私が担当した地域の中でも昨年の4月から1年間だけでしたが、南河内郡は「市」とは違う不思議な魅力を感じました。公共交通派にとっては行くのが少し大変ですが、むしろそれに楽しさを感じてしまうほどでした。南河内郡は明治29年に発足しました。その前の石川郡(現在の南河内郡2町村と富田林市の一部)の歴史になると、古代の河内国ができたころには「河州石川郡」として成立していたとされるほど歴史があったそうです。
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南河内郡に残された歴史的なもの気になるスポットは、実は1年ではすべて回り切れませんでした。ただどうしても3月までに行きたいと思っていたところがありました。場所は河南町平石にある磐船大神社(いわふねだいじんじゃ)です。

近くに高貴寺があり、そこからの道で行く人が多いようです。今回は西側から入る道を紹介しましょう。これは平石の集落に入ってしばらくして太子町に向かっている左に曲がる道から入ると近いです。ということで今回は赤い線に従って磐船大神社に行ってみることしました。

今回私はぷくぷくドーム方面から歩いてここまで来ましたが、最初に左に曲がる道の前にはやまなみタクシーの停留所があります。平石西(山手A5)という停留所なので、やまなみタクシーでここまで行けば効率的に回れます。
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左に曲がったところ、太子町に向かう道です。このまままっすぐ行けば太子町に入り、南河内グリーンロードと合流しています。
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ここが磐船大神社との別れ道(右側)です。ここからは舗装されていない山道を歩いていきます。

道標があるのでわかりやすいです。この地点から山道を500メートルほど歩いた場所にあります。

磐船神社に向かう道です。左側の道が先ほどまで歩いていた道で太子町に向かう道、推古天皇陵まで1.9km地点です。
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こういう道を上っていきます。基本は上りが続く道でした。道そのものは舗装をされていないだけで歩きやすいですが、落ち葉が多く、滑りやすいので注意しましょう。
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磐船大神社は別名、栂の宮(とがのみや)という名前がついています。神社の神木が栂(とが:ツガ、マツ科ツガ属に分類)だから、そういう名前がついているとのこと。「樛宮」とも呼ばれているそうです。

磐船大神社の創建伝承を確認すると先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)の天孫本記の中に出てきます。「饒速日命(にぎはやひのみこと)が十種のみたからを奉じ、天磐船に乗りて河内国河上の哮峰(たけるがみね)に天降り給う」という記述があります。これはニギハヤヒという神様が天磐船(あまのいわふね)と呼ばれる大きな石に乗って、空から河内国の哮峰に来たという意味で、これに由来する神社とされます。また山そのものがご神体(神奈備:かんなび)の領域だったとも言われているそうです。

(10分ほど歩くと鳥居が見えてきました)
ちなみに、「十種のみたから」とは次のようなものを指します。2種類の鏡、1種類の剣、4種類の玉、3種類の比礼(ひれ:古代の女性が首や肩につけていたとされる現在のスカーフやストールのようなもの)です。
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- 沖津鏡(おきつかがみ)
- 辺津鏡(へつかがみ)
- 八握剣(やつかのつるぎ)
- 生玉(いくたま)
- 死返玉(まかるかへしのたま)
- 足玉(たるたま)
- 道返玉(ちかへしのたま)
- 蛇比礼(おろちのひれ)
- 蜂比礼(はちのひれ)
- 品物之比礼(くさぐさのもののひれ)

(あと一息で神社正面に)
磐船大神社の主祭神、饒速日(ニギハヤヒ)とは、日本の神話に登場する神様のことですが、全国的に祀っていることが珍しいとされます。神話によると天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫です。そして兄弟には天孫降臨をしたとされる瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)がいるとのこと。
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(神社の正面に来ました)
そして大和の豪族だった那賀須泥毘古(ナガスネヒコ:長髄彦)の妹がニギハヤヒに嫁いだのでナガスネヒコはニギハヤヒにとっては義兄ですが、ナガスネヒコはニギハヤヒに仕えるようになったとあります。ちなみにニギハヤヒの子孫は、豪族の物部(モノノベ)氏です。
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(神社の説明版があります)
ニニギノミコトの子孫(ひ孫)である神武天皇が九州から大和に攻めて来た時(神武東征)に対峙した豪族として、ナガスネヒコの名前が登場します。日本書紀や古事記では、ニギハヤヒが神武天皇に従うように諫(いさ)めても聞かないナガスネヒコを殺して神武天皇に忠誠を誓ったとあります。
先代旧事本紀では内容が異なり、ニギハヤヒの死後に神武天皇が攻めてきたとあり、神武天皇に従うように諭しても、ナガスネヒコがそれに反発したため神武天皇に殺されたとなっています。

祓戸大神(はらえどのおおかみ)と書かれた石碑があります。これは祓(はらえ)とよばれる、不浄を心身から取り除くための神事をつかさどる神様です。

(第二次境内整備記念碑です。山の中にある神社がこれだけ立派なのはここで刻まれている協賛者の方々がいたからなのでしょう)
余談ですが先代旧事本紀というあまり聞きなれない書物は、有名な古事記や日本書紀と比べて後の時代に書かれたとされ、江戸時代には偽書という扱いを受けたそうです。しかし、最近は古い伝承が含まれている可能性があることで、貴重な情報源という扱いを受けているようです。古事記や日本書紀は中央政府の天皇の足跡が中心なのに対して、先代旧事本紀は地方にいた豪族の痕跡などが残っている可能性があるため、河南町のような地方での伝承では資料のひとつになる価値になりえるとのこと。
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階段を上がっていくと、鳥居の前に何か張り巡らされています。
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これは立ち入り禁止という意味ではなく、イノシシなどの獣の侵入を防ぐための電気柵で、畑でもよく見かけるものです。山の中にあるためこのようなものが無いと、神社が荒らされる恐れがあるから設置しているものと考えられます。

