大阪唯一の村の千早赤阪村は、最近若い人の移住が増えてきています。その多くは金剛山の登山がきっかけとのこと。そして自然に囲まれた場所、山がすぐそばにあるのにその気になれば大阪市内にも簡単に行けると言う理由があるようです。
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そんな、千早移住者のひとりに稲葉香さんがいます。本業は美容師さんですが、もうひとつの顔がなんと「冒険家」です!

基本的に年に一人しか選ばれない「植村直己冒険賞(冒険名:秘境の地西チベット厳冬のドルポ越冬122日間)」を、2020年に受賞した稲葉さん。西ネパールのドルボなど、普通は行けないような秘境を自らの足で歩き、素敵な写真を撮られる方です。
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(国立民族学博物館は2025年の万博会場ではなく1970年の万博会場だった万博記念公園内にあります)
さらに来年3月の国立民族学博物館の企画展「ドルポ 西ネパール高地のフロンティア(仮題)」(外部リンク)にも携わっておられます。

私はそんな素晴らしい冒険家の稲葉さんに取材を試みました。稲葉さんはリウマチと言う難病を抱えながら山に挑戦し続ける冒険家の側面がありますが、それ以上に千早に移住して生活していると言う面を中心にお話を伺うことにしました。
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ちなみに稲葉さんは5月から1か月ほどネパールに旅をされると言うことで、旅をされる直前の4月下旬にお話を伺いました。そして稲葉さんがネパールから日本に帰国する6月に入ったタイミングで記事を掲載しています。
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稲葉さんは千早赤阪村の千早の集落の中に、完全予約制の貸し切りの小さな美容院を経営しておられます。意外ですが、かつては大阪・心斎橋にもお店があったとのこと。これは冒頭にもお伝えした通り、山に囲まれた千早から大阪市内に意外に簡単に通えるからです。ちなみに車では店のあった心斎橋まで約1時間、公共交通の場合は大阪・難波から河内長野まで30分強で、河内長野から千早(金剛登山口)まで30分弱と合わせて1時間ほどの所要時間です。
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さて稲葉さんのお店に訪問してびっくりしたのは、まるでネパールではと思うような雰囲気の建物でした。私はネパールに行ったことがないので実際には違うのかもしれませんが、頭の中でイメージするネパールがそこにあったのです。
美容師になるきっかけとは

子どもの頃の稲葉さんは「手に職をつけたい」と言う思いがあり、看護師を志していたそうです。しかしあまり机の前に座って勉強するのが苦手だったこともあり、一時期、音楽の世界にもはまっていたそうです。
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そんな稲葉さんの子ども時代のこと。親族の方がグアム人と結婚をしたことにに衝撃を受け、海外への憧れが強くなったそうです。特にヨーロッパへの憧れが強く、だったら旅先でも出来そうな仕事をと考えたときに、ヘアスタイリストと言うキーワードが浮かびました。

こうして看護師はやめて美容師の道を進むこととなり、専門学校を卒業。美容師として心斎橋のお店で4年働いたのち、2011年2月に独立し、その後はフリーの美容師として同じ心斎橋で小さなヘアーサロンを12年ほど営業されました。心斎橋のヘアーサロンはワンオペ、つまり稲葉さんはひとりでシャンプーから仕上げまで全部行っていたそうです。
まさかのリウマチ発症!それでも手に職をつけたいと言う思い

ヨーロッパにあこがれて美容師になったと言う稲葉さん。そんな稲葉さんがヨーロッパではなく、ネパールの冒険家になった理由は何だったのでしょうか?それに触れる前に18歳で突然襲った病魔「関節リウマチ」のことを話さなくてはなりません。
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学校に通っていた時、突然指に痛みが走りました。当初は「腱鞘炎」だろうと軽く見ていた稲葉さんでしたが、今度は足をケガします。「まあ、放置すればそのうち治るだろう」と楽観視していたのですが、いっこうに治りません。「これは変だ」と言うことで病院に行き血液検査をすると、なんとリウマチだと判明したのです。
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稲葉さん自身もその時に思ったそうですが、「リウマチ」と言えば高齢者の病気のように思われがち。しかし実はそうではありません。関節リウマチとは、自己の免疫が主に手足の関節を侵してしまい、関節痛や関節の変形をしてしまう膠原病の一種、炎症性自己免疫疾患です。そして若年性特発性関節炎のように、稲葉さんが発症した年齢よりもさらに若い子どもにも起こりうる病気なのです。
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稲葉さんは、大きな病院で入院も経験しました。病室からは海が見えたことを覚えているそうです。そのころはリウマチの症状がもっとも悪化していて、20歳代前半までリウマチの痛さで辛かった日々を送りました。

