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河南町にある画像の池の名前は山城新池と言います。昭和を中心に平成期まで活躍した芸能人・山城新伍さんと一文字違いです。
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富田林市の東の端にある別井の北側にあるのが河南町の山城です。地図などで見ると池沿いに富田林市と河南町の境界線が複雑になっています。山城新池のすぐ隣に古池があるのですが、それに対しての新しい池。山城という地名にあるから山城新池という名前がついてます。
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今回は富田林別井から河南町に入って山城新池までを歩いてみました。

すぐ隣にある古池には道がなく池に近づけないのに対して、山城新池にはすぐ横に道があるので池の様子がよく見えます。
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地図などで確認すると森のようになっているところのすぐ奥に古池があるのですが、この場所からはその様子が見えません。
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もう少し歩いていきます。古池側は森に覆われいるのに対して、それ以外の場所は開放的に広がって、心地よい散歩道でした。
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山城新池の南側の森を抜けたところは現在畑になっています。かつて山城南城跡があったとのこと。口コミの記録を見ると、南北朝時代の南朝側・楠木方の城が山城南城です。北朝側の足利方の軍奉行・椙田六郎(すぎたろくろう)と1337(建武4年)10月に戦いが行われ、北朝が勝利して城が落城した記録が残っています。
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富田林市史・石川河原の合戦(外部リンク)にその時の記録が記載されていました。引用しましょう。
南朝軍数百人が「山城東岸上」にかけ出してきたので、田代了賢はその日の軍奉行椙田(すぎた)六郎の命をうけて攻撃にむかい、北方より搦手に廻って「山城南城」の敵を追い落とし、件(くだん)の城を焼き払い、東岸の後より押し寄せて敵を攻め落とした。
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富田林市史ではこの後に「山城」の位置についての説明がありました。河南町の地名で北大伴の東側にあたる場所。さらに「山城口」は、石川と千早川の合流点付近と考えられているそうです。ちなみに山城南城での戦いは、楠木正成が神戸湊川の戦で命を落とした翌年です。

中世・南北朝時代の激戦地があった場所、山城跡地のすぐ近くに古池が作られ、やがてこちらの山城新池が作られたわけです。
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戦で地を争う城跡と違い、池の水で田畑を潤して農作物を増産することで多くの人が命の糧なることを考えると、真逆的だと感じました。
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ちなみに山城新池から大阪芸大のお城(キャラクター造形学科 新校舎)が見えました。

山城新池
住所:大阪府南河内郡河南町山城
アクセス:別井バス停から徒歩
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この記事を書いた人
奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。
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