【河内長野市】事実は小説より奇なり!借金・噂、創業300年河内長野最古級の事業者・天野酒の社長が語る壮絶な半生と酒蔵通りを盛り上げたい思い

インタビュー記事

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「事実は小説より奇なり!」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?これはイギリスの詩人、ジョージ・ゴードン・バイロンの風刺詩「ドン・ジュアン」に登場するフレーズです。実際に起こる出来事は、人間の想像力で作り出される小説などのフィクションより、はるかに突飛で予測不可能という意味があります。

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(5月28日から6月7日まで開催)

そして、その言葉そのものの驚くべきエピソードを持つ人が河内長野にいます。天野酒こと「西條合資会社(以下、天野酒)」の十代目蔵主、西條陽三社長です。毎年恒例のホタルの宴が木曜日からスタートしますが、それに先立ち「事実は小説より奇なり!」と言える壮絶な半生をインタビューしました。


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バブルで背負った14億の借金

「本当にドラマや映画の世界を経験したわ」と、開口一番に語った西條社長。詳しくはあとで触れますが、大学を卒業後、外の企業で働いていたのですが、近い将来の跡継ぎとなるため天野酒に戻り、しばらくは蔵人(酒蔵の従業員)として働いていました。

ちなみに天野酒は、先々代が実父で、先代は親戚の方。先代社長は、経理について一切教えてはくれませんでしたが、働いているうち「借金があるんやろうか?」と、西條社長はうすうす感じていました。しかし具体的な金額などは何一つ知らされておらず、黙って跡を継ぐために仕事をこなす日々でした。


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そんなある日、急に先代が倒れ入院してしまいます。そのため急遽跡を継ぐことになった西條社長、帳簿を見たとき思わず固まりました。なんと「最低でも14億の借金がある」ということだったのです!

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その数字がわかった時に、会社には100万円しかないという事実もわかりました。14億円は、とうてい返せる額ではありません。

さて、14億円は金額が大きすぎるのでわかりにくいかもしれません。少し桁を下げてみましょう。つまり1400万円の借金があるのに、手元に持っているのは1万円という状態です。

「バブルの時にけっこう投資をやったみたいやった。店の建物も前の倉庫も全部抵当に入ってたんや」と、西條社長は当時を振り返ります。

廃業か継ぐか、揺れた心を押した一言


(令和8年金賞を受賞)

「ただ、業績だけは良かったからな」と西條社長。西條合資会社は1971(昭和46)年に天野山金剛寺からの呼びかけで「天野酒」を名乗ることになり、豊臣秀吉が愛したという中世の名酒・僧坊酒を復興。そして杜氏さんを辛口で力強い味わいの酒を得意とする「丹波」から香り高く繊細で、綺麗なのど越しの酒を得意とする「南部」に変えるなどして改革を行いました。その結果、全国の日本酒ファンからも「名酒の出す酒蔵」と認められます。


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バブルの失敗さえなければ、優良企業だったのです。

当時の年商は3億円くらい。借金が14億あるため、利益が金利に消えていくという状況でした。

そもそも、この14億円は西條社長が作った借金ではありません。これを自分が返済する必要があるのかどうか迷いました。多くの知人や友人からは「それを背負う意味がある?会社を倒産(民事再生)させたら」と口々に言われました。

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しかし、金を貸していた銀行は民事再生に否定的です。それだけではありませんでした。天野酒が加盟している大阪府酒造組合との関係も出てきました。


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酒造組合の信用保証制度はあるのですが、会社をつぶせば当然債務保証を行っている酒造組合に迷惑がかかることは間違いありません。

西條社長は、当時組合の理事をしていた同業者(A社)の社長に、わらをもすがる気持ちで相談しました。すると理事が「逃げるな!家業を継いだのはお前やないか」と烈火のごとく怒ったそうです。