「ただリウマチの痛さは動いているときよりも止まってときのほうが激しく、じっとしていると動けなくなる」と言うことで、稲葉さんは通院ををしながらも夜遊びで発散しました。「ハード系」と言える音楽に没頭し、当時交際のあったパートナーに辛さをぶつけてストレスを発散していたのです。
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それでも「技術だけは」と、リウマチの痛さに耐えながら美容師として免許を取り、東心斎橋の店に就職しました。「掃除からスタートし、シャンプーばかりで、ハサミはなかなか触らさせてもらえなかった」と当時のことを語ります。

でも結局、リウマチの痛みがあったために、それを軽減する仕事をと言うことで受付業務がメインとなりました。
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ところが当時の店長が稲葉さんにここでは書けないある暴言を吐いたことで稲葉さんの怒りが爆発しました。「その時は思いっきり叫んで、そのまま店を飛び出しました」と。結局その店をそのままやめて、アメリカ村の店に転職してそこでカットを学びました。

昼は忙しい店で働きながら、夜は遊んだと言う稲葉さん。「食っていきたい」と言う強い思い、「そして今のうちに遊んでおかなければ」と言うふたつの強い気持ちが稲葉さんをゆり動かします。しかし、ついに限界がきてしまい、アメリカ村の店も退職しました。そして時間が自分の思い通りになるフリーの美容師になります。
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バックパッカーで行ったベトナムの衝撃

稲葉さんは都会での夜遊び生活に限界を感じたことで、それまでの生活を一新、1997年にバックパッカーとして旅に出ました。親友とアジアに行き、また別の友達とアメリカにも行ったそうです。
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(ベトナム・ホーチミン:筆者撮影)
アジアと言うことであったので、いきなりネパールに行ったのかと思ったのですが、意外にも最初はベトナムのホーチミンでした。そしてホーチミンである場面に出会ったことが、稲葉さんの考え方を大きく変えるきっかけにつながりました。

(ベトナム・ホーチミン:筆者撮影)
「びっくりしました。足がないのにスケボーに腹ばいになって乗って移動している人がいたのです」と言う稲葉さん。とても大きな衝撃でした。「確かに自分はリウマチに苦しんでいる。しかし、あの人は足がないのにスケボーに乗っている。自分には足があるのではないか」と強い衝撃を語ります。

そして、今までは上っ面だけの付き合いが多いことに気づきました。無意識に自分がリウマチであることを隠していたことに気づきました。またベトナム戦争はおぼろげに知っていましたが、ホーチミンで戦争博物館に行き常設展を見たとき、その惨状を知るにつれて、自分がまだ恵まれている、生きる勇気が湧いたといいます。
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(クチトンネル:筆者撮影)
気が付いたときにはクチトンネルを2回行き、ベトナム戦争のことをより深く勉強しました。さらに半年後にはベトナムを南北に縦断し、そのまま陸路でタイにも行くなど、旅人としての歩みを進めていました。

(アンコールワット:筆者撮影)
「ベトナムの内戦はベトナムだけではなく、隣のカンボジアにも影響していました」と稲葉さん。その流れでアンコールワットにも行きました。その背景には戦場カメラマンの一ノ瀬泰三が撮影した写真への強い衝撃も受け、彼の足跡を巡るように戦争の爪痕を回っていったのです。稲葉さんのこの時の行動は結果的にカメラとの出会いにつながります。
「泰三さんの写真を見ると、生きている自分が恵まれているんだ、そしてリウマチを完全に受け入れられることができました」
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ネパールと植村直己にはまって冒険家の第一歩へ

稲葉さんは一ノ瀬泰三がインド・パキスタン戦争の取材をしていることもあり、今度はインドに向かいました。その時にインドと一緒に行ったのがネパールで、今考えればこの時に冒険家としての稲葉さんの第一歩につながっていきました。
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ネパールに行った時「これが神々の頂きだ」と感じたそうで、それからネパールにはまるきっかけとなりました。そして世界最高峰のエベレスト山に日本人として初めて登頂に成功した植村直己のことを知った稲葉さんは、今度は植村のことにはまり、とことん調べたそうです。

「植村さんを追いかけ、アラスカにも行きました」と稲葉さん。ヘリをチャーターして氷河すれすれのところまで。そして植村直己が消息を絶ったデナリ(マッキンリー)山を目の当たりにして、思わず大泣きをしたそうです。
同時に稲葉さんに感じたことがありました。「デナリの中で山の鼓動、エネルギーを感じた」とのこと。

「登りたくなった!」山の中で感じたエネルギーがきっかけとなり、稲葉さんは今度は山登りに挑戦することになりました。その行動力は凄まじく、リウマチと言う病気を抱えながらも2週間で標高5540メートル地点まで行けるトレッキングツアーに参加申込をします。

