【河内長野市】こんなところに?原町で複数見つけた道標の正体を調べると有名な街道同士の交差点だった

河内長野の歴史

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河内長野市役所のある原町、西高野街道沿いには歴史を感じるスポットがいくつもあります。その中でもこれまで情報があまり出て来ていなかった石碑を発見しました。

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場所は大阪外環状線のすぐ南側です。画像左側(南側)を少し歩いたところで見つけました。


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その場所を目指してみましょう。この位置から最初に右に細い道がある所にそのスポットがあります。

こちらです。自然の石ですがこれは道標を後ろから見ています。

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こちらが正面ということで、南北に続いている西高野街道から左に分かれるところにこの道標があります。


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道標から大阪外環状線方面を見ます。本当にすぐ南側ですね。

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改めて石碑を確認しましょう。なんと刻んでいるのでしょうか?右と左はすぐにわかりますね。


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こちらは「左 まきの」と書いてあります。あとで調べると、実は地面の下に続きがあり、本当は「まきのを」と刻まれているとのこと。

そしてこちらは「右 さかい大」と見えますが、同様に下に続きがあり「さかい大坂」と刻まれているとのこと。さらに石碑がいつ建てられたのかも判明しました。1848(嘉永元)年です。

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(寺内町と旧巡礼街道の合流点にある道標)

「さかい(堺)大坂」は西高野街道、「まきのを」は槇尾山なので、巡礼街道(西国三十三所観音の巡礼の道)を表していることがわかります。西国三十三か所の四番・施福寺(せふくじ)から五番・葛井寺(ふじいでら)の間にあった(旧)巡礼街道が河内長野を経由しています。


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そして、先ほどの石碑から数メートル南側にもうひとつの石碑を発見しました。電信柱のすぐ右にある石で、住宅の石垣に混ざっていて少しわかりにくいです。

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こちら、右はどうにか「かうや(高野)」と読めますが、左は「る」のような文字が続いていてよくわかりません。あとで調べると「左 ふじゐ寺(葛井寺)」と刻んでいるそうです。


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こちらの図のようになっていて、藤井寺からの巡礼街道は富田林寺内町で東高野街道と合流し、河内長野の向野町で東高野街道と巡礼街道が分離し、巡礼街道は西南のほうに道が続きます。そして原町の地点で西高野街道と交差していて、ここにそれぞれの道標があるのです。

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そして巡礼街道はその後、原町から西代町や野作町などを経由して天野山の前に行き、更に和泉市の槇尾山施福寺に向かっています。


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(道標の位置から西に続く道)

交差点と言ってもふたつの分かれ道が数メートル離れています。様々な可能性が考えられますが、古い町並みでよくある事例として、古い道標や地蔵堂が元あった場所から家を建てる、あるいは道路を新しく作るなどの理由などで、少し違う場所に移築されている可能性があります。しかし、今回の場合残念ながらそれについては情報がなく、不明です。

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(道標の位置から南に続く道)

ということで西高野街道沿いにある道標を紹介しました。ゆっくりと何かないかと歩いていると、いろんなものが見つかるのが古くからの街道を歩く楽しさですね。


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原町にある巡礼街道と西高野街道の道標

住所:大阪府河内長野市原町
アクセス:南海・近鉄河内長野駅からバス 河内長野市役所前下車徒歩7分

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この記事を書いた人

奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。

 

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