この一言に西條社長は表向きは理事に謝罪しましたが、内心では「他人事やと思って」と、当時はとにかく不快に思っていました。

でも結果的にこうして激怒してくれたからこそ天野酒が再生したのですから、今となっては「ありがたい言葉だった」と当時を懐かしみます。

こうして西條社長が今でも語る「地獄の10年」がスタートします。その日から西條社長はがむしゃらに働き始めました。新規顧客獲得のためにスーパーや百貨店、飲食店を回ったり、南海難波駅でのワゴンセールを行ったり。とにかく買ってくれそうなところを走り回りました。当時は、睡眠時間がわずか2・3時間という日が続いていたそうです。


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「不渡り(支払期日が来ても、お金が支払われなかった手形)が出ないか、毎日ビクビクしていた」とも言います。理由は不渡りが2回出たら銀行取引停止処分を受け、事実上の倒産になるからです。

「老舗の子」が通用しない外の世界

ここで結論を言えば、西條社長が跡を継ぎ、最終的に膨大な借金を完済したのですが、そんなパワーがどこにあったのでしょうか?それは学校を出てすぐに天野酒に入ったのではなく、いったん外の企業に就職して営業マンとして働いていたことが大きかったのです。

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(西條合資会社・天野酒の創業と同じ年と伝わる株式会社吉年)

改めて河内長野最古の事業者を探すと、天野酒と鋳物メーカーの「(株)吉年」が出てきます。奇しくも同じ1718(享保3)年創業の300年企業ですが、「(株)吉年」は民事再生ののち河内長野興産株式会社が吉年として引き継いでいるのに対して、天野酒は今も創業から続いている老舗です。


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そんな老舗で生まれ育った西條社長ですが、中学まで地元だったので、老舗の名士の子どもとして地域の人々からちやほやされていました。高校・大学、就職と河内長野の外に出たことで「実は裸の王様になっていた?」と気づいたそうです。

ちなみに高校時代はラグビーで大学はテニスをやっていたとのこと。関西大学を卒業した西條社長は、優良企業に入ろうと鉄鋼メーカーに就職するのですが、就職活動では募集人数が少ないところを狙いました。そのほうが出世の可能性が高いと考えたからです。

そして大卒として入社すると部長以上の役職は約束されていたということだったのですが、そのことに対して嫉妬している人たちがいました。それは高卒であることで課長どまりになる可能性が高い人たちです。

「鬼課長の下に入ってしまった」と西條社長。今と違ってパワハラなどの言葉のない時代だったので、とにかく感情的に怒られていたと振り返ります。その課長の上司である支店長も思わずビックリするほど職場で罵声を毎日のように浴びたのです。それでも納得いかない場合は徹底的に食い下がるなどしたので、よけい風当たりが強かったのです。


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「悔しいから何度も泣いた」という西條社長。その悔しさを晴らすように残業して仕事をこなす毎日。悔しすぎたこともあって、あえて残業代も一切申請しなかったと言います。

このように、とても厳しい課長だったので退職していく人も多い中、西條社長は3年耐え抜きました。この時の厳しい経験が、多額借金を背負った実家を継いだ後も耐え抜くことができたのかもしれません。

幸いなことに鬼課長が異動になった後は良いことがありました。次の課長は対照的にとてもやさしい人。後に関連会社の副社長になった人になったそうです。「天と地の違いやった」と振り返って語りました。

会社にいても社長になれんから」と家業を継ぐ

西條社長は次男でした。「老舗の家の者はこうでなくてはならない」という意識があるため自由にできない空気がある中、「次男やし」と、比較的自由に行動していました。学生時代にバイクに目覚め、オーストラリアの砂漠を走るような冒険もしていました。兄がいるからと、本来は家業を継ぐ予定はなかったのです。


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仕事を辞めて河内長野に戻ってきたのは、兄が継がないという理由もさることながら、「このまま企業で働いても社長になれんしな。実家の天野酒やったら社長になれるわ」という野心もありました。

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やがてご縁があり奥様と結婚しました。奥様も地元錦町の人だったのですが、年齢差などもあり、小中学校時代は知らない関係でした。ちなみに奥様は新人時代の西野大阪府議(現:河内長野市長)の選挙事務所に勤めていたそうです。