触れずに跨げば問題なく中に入れます。ある意味現在の結界といえる存在です。
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境内に入ります。磐船大神社は神話時代のニギハヤヒの伝承に基づくものですが、創建は不詳です。

記録として登場するのは江戸時代後期で、磐船大神社のすぐ隣りにある、行者こと役小角(えんの おづぬ)創建伝承がある高貴寺との関係があります。

(高貴寺)
江戸時代後期になると真言宗の僧侶、慈雲(じうん)という人が高貴寺の住職を務めます。慈雲は13歳の頃に密教と梵語(サンスクリット)を学び、神道や膳など宗派を問わずに積極的に学びました。慈雲は梵字を密教の呪術的解釈ではなく、文法を研究して原典の内容を読解しようとした人で、後にフランス人のサンスクリット研究家シルヴァン・レヴィが評価したほどの学者僧です。当時の大和郡山藩の藩主柳沢保光の支援で、高貴寺の堂舎が整備されました。

(境内の左右に大きな石灯籠が見える)
晩年には「神仏習合」の理念に基づき、密教の教義で神道を独自の解釈で教えを広めようとした「葛城運伝神道」を創唱(そうしょう:独自の教義を初めて提唱)しました。そして広める際の根本道場(こんぽんどうじょう:修行の中心となる道場)として磐船大神社の社殿を建立したとのこと。この時に樛宮(とがのみや)と呼ばれたそうです。
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明治時代になり、神仏分離により高貴寺と分離されます。このとき樛宮(とがのみや:栂の宮)は、磐船大神社と名付けられました。

自然石を使って建てられた石灯籠、近づくと迫力ありました。
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こちらにも説明版があります。

ようやく拝殿の前に来れました。

改めて祀られている神様を説明版で確認すると、主祭神は、饒速日命(ニギハヤヒ)と十柱の神様を祀っています。

「ようやく来れました」ので、参拝させていただきました。

注意書きがあります。建物が傷む原因になるため清めの塩や酒をまくのを控えましょう。

他にも注意書きがあります。磐船大神社には神職は常駐しておらず、大阪府神社庁(外部リンク)によれば、太子町の科長神社が管理しています。
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拝殿の横にあったこちらは摂社と思われます。
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さて磐船大神社境内には奇岩、怪石が多いとされ、舟の形をした岩が48個あると言われています。

河南町には磐船大神社から比較的近い場所、岩橋山の周辺に人面石、鍋釜石、鉾立石と呼ばれる岩橋山磐座群があるなど、巨石が多い地域です。

磐船、浪石、燈明岩などの名前がついているそうですが、どれがどの岩なのかはわかりません。

穴が開いていて中に何かあるように見えるものもありました。古墳の石室のようにも感じますが、そういった情報は特に出てこないので実際のところはよくわかりません。

(整備してくれた方々により新しい階段と手すりが設置されていました)
こちらは10メートル近くの大きさがある巨岩で、磐船と呼ばれているという情報がありました。ニギハヤヒが天磐船に乗りて河内国河上の哮峰(たけるがみね)に天降った天磐船なのでしょうか?
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このあたりの地名は平石ですが、その地名由来が磐船とも言われているそうです。

階段を上っていくと境内摂社があります。先ほども摂社がありましたが、こちらの方が立派です。説明版に書いてあった摂社の祭神はこちらかもしれません。情報が無いので明確には不明です。

そうであれば豊受大神(とようけのおおみかみ)が祀られていることになります。伊勢神宮の外宮に祀られている同じ神様です。その他五柱の神様を祀っているそうです。
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参拝させていただきました。

さて、拝殿でニギハヤヒ命(ミコト)を参拝させていただきましたが、本殿にまだ行けていませんでした。摂社から見て下の方に本殿の社が見えます。
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不覚にも本殿を見落としてしまいましたが、気づいてよかったです。後で理由がわかりました。拝殿の後ろから本殿への上り階段があったからです。南河内地域の神社ではよくあるパターンですね。

本殿を横から撮影しました。

改めて正面に回り、お参りさせていただきました。

ありきたりですが、磐船大神社の境内は凛としたパワースポットと言える場所。来れたことに感謝します。

帰りは本殿から正面の階段を下りました。画像に見えるのが拝殿です。
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ということで、磐船大神社をご紹介しました。多くの情報では高貴寺の横からアクセスしているパターンが多い中、今回は時間の関係で西側の入口から山道を歩いて直接神社に向かって参拝させていただきました。新しい情報として参考になれば幸いです。
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なお、3月31日をもって、Yahoo!ニュースエキスパートとしての掲載は終了ですが、地域の歴史などの情報提供は4月以降も続けていきます。過去記事も含めて同じ内容を奥河内から情報発信の公式ページへ格納しており、4月からはそこがメインです。執筆記事を通じて地域の埋もれた歴史の掘り起こしを引き続き続けていきたいと考えております。

磐船大神宮
住所:大阪府南河内郡河南町平石484
アクセス:やまなみタクシー平石西停留所から15~20分ほど
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この記事を書いた人
奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。



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