大阪狭山と南河内郡の歴史

大阪狭山と南河内郡の歴史

【南河内郡太子町】古くて新しい緑の一里塚は、日本最古の国道竹内街道の休憩所を整備。太子町にあるものは

一里塚は、かつて街道を旅する人々にとって里(り:約4km)ごとの目印です。竹内街道に限らず、西高野街道にもあります。昔の人は一里塚の上に生い茂る木に立ち寄ってつくられた木陰が休憩所の役目を果たしていたそうです。
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【南河内郡河南町】昔の字(あざ)名を冠した南北朝時代作と伝わる石像が鎮座する神山の馬場地蔵

「字(あざ)」である神山の中心部に古くからご利益があると知られた「馬場地蔵」、そして隣に鎮座し、交通安全を願って新たに安置された千手観音菩薩は、今日も地域の人々を見守っています。
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【南河内郡河南町】河南町で盲腸の形をした「青崩」とは何と読む?青崩地区の歴史を考えて歩いてみました

河南町の輪郭だけを取り出した白地図ですが、気になっているところを青で囲みました。南東部を見るとまるで盲腸のように細い場所があります。盲腸のように細長い場所の周りは千早赤阪村です。しかし、なぜかこの細い部分だけが河南町になっていて、そこは青崩地区と呼ばれています。青崩は「あおげ」と呼ぶそうで、河南町上河内という大字の中にある地区(字)です。河南町の前は旧河内村、その前は旧上河内村に属していました。
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【大阪狭山市】なぜ?池之原会館のすぐ近くには旧丈六村(堺市東区)の飛び地が。その理由を探ってみた

大阪狭山市から最も近い百貨店をみると、泉ヶ丘駅にある泉北高島屋になりますが、つい最近まで乗り換えなしの堺東駅に直結していた堺タカシマヤがありました。御存じのように堺タカシマヤは1月7日をもって残念ながら閉店となりました。とはいえ、泉ヶ丘にも...
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【南河内郡河南町】かつて神社が存在した場所に残る白木神社遥拝所。その先には今鎮座する大阪唯一の村に

合祀後の元神社のその後ですが、地元の要望で復社するか、政府の方針を無視して地元でひそかに祀る、あるいは跡地として残る、もしくは完全に消滅するパターンが多いようです。しかし、白木神社の跡地には、遥拝(ようはい)所があります。
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【南河内郡河南町・太子町】おおっ、3日まで目の前で護摩焚き&法話も!元日初詣の様子を取材してみました

昨日から2026(令和8)年がスタートしました。年の初めの3日間は三が日ということで神社仏閣への初詣が行われます。ということで、昨日(元日)は河南町の北側と太子町で初詣の様子を取材しました。
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【南河内郡太子町】気軽に寺に来て、そしてもっと太子町を知って!日本最古級の尼寺、西方院院主の思い

南河内郡太子町には、聖徳太子御廟をはじめ、4つの天皇陵、日本最古の国道(官道)の竹内街道、万葉集にも出てくる二上山、二上山中腹にある日本唯一の大陸風岩窟寺院の岩屋など、たくさん見どころが多い場所。ところが残念なことに、大阪府の自治体の中でも...
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【南河内郡千早赤阪村】え?道の駅だけ周りと地名が違う!二河原辺を歩きながら地名の由来を調べてみた

二河原辺を地図で検索すると、赤で囲った地域が該当します。細長い地形で一部飛び地になっているところがありますが、飛び地は山の中です。あの道の駅ちはやあかさかの住所が二河原辺だという事実で、周りの施設は水分です
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【南河内郡太子町】日本で唯一の大陸風石窟寺院跡が二上山中腹に!岩屋と石切場跡は火山活動の結果で

二上山が太古の火山活動の結果、山の中に多くの凝灰岩があったために、古墳の石棺や石室に利用される石切り場がありました。それを活用して作られた岩窟寺院跡の存在、二上山の中腹には、二上山ならではの歴史の形跡が数多く残っています。
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【南河内郡太子町】大化の改新の時に即位し、初めて大阪に都を造営した孝德天皇が眠る山田上ノ山古墳