交際を経て結婚という段に進んだ時、ちょうど借金が発覚した頃でもありました。「それでも本当に結婚してくれるんか?」と念を押したら、すぐに「それでもいいよ」と嬉しい返事が。

「多額の借金があるとわかっていながら、なんで『良い』と言ったんだろう」と、今は笑いながら思い出を語ります。

「乗っ取られた」と訴えられた日と裁判

「遠い親戚より近くの他人」という諺(ことわざ)があります。血がつながっていても遠い親族より、他人の身近にいる人のほうが頼りになるという意味です。西條社長は膨大な借金を前に、まず血縁者に頭を下げ協力を求めに周りました。しかし、その件ではいっさい協力してもらえなかったそうです。


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それどころか、逆に「会社を乗っ取られた」と訴えられもしました。それは治療が功を奏して回復した先代社長からでした。

年齢的に考えて、西條社長はいずれ後継者になることが決まっています。本来なら倒れた人が回復したなら、それまでは「社長代行」ということで、社長職を一時的に返還すれば問題がなかったのかもしれません。

しかし、本人よりも「また社長に返り咲くのだったら、全額返還請求をする」と銀行がそれを許しませんでした。ところが先代は、これを「乗っ取られた」と勘違いしたのです。そうしてこじれにこじれ、警察沙汰になるような暴力をふるまわれたこともあったそうです。銀行の手前上、社長職の返還もできずに困り果てます。

ついに先代は弁護士を伴って現れ、西條社長を一時的に追い出しました。「同族で裁判っていうのもなんやねん」と思いながらも、裁判がスタートします。銀行は裁判結果が確定するまで様子をうかがっています。

「それやったら別に借金返さんでええから」と、西條社長はハーロワークで仕事を探していたといいます。しかし、いったん継いだ社長業、借金はあるけども「またやりたくなった」という強い思いはありました。裁判は最終的に西條社長が勝訴し、天野酒の社長に復帰できました。

金利との戦い、金融機関の変更と完済まで

「生殺しという奴や。利息だけ払って元本が減らんのやもん」という西條社長。返しても返しても、金利分を返すのが精いっぱいだったということで、骨の髄までしゃぶり取られる思いでした。


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しかし、死に物狂いで働き、販売先を広げる様子を見ていたのか、別の金融機関でした。そして取引銀行より低利での借り換えを提案してきたそうです。このことで利息が下がったこともあり、借金は徐々に減っていきます。

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そして借金が判明してから10年でついに完済!それは河内長野の日本酒メーカーが生き残ることになったのと同時に、300年の老舗が生き残ったことを意味します。

一連の動きが誤って伝わってしまった「噂」の数々

最低でも14億あった借金を完済した。実はこれが影響しているのか、天野酒を巡っていろんな噂があります。


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「A社から資金援助を受けたらしいな」「いやB社の雇われ社長らしいわ」「いやいや、日本酒じゃないけど醸造しとるC社の子会社やと聞いたで」

しかし、西條社長はすべて「デマ」と断言します。「A社は付き合いがあるが、資金援助じゃなく叱咤激励したされただけやし、B社に雇われてるわけやない。C社なんか名刺交換したことすらしたことないのに」とのこと。

私は、実際にこれらの噂を聞いたことがあります。とにかく驚いたので、ネットで出てこないか調べてみました。そうすれば必ずどこかに「痕跡」があり、そこから真実に迫れるのですが、いくら探してもそのような情報が一切出てきませんでした。

煙の無いところに火は立たずと言いますが、煙が無いのに火が立ってしまったのです。

裁判を起こした人が悪口を言ったことが原因なのか、大借金を完済したという奇跡の裏返し、あるいは別の老舗が法的手続きを行って、経営者が変わったことが天野酒と置き換わってしまった?いろんな情報が憶測を呼んでしまったのかもしれません。

「今だにそんなこと言う人いるけど、いちいち反論してもな」と西條社長は呆れていました。

あえて「天空」としてオープンさせたかった幼少期の思い出

「完済した直後は燃え尽き症候群みたいになったわ」と西條社長、良くも悪くも気持ちが軽くなって気持ちは晴れやかになったと同時に、やり切った感も出てきました。「無理して寿命を縮めるのはもったいない。貯金をため込んでも跡を継ぐ子どもが楽になるだけだし、だったら7~8割程度でええやろう」と、現在はかつてのような無理な営業はしていないそうです。