当然周りは驚きました。リウマチのこともありますし、それ以上に「山登りの経験がない人がなぜそんなところにいきなり行くのか?」とみんな思ったのです。しかし、稲葉さんは「無謀過ぎる」と言われながらもそれを気にせず、ネパールのツアーに参加するために最初にプールで訓練をしました。

次に近隣の山に挑戦します。まずは生駒山、次に奈良の山と言う順番に登っていきますが、スマホだけ持ってと言う軽装で登山を繰り返しました。いよいよ出発の直前には富士山に挑戦。この時も靴以外は適当だったそうですが、それはさすがにまずいと気づき、ここでようやく登山用品を購入したそうです。

稲葉さんは満を持してネパールに行きました。目標はエベレスト山が見える黒い丘(カラパタール)で、標高5540メートル地点です。最初は標高2000メートル地点からスタートしました。
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そしてゆっくりと山を登っていくのですが、この時に稲葉さんにある変化があったと言います。それは「痛くなくて普通に立てる」と言うのです。それまで毎朝起きるときにリウマチの激痛が走り、1日の始まりはそれと付き合う必要がありました。ところが驚いたことにそれがありません。
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痛みがないと言う嬉しさを感じながら毎日少しずつ上っていきます。歩く速度は決して早くありません。しかしこれが幸いしました。標高5000メートル越えとなれば当然空気が薄くなり、高山病になって途中で断念する人もいる中で、稲葉さんはゆっくりと登ったことが幸いし、問題なく順応できたのです。こうして最終目的地まで達することに成功しました。
登山でリウマチを改善したと信じたい

(稲葉さんが過去企画したネパールツアー)
「あくまで私の個人的な考えですが、リウマチは登山で改善したと思います」と稲葉さん。ネパールの高い標高と言う「厳しい環境」に身を置くことで本来の力戻ってきたんだと力説します。「山の中ではバランスを考えなければいけないので、細胞レベルで開花したのかもしれません」とも。もちろん科学的根拠はありませんが、少なくとも稲葉さんの意識が変わったことには間違いなかったのです。

当時通院していた病院では薬が多く処方されていました。「もうリウマチは治らないと思い込んでいていた」稲葉さんですが、ネパールではあえて薬を飲みませんでした。その結果、改善したかもしれないといいます。

しかし、帰国後にネパールで起ったことを話し、「もう薬はいらない」と病院の先生に言うと「それは間違っている」と、すぐに否定されました。しかし納得できない稲葉さんはついにその医者と喧嘩までしたとのこと。結局その病院に通うのは辞めたそうです。

「誰も私の話を聞いてくれないから自分でやる」と言う稲葉さんでしたが、現在は稲葉さんと相性の良い医者と出会っており、その医者と相談しながらリウマチと付き合っているそうです。
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稲葉さんは以降も近隣の山を登りながら、次はチベットを目指しました。チベットではカイラス山のふもとに行き、日本との違うチベットの内面の美しさを感じたり、さらにネパール側に行けるところまで歩いたりしたそうです。
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そして冒険家としての稲葉さんのデビューは、2007年に日本山岳会会員の大西保隊長が結成した西北ネパール登山隊に参加したことがきっかけです。

この時の目的は、大阪出身の日本人僧で、120年前に日本人として初めてインドからネパールを経由し、当時鎖国をしていたチベットに入った河口慧海(かわぐちえかい:1866〜1945)の足跡再調査と、カンテガ未踏峰登頂。以降の稲葉さんの冒険家・旅人としての活躍は稲葉さんの公式ページ(外部リンク)をご覧ください。
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千早赤阪村を選んだ理由とは

そんな稲葉さんが、千早赤阪村を住まいに選んだ理由には何があるのでしょう?やはりネパールの山に行くことがきっかけで、山に近い所に住みたいと言う気持ちが湧いてきたからです。ちょうどそのころに新しいパートナーとの出会いがあったのですが、その人も山が好きだったのです。

と言うことで新たな住む場所を考えていたのですが、当初は生駒山の近くを考えていました。そんな中、パートナーが働いていたお店のスタッフの中に千早に住んでいる人がいました。
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その人が千早の集落にあった空き家を勧めてくれたのです。当時の稲葉さんは千早に来ると言えば金剛山に登るだけだったので、バス道の下側にある千早の集落があることは気づいていませんでした。

こうして家を見に行くと「理想的な家」だと稲葉さんは直感したとのこと。「大阪市内から1時間くらいだからちょうど良い」とパートナーも喜んだので、そこに住むことになりました。ちょうど2006年のことだったそうです。当時の千早には移住者もほとんどいなかった時代です。

引越しした家は100年以上の古民家で少し斜めになっており、虫やムカデ、ヘビなどが出てくるようなところでした。それでもパートナーは山暮らしのことを学んでいましたし、稲葉さんも「自分たちが家に慣れればよい」と、プラス思考だったことで住み続けました。

