【河内長野市】今日は初めての「いいつまようじの日」!河内長野が誇る地場産業記念日!爪楊枝の歴史と今後

河内長野の歴史

歴史ある文化財があり、現代進行形でいろいろなことにチャレンジしている河内長野の産業といえば林業や農業のイメージがありますね。一方、ワークワクワク河内長野で紹介されているように、個性豊かな元気な企業も数多くあります。

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(金沢の金箔)

その中で地場産業といえるものとは何でしょうか?例えば全国シェアが高い産業の例を言えば、北陸の金沢の金箔は98%のシェアを持つといいますし、その手前にある福井県鯖江市の眼鏡産業は9割のシェアを越えるといいます。

そんな地場産業が河内長野にもあります。それはつまようじ(爪楊枝)です。1990年代の資料では、国産つまようじのシェア95%を持っていたれっきとした地場産業です。



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(河内長野のお土産コーナーで販売しているつまようじ)

そして大きな特徴として、金箔は贅沢品、眼鏡は必要としている人が限られているのに対し、つまようじは絶対ではないけれど、より多くの人が普段必要としている必需品です。



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そんなつまようじはキャラクターにもなっています。画像のようじ君は河内長野警察署のキャラクターですが、顔が長いのは「つまようじ」がモチーフになっているからです。

かつて河内長野には39社のつまようじを製造している会社があったそうですが、今はほんのわずかしかありません。

私は早い段階から河内長野の地場産業のつまようじに注目していて、一度しっかりと取材をしたいと考えていました。しかし、無知だったためか、広栄社さんと菊水産業さんしか知らなかったことで、どちらを取材するのが良いのか迷いに迷って月日が経っていたのです。



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なぜならば同じような事業を行っている2社があると片方を取材するともう片方に申し訳ない気がしたからです。昔一度、菊水産業さんの工場が火災被害にあったときに取り上げましたが、これは「つまようじ」そのものではなく、林業女子会@大阪さんが応援したいという取り組みがメインだったので、少しニュアンスが違いました。

ところが実際には、上記2社外にも上原町のやなぎプロダクツさんや原町の大宅産業さん、小山田町のまるきさん。

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寿町のまるわさんなど、つまようじ産業とかかわりのある企業さんが複数社あることをつい最近知りました。



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そしてつい先日も中高向から下高向のあたりを電柱を見ながら歩いていると、八田商店さんの前を通りました。

(2017年10月の河内長野市報道資料より)

そして2017年に9社によるかわちながの楊枝組合(現:日本つまようじ組合)という組織が設立されたことを知りました。

そして、日本つまようじ組合が「いいつまようじの日」という記念日を認定してもらったことで西野市長を表敬訪問するという情報を知った私は、市役所にてその様子を取材させていただくことになりました。



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日本つまようじ組合が市長を表敬訪問

(市長到着直前の様子)

この日は、組合の9社のうち、7社の方が市役所に表敬訪問しました。河内長野市側は西野市長のほか、谷ノ上局長や寺島営業部長などの面々が迎えました。

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市長が入ってこられたところで、表敬訪問のいきさつについての話がありました。

菊水産業の末延秋恵社長です。日本つまようじ組合の広報も担当していて、今回の「いいつまようじの日」を11月24日制定のために奔走した方です。

(日野にある菊水産業のつまようじ工場)

末延社長によるとつまようじ組合を立ち上げてから、当時行われていた高野街道まつりなどで「河内長野の地場産業つまようじ」のPR活動を行っていました。しかし、コロナ禍により、活動ができなくなっただけでなく、高野街道まつりそのものもなくなってしまいました。

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そんななか、末延社長は広報活動がとても得意で、SNSのフォロワーが11万7千人という河内長野でおそらくトップクラスといってもいいほどのインフルエンサーのひとりです。広報誌にも登場し、また火災被害というトラブルがあったものの、それを乗り越えてこられました。

(高向のBrio burger & bicycleさんで使わせていただきました)