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さて、酒蔵通りの目の前には「大阪産天空」があります。無事に借金を返済できた西條社長は次の目標として目の前の建物を活用したいと考えていました。

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「あそこには幼い時の思い出があって」という西條社長。幼い時に祖母が建物の中にある仏壇に毎晩拝みに行っていました。少年時代の西條社長は懐中電灯だけで暗闇の中を着いていき、仏壇に拝む祖母を後ろからずっと眺めていました。


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「あれを思い出すとこの建物を生かさなあかん」と西條社長は考えました。本来なら取り壊して新しい建物にするほうがコストは安いのですが、あえて古い建物のままリノベーションします。

自力で屋根を治すなど修繕が終わり、いよいよ飲食店にと考えていた矢先、コロナ禍に突入し、計画がとん座します。

(内装工事中の様子)

一時はあきらめかけていましたが、事業再構築補助金があったのでそれを利用して天空オープンに繋げました。「幼い時に祖母に託された気がしたんや」という思い。300年の老舗企業のアイデンティティがそうさせたのかもしれません。

天空がオープンしたことで、天野酒のお酒が酒蔵の前で飲めるようになり、ホタルの宴で用意する弁当も自前で作れることになりました。


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「あと二店できたら」酒蔵通りと町のこれから

今年2月、天空の隣にORIENTAL CAFE DINING SuuSuu (スースー)がオープンしました。創作タイ料理店です。

私は個人的にタイという国に何度も訪問していて、もちろん現地でタイ料理を食べたことがあります。だからそう思うだけかもしれませんが、料理写真などを見るとかなり本格的な大衆タイ料理です。ベテランタイ人シェフが作っているということもその理由のようですが、ならば「本格タイ料理」と書いたほうが良いのでは、料理ジャンル的に創作ではないのではと感じていたのです。

しかし、西條社長は「僕らみたいなタイ料理を知らんもんからしたら『本格』って書かれたら行きにくし、『創作』のほうが入りやすいと思うんや。実際美味かったし」と語りました。それを聞いて「なるほどそういう考えもあるんだ」と思いました。

「今は個の酒蔵通りには、天空とSuuSuuの2店しかないけど、あと2店くらいお店が入ったらこの通りはもっと賑やかになるねんけどな」と西條社長。酒蔵通りを地域の名所としてもっと盛り上げていけたらと言います。その背景にあるのは、次世代に残すのは酒蔵だけでなく「まちの保存」でした。

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河内長野ではコロナ禍の前に高野街道まつりと河内長野市民まつりがありましたが、高野街道まつりは風情があり周りのお店も協力して大いに盛り上がったそうです。しかし、コロナが明けてからは両方行われなくなりました。


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市民祭りの実行委員会は2022年に解散しましたが、高野街道まつりはどうなんでしょう?「まだあの時のように、この通りが多くの人でにぎわって楽しくなるイベントができたらええなぁ」と、西條社長は締めくくられました。

インタビューを終えて

ということで西條社長のインタビューが終わりました。天野酒は個人的に好きな味の日本酒です。5年前に河内長野に引っ越した時、住んでいる「まち」に日本酒蔵があることをとても喜んだものです。

昔は各地に酒蔵がありましたが、今では南河内地域ではほぼ唯一と言える存在となった天野酒。お話を伺うと壮絶な存亡の危機があったことを知り、「良く生き残ってくれた」と思ったのが正直な感想です。まもなくホタルの宴が始まりますが、冬の酒蔵見学も含め、毎年の風物詩として、これからも楽しいイベントが続いてほしいと思いました。

西條合資会社(天野酒)

住所:大阪府河内長野市長野町12-18
TEL:0721-55-1101
営業時間:10:00~17:00(1月1日のみ休み)
アクセス:南海・近鉄河内長野駅から徒歩5分

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この記事を書いた人

奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。

 

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