「引越し直後は大変でしたが、今となっては街中に戻ろうなどとは思わない」と言う稲葉さん。ここに住んでいると、「山のエネルギーをとても強く感じる」といいます。家は風を抜けるように窓を開けていることが多いのですが、その時に山のほうから「唸り声」のような音が聞こえることもあるそうです。
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「あの日の唸りは特に印象的でした」と稲葉さん。夜中に凄い唸り声のような音がしばらく続いたのですが、突然静かになったとのこと。そして翌日の朝見ると、そこには一面の銀世界が広がっていたそうです。「これは住んでいないとわからない醍醐味です」と、千早に移住をしたことを稲葉さんはとても喜びました。
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ネパールを旅する冒険家らしく、千早で迎えた最初の冬の思い出がとてもよかったとのこと。冬は氷点下となる千早ですが、稲葉さんはそのほうが嬉しいそうで、雪が降れば金剛山に遊びに行くそうです。このほかにも千早では季節の変わり目が良くわかり、例えば、蟻が大移動すると梅雨が来ること、土間が乾くと梅雨が明けることもわかったそうです。

「当時、昼間は大阪市内の美容院に通っていたので千早に戻れば毎晩がキャンプのようだったし、極寒の環境にいたせいで耐寒がついた」と、稲葉さんは常にプラスで物事を考えているのが印象的でした。

(道の駅ちはやあかさか)
「道の駅ちはやあかさかを再生したSさんの尽力で千早に移住者が増えて店も増えました」と言う稲葉さん。大阪唯一の村、自然に囲まれた環境を残しつつも、若い人が増えてくることはこれからの千早にとっても大切なことだろうと稲葉さんは言いました。
ネパールの聖地ドルポ

稲葉さんは植村直己賞を取り「西ネパール・ヒマラヤ 最奥の地を歩く―ムスタン、ドルボ、フムラへの旅」を出版したことで、全国での講演の機会も増えました。

「自分はシャッターを切るときには心のタイミングを計ります。被写体を前にしてファインダー越しにしばらく待っていると突然心が揺さぶられる時があります。その瞬間にシャッターを切ります」と言う稲葉さん。探検家としてドルポに入り、そこで写真を撮り貯め、出版を実現するためクラウドファンディングを行い、写真集出版を実現させました。
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またチベットに近い西ネパールルの奥地「ドルポ」については、先人(1958年に地理学者で文化人類学者でもある川喜田二郎先生を隊長とした西北ネパール学術探検隊)のおかげで入ることができたと言う稲葉さん。

2007年からドルポに入域して以降、数回訪問しています。日本人からすれば高原の聖地と言う印象のあるネパールの中でもドルポは別格なのだそうです。90キロ離れた地点から歩き始め、途中5000メートル級の峠を2回越えるため、徒歩で8日間かかるような場所です。
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稲葉さんによればドルポはすべてが聖地なのですが、その中でも聖地中の聖地といえるシェー山には絶対に入らないとのこと。かつては車が通れない秘境だったそうですが、病院や食料の問題があるため、今は車でも行けるようになりました。それでも文明がドルポに入ることで状況が変わるため、そういった車が入るのは最低限になっているとのこと。

そして川喜田先生が存命中の頃のご縁から国立民俗学博物館とのつながりができ、来年の特別展開催が決まったとのこと。これは本当に楽しみですね。ちなみに現在の稲葉さんは大阪のお店を2024年5月で閉店し、現在は千早のみで美容院(カット、ヘナのみ)を行っています。事前予約制で1日現定数を設け、金曜日と土曜日だけ営業しているそうです。
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これは年間を通じてネパールとの往復をするためで、今年も5月1日からネパールのツアーも開催しました。「ネパールに行くことは強制リハビリです」と言いながらリウマチのことを忘れるほど忙しい稲葉さんです。
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そして京都の東本願寺のしんらん交流館2階大谷ホールでで稲葉さんを含めた3名のコラボ講演会「美髪とヴィジョンと本願」があります。6月22日日曜日の13:00~16:00の予定で参加費が1,500円とのこと。稲葉さんのほかには森田要さん、小出遥子さんが登壇します。

と言うことで稲葉香さんを取材しました。リウマチを抱えながら冒険家の植村直己さんにあこがれてネパールにはまり、普通の人がなかなか行けないところで心が清らかになる写真を撮り続ける冒険家です。お話を伺うと、とてもプラス志向、かつ行動力があるからできることなんだなと思いました。そんなアクティブな人が移住に選ぶ千早赤阪村、改めて魅力的な村と感じました。
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Dolpo.BC(稲葉香オフシャルサイト)(外部リンク)
住所:大阪府南河内郡千早赤阪村千早685
アクセス:南海・近鉄河内長野駅 金剛登山口および千早大橋バス停 下車 徒歩8分
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この記事を書いた人
奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。



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