりが、「古事記ものがたり」という本を執筆出版されたそうで、ご紹介いただきました。その他にも様々な取り組みをされているそうです。
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ということで、壱須何神社の禰宜の羽山さんにお話を伺い、月次祭にも参加させていただきました。
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河南町にはほかにも神社がありますが、壱須何神社は秋祭りになると河南町にある複数の町から地車が宮入してきます。次は秋のタイミングに神社参拝できればと思いながら神社を後にしました。
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壱須何神社
大阪府南河内郡河南町一須賀628
アクセス:阪南一須賀バス停から徒歩7分
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この記事を書いた人
奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。
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