太子町には磯長谷古墳群(しながだにこふんぐん)と呼ばれる、聖徳太子をはじめ複数の天皇陵や小野妹子の墓などがあります。そんな中、竹内街道沿いに古墳への入口があるのが孝德(こうとく)天皇陵こと山田上ノ山古墳です。
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【南河内郡太子町】日本最古の官道、日本遺産・竹内街道。歴史に思いをはせ道の駅近つ飛鳥まで歩いてみた

私が河内長野に住んでいるために余計にそう感じるだけかもしれませんが、日本遺産といえば「中世に出逢うまち」「葛城修験」「女人高野」が思い浮かびます。しかし、南河内地域にはそれ以外に「竹内街道(竹ノ内街道)」(外部リンク)があります。(堺大小路...
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【南河内郡千早赤阪村】山城は面白い!12月14日の烏帽子形城無料講演&見学会を前に城郭サミットを紹介

千早赤阪村を中心に、南河内地域一帯は山城が多く築かれました。大坂(大阪)城のように立派な天守閣がある城ではなく、もっと簡易的な木造建築の山城でした。現在はその形跡だけが残っているのが現状で、それも専門家等の調査でしか見つけることができません...
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【南河内郡千早赤阪村】これが本物の村祭り!中津原の村衆が中津神社に地車と獅子舞、相撲を奉納

千早赤阪村は、「大阪唯一の村」というのがブランドのようになっていて、最近若い人が多く移住しているように感じます。そんな若者が集まる場所といえば、筆頭はなんといっても道の駅ちはやあかさかです。手作り感溢れる道の駅は可愛らしい道の駅として人気が...
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【南河内郡千早赤阪村】三つの自治体から地車がそろい踏み!南河内最大級、建水分神社御旅所の宮入

河内長野と狭山の秋祭りは終わりましたが、まだ富田林の一部や南河内郡の秋祭りはこれからで、この週末に行われます。(美具久留御魂神社の公式ーページに当日のスケジュールが紹介されています)例えば、喜志にある下水分こと美具久留御魂神社(みぐくるみた...
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【大阪狭山市】さやか通りに地車囃子が鳴り響く!狭山神社からさやか公園まで、地車行列についていきました

連日河内長野の秋祭りの記事を紹介しましたが、いよいよこの土日に秋祭りの本番に突入しました。しかし、大阪狭山市でもこの土日は秋祭りで、他の南河内地域同様に地車の曳行が行われています。SNSを見ると、大阪狭山市の地車の青年団のSNSで祭り当日の...
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【南河内郡千早赤阪村】10月25日開催の楠公無料講演会を前に、正成を祀る水分神社摂社南木神社をご紹介

千早赤阪村を中心とする南河内地域は、中世南北朝時代ゆかりのものが今も数多く残っていますね。さらに戦前は、大楠公こと楠木正成が天皇に忠誠をつくした忠臣ということで大いに称えられ、「楠公信仰」というべき状況でした。そのため楠妣庵(なんぴあん)観...
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【大阪狭山市】南北朝時代は北朝側の拠点跡?狭山神社境内にあったとされる河内半田城の名残「シロノサカ」

南海金剛駅の東側から駅を見ると、狭山神社のあたりが小高い山のように見えます。そして調べてみると、中世の頃には狭山神社の境内に河内半田城があった可能性があることがわかりました。(金剛駅側から見た狭山神社の境内。近くに半田城があったと伝わる)具...
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【大阪狭山市】狭山池水天宮の意外な祭神と由来は?狭山池花火と同じ日、8月1日に例大祭が行われます (2025年8月1日アーカイブ記事)

私がまだまだ知らないことが多い大阪狭山市ですが、今回は別の目的地に向かって歩く途中に気になる小さな神社を見つけました。場所はSAYAKA公園のすぐそば、住宅が集まっている中にあります。小さな社(やしろ)や祠(ほこら)が住宅の間にポツリとある...