【南河内郡太子町】日本で唯一の大陸風石窟寺院跡が二上山中腹に!岩屋と石切場跡は火山活動の結果で

大阪狭山と南河内郡の歴史

万葉集にも登場することや金剛山や岩湧山と比べて標高が低いために、気軽に登れる二上山。しかし、山の中腹には日本で唯一の大陸風石窟寺院跡「岩屋」があります。

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岩屋

万葉の森登山口から二上山雌岳に向かう登山道の途中に、岩屋に分岐する道があります。

階段になっている道を登っていきます。

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階段を上り切ると、大木が横たわっています。

1998年の台風で倒壊したという樹齢1000年の大木「岩屋杉」が横たわっています。そこを潜ると岩屋の前に出ます。



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岩屋が見えてきました。

大きな岩を大小2か所くりぬいて作られている岩窟寺院の跡で、ここは国の史跡です。



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岩屋は、凝灰岩(ぎょうかいがん)を掘って作られたとされています。凝灰岩は火山由来の岩石で、火山灰が堆積してできており、二上山に多く存在しています。

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(サヌカイト原石)

二上山はサヌカイト(ガラス質の安山岩)やザクロ石(金剛砂:ガーネット)が算出されることでも有名ですが、サヌカイト・ザクロ石、そして凝灰岩も火山由来の岩石です。これにより、二上山がかつて火山活動が盛んであったことが裏付けられます。

岩屋の説明です。8世紀のころの築造とされ、當麻寺(当麻寺)に所蔵される当麻曼荼羅を中将姫が岩屋で織り上げたという伝説があるとのこと。中将姫とは、奈良時代に當麻寺の尼として出家したとされる伝説上の女性で、阿弥陀如来と観音菩薩の助けを借りて、蓮の茎から取った糸で当麻曼荼羅を織り上げたとされます。



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伝説の中将姫が織ったとされる曼荼羅は「根本曼荼羅(こんぽんまんだら)」と呼ばれており、その図像に基づいて作られたとされる曼陀羅の総称が「当麻曼荼羅」と呼ばれるそうです。そしてそのひとつが奈良国立博物館(外部リンク)にも所蔵されています。

岩屋には登山道分岐点から歩いた道とは別の道があり、その道を進むと岩屋峠と呼ばれる地点に行けます。岩屋峠は、竹内街道の間道(かんどう:抜け道)が二上山中腹に東西に続いている途中にあります。岩屋峠から奈良側に山道を下っていくと、祐泉寺を経由して當麻寺(当麻寺)に続いています。そのため中将姫が岩屋の中で当麻曼荼羅を織り上げたという伝説もできたようです。



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こちらに岩屋に関する歴史年表があります。西暦700年ごろに岩屋と鹿谷寺が二上山の中腹に作られたとされ、さらに二上山の凝灰岩が平城京での造営で使われたことや金剛砂(ザクロ石)が採取されはじめたこと、中将姫が当麻曼荼羅を織り上げる伝承などを紹介しています。

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年表はさらに倒木してしまった岩屋杉が芽生えたことや、楠木正成が二上山雄岳山頂に築いた山城二上山城を築城したことなどの記載があります。最後は2000年に倒木した岩屋杉に変わって二代目岩屋杉の苗が植樹されたというところで年表が終わっています。

改めて岩屋を確認しましょう。岩屋は大きいほうと小さいほうの二基の石窟があり、大きいほうの石窟の手前には柵があり近づけません。画像は柵の隙間から撮影しました。

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大きいほうの石窟は幅7.6メートル、高さ6.14メートル、奥行き4.5メートルあり、中央には凝灰岩で作られたという石塔があります。



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ただし岩屋を作った人物などは、文献の記録がないため不明とのこと。

こちらは小さいほうの石窟で、幅2メートル、高さが1.8メートルで奥行きが1.4メートルあります。

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木の札が置いてありました。



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改めて岩屋の手前に横たわっている岩屋杉を見てみましょう。

岩屋杉は最初にも書きましたが、1998年の台風で倒木してしまいました。樹齢は約1000年とのこと。

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2000年に二代目岩屋杉を近くに植樹されたということで、すでに25年が過ぎています。



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さて岩屋の周りがどんな感じなのか動画で撮影しました。

石碑がありました。ほとんど読めませんでしたが、かすかに「左」が読めたことから道しるべと考えられます。

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石切場跡

岩屋の西側には石切場跡があります。万葉の森登山口から二上山雌岳に向かう登山道の途中、岩屋への分岐よりも手前にあります。

説明によれば、古墳時代の終わりごろに奈良県明日香村の高松塚古墳やマルコ山古墳の石槨(せっかく:棺などを納めるために作られた箱型の空間・外箱)の材料で利用されていたり、寺院や宮殿の基壇化粧石(きだんげしょうせき:基礎を覆うためのもの)で利用されたりした凝灰岩の切場です。



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石切り場への上りも階段です。

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この道は少し急な階段でした。

階段を上がりきると石切場跡に到着します。

石切場(高松塚)という看板があります。



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石切場です。これを見ると確かに岩屋の岩窟に似ていますし、岩屋自体が石切場の跡地を利用したであろうことが想像できます。

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説明によれば凝灰岩の露頭がむき出しになっていたところを切り出したようで、穴のように見えるのは矢の跡です。矢で岩をつついて方形に切り出した痕跡とのこと。

石切場までは急な坂でしたが、ここからはそれほど勾配のない道でした。



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横の道を歩いていくとやがて登山口と合流するのですが、その場所がちょうど岩屋との分岐点とほぼ交差しています。

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(近つ飛鳥博物館で復原された鹿谷寺(ろくたんじ)の石塔)

今回は行けませんでしたが、近くには岩屋と同じ時期に作られた鹿谷寺跡もあり、二上山中腹には岩盤を掘って作られたは日本でも珍しい大陸型石窟寺院跡が残っています。



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二上山が太古の火山活動の結果、山の中に多くの凝灰岩があったために、古墳の石棺や石室に利用される石切り場がありました。それを活用して作られた岩窟寺院跡の存在、二上山の中腹には、二上山ならではの歴史の形跡が数多く残っています。

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岩屋と石切り場跡

住所:大阪府南河内郡太子町山田
アクセス:六枚橋東バス停から徒歩1時間程度



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この記事を書いた人

奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。

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