SNSのフォロワー数が多いだけでなく、つまようじという「脇役」を引き立てるような製品のデザインを考えるアイデアマンでもある末延社長は、次の展開としてSNSで盛り上がっている「○○の日」という記念日をつまようじでも作ろうと考えました。

こうして記念日登録のために一般社団法人日本記念日協会に申請を行いました。11月24日は、末延社長がSNSでアンケートをとった結果に基づくものです。ところが申請を出すと、協会側から別の日が提案されたそうです。



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つまようじが細長いことから「11月11日」「11月1日」などの候補を打診されたそうですが、末延社長は難色を示しました。それはSNSのアンケートで日程を決めたという理由もありますが、それ以上に11月1日のように月初めは非常に記念日が多いこと、また11月11日は「ポッキー&プリッツの日」というとても強い記念日があります。そこで比較的他の記念日が少ない11月24日にこだわった結果、11月24日が「いい(11)つ(2)よう(4)の日」として認定されました。

今回の「いいつまようじの日」認定について、西野市長は地域の活性化につながるとして、市としてもとてもうれしいと発言されました。余談ですが、11月24日は他に、鰹節の日、思い出横丁の日、オペラ記念日、和食の日などがあります。

そもそもつまようじがなぜ河内長野の地場産業に

ということで、11月24日が「いいつまようじの日」となったわけですが、そもそも河内長野とつまようじとの関係についてとても気になりました。そこで「いいつまようじの日」制定を記念して、つまようじの歴史と河内長野とのかかわりについてざっくりと調べてみました。

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今回は道心著、浮原忍監修の「楊枝学」を主な資料に使いました。図書館の非貸出品のため関係する場所をコピーした資料を基にしました。さらに、日本つまようじ組合の河内長野市の楊枝産業史(外部リンク)などを参考にしました。

広栄社の稲葉修会長です。広栄社にはつまようじ資料室がありますが、懇談の中でもつまようじの歴史についての話をされていました。稲葉会長によればつまようじの元となる「木の枝」を噛む行為は世界中にあるといいます。

(中国のフードコートにあったつまようじ)

つまようじと人類との歴史は古く、仏教の釈迦やイスラムのムハンマドがつまようじを奨励したそうです。そのほかにもヨーロッパやアメリカ、オーストラリアなどでもつまようじが使われていることがわかります。



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(ベトナムの食堂でつまようじは必須:画像右下)

またアジア圏特に中国やベトナムなどでもつまようじは必需品です。

(外国のつまようじとつまようじ入れ)
私が昔ベトナムに渡航した際に、男女を問わず多くのベトナム人が食後につまようじを使っていた光景を毎回何度も目撃したことがあります。

仏教の伝来とともに、日本につまようじの文化が入ったといいます。古代(奈良、平安時代)のころは、僧侶が主に使っていたつまようじは、近世江戸時代になって庶民に伝わったとのこと。記述ではなぜか中世(鎌倉~安土桃山)が抜けていますが、多くの文化は庶民に伝わる前に武将たちが先に使っていた事例が多く、「武士は食わねど高楊枝」ということわざがあることから、中世のころは武士たちにつまようじを使う文化が広がっていた可能性があります。

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情報が出てこないのであくまで推測ですが、もしかしたら楠木正成が楠公飯を食べた後につまようじを使っていたかもしれませんね。

(広栄社にあるつまようじ資料室は河内長野の小学生が全員見学するという)

江戸時代に中期ごろまでは露天商が制作していたつまようじ産業が店を構えるようになり、やがて製造と販売が分かれ、つまようじ会社へと発展していきます。ところが稲葉会長の話では、明治時代になり歯ブラシの文化が入ってきたことで、つまようじの産業に影響が出たといいます。1872(明治5)年に輸入品を真似た歯ブラシが製造されたことで、それまで「同じ口の中を掃除する」ためのものから、つまようじと歯ブラシに分かれていきました。



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(高向神社)

といいつつも、河内長野とつまようじ産業との関係は明治以降になるそうで、1880~81(明治13~14)年ごろに当時の錦部郡高向村(現:河内長野市高向)の大宅長平が黒文字でつまようじの製造を始めたことが最初です。当初から河内長野がつまようじの地場産業というわけではなく、農家の副業のようなところから始まったとのこと。

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(くろまろの郷でつまようじの原料となる黒文字を販売)

河内長野が、「黒文字(クロモジ:クスノキ科クロモジ属の落葉低木)」の産地だったことから農家に材料を渡す仲買人がいて出来上がった製品をつまようじの業者に納めていたそうです。1884(明治17)年ごろからは海外輸出が行われ、さらに大阪市内に商社が設立されたこともあり、錦部郡天野村(現:河内長野市天野町)などでもつまようじの生産が広がっていたそうです。

(広栄社さんを公道から撮影)

さらに大正時代になると黒文字の楊枝よりもコストが安い丸楊枝(よく見かけるつまようじ)の量産が、三重県鈴鹿市の「関勢社」で成功。関勢社を設立したのは稲葉由太郎で、現在の広栄社の前身企業でした。関勢社は河内長野が大阪や京都、神戸といった都市部の消費地に近いことから、三重の製造力と河内長野の販売力が連携する動きを模索しました。

(広栄社さんを公道から撮影)

そのころにはアメリカで作られた「平楊枝」が輸入され始め、従来のつまようじ業者が閉鎖に追い込まれたことから日本のつまようじの機械化が始まり、大正15年には河内長野で機械を使った平楊枝の大量生産が始まります。こうして河内長野がつまようじが地場産業に発展していくのです。そしてこの頃に設立されたのが今も河内長野にある広栄社さんです。



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「いいつまようじの日」認定を受け、今後について

河内長野市と日本つまようじ組合との間で懇談の席で、せっかく制定したのだからこの記念日を活かせることを考えたいという話になりました。すでに万博のEXPOホールで行われた奥河内音絵巻2025の最後に、次回予告として2026年9月13日に「つまようじ」をテーマにしたステージを行うことが予告されています。

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(駅前長野商店街で、一本だけオレンジではなくつまようじ色した柱がある)

市長とともに同席していた谷ノ上局長の話では、昨年学生と駅前の長野商店街を盛り上げるワークショップを行った際に、学生たちも「河内長野=つまようじ」の印象が強いため商店街の柱のひとつをつまようじ色に塗って、つまようじに見立てたという話をしていました。

その流れからつまようじのモニュメントとのようなものがあればという話になり、作るとしたらくろまろの郷が良いのかなということで時間まで盛り上がっていました。

(山口県湯田温泉の駅前モニュメント)

くろまろの郷か河内長野駅前、それとも別の所になるかわかりませんが、いつか画像のような感じでつまようじのモニュメントが市内のどこかにできるかもしれませんね。

少しだけの時間でしたが、懇談の様子を伺いました。モニュメントはともかく、つまようじに関するイベントが来年の11月24日の前後に行われる可能性は高い気がしました。

ということで、今回はつまようじの歴史と河内長野の産業との関係についても含めて日本つまようじ組合が新しい記念日を登録し、市長に表敬訪問した内容をご紹介しました。来年以降、11月24日に河内長野でつまようじに関するイベントや催しが行われ、つまようじ産業が河内長野の地場産業としてより多くの人に知られる機会になれば良いですね。

今日は初めての「いいつまようじの日」ということで、どの商品でも良いのでつまようじの写真やライフハックなどのつまようじエピソードを #いいつまようじの日 を付けて本日11時24分から投稿すると抽選で日本つまようじ組合からプレゼントがあるそうです。

せっかくなので私も予約投稿してみました。

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河内長野市役所

住所:大阪府河内長野市原町1-1-1
アクセス:河内長野市役所前バス停下車すぐ



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この記事を書いた人

奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。

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