※アーカイブ記事なので情報は掲載当時のものです
千早赤阪村は山深いところにあり、スピリチャルな雰囲気が漂うパワースポットが点在しているように感じます。例えば地元では「すいぶん神社」と呼ばれている建水分神社(たけみくまりじんじゃ)もそのひとつではないでしょうか?
水分(みくまり)神社は、建水分神社以外にも全国に存在していますが、主に奈良(大和)と大阪(河内)に多いようです。奈良側には吉野の水分神社、宇陀の宇太水分神社、葛城の水分神社、旧山野辺郡都祁村(現奈良市)の都祁水分神社(つげみくまりじんじゃ)があり、この4社を大和四水分社と呼んでいるとのこと。
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(喜志の宮こと美具久留御魂神社)
大阪側をみると、富田林にある美具久留御魂神社は別名下水分、建水分神社を上水分と呼んでいて、対の関係としています。また錦織神社も加えて河内三水分社と呼ばれているそうです。

水分神とは、山の分水点(頂上部分から左右の下流に水が流れる地点)と関係する神様のことです。水の分配(くまり)を司どる神として、古事記や日本書紀に登場します。それによると、国造りのイザナギ、イザナミの子で男女一体の神(ハヤアキツヒコ・ハヤアキツヒメ)が産んだ子どものなかに天之水分神(あめのみくまりのかみ)・国之水分神(くにのみくまりのかみ)がいて、イザナギ、イザナミの孫にあたります。この2柱を水分神として祀っている神社が水分神社です。そして水を司どる神として地域から崇拝され、干ばつ(旱魃)が起これば雨乞いの祈祷が行われたそうです。
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そんな水分神社のひとつが建水分神社ですが、富田林市史(外部リンク)によれば葛城山・金剛山から派生する水の支脈の分岐点にあたり、東条川ぞいの平地部の最奥部にあるとのこと。
公共交通での行き方です。かつては神社の前にバス停がありましたが今はなくなり、最も近いバス停は水分バス停です。ただ本数がとても少ないので、千早赤阪村役場前バス停から歩いて、道の駅ちはやあかさか(楠公誕生地)の前を通って水分神社に行く方法もあります。
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建水分神社は楠公史跡河南八勝の第六番目に指定されています。ちなみに河南八勝は次の8つの史跡となっています。
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- 第一蹟 天野山金剛寺
- 第二蹟 楠妣庵観音寺
- 第三蹟 檜尾山観心寺
- 第四蹟 千早城址
- 第五蹟 金剛山
- 第六蹟 建水分神社
- 第七蹟 楠公誕生地
- 第八蹟 紫雲山葛井寺

建水分神社の境内摂社に大楠公(楠木正成)を祀る南木神社(なぎじんじゃ)があるため、楠公史跡河南八勝に含まれる理由が頷けます。しかし、もともとは建水分神社自身が楠木氏の氏神として崇敬(すうけい:あがめ敬う)されていました。
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神社の入口から坂を上っていきます。それほど急な坂ではありません。

千早赤阪村による建水分神社の説明坂があります。伝承によれば創建は紀元前92年、第十代崇神天皇5年とのこと。この年に諸国が飢饉となってしまったため、天皇が民に、溝やため池を作ることを勧めます。そして勅(みことのり:天皇の命令)により、金剛山の山麓に水分神を祀ったことに始まったといいます。
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その後の記録とし、901(延喜元)年に編纂された歴史書「日本三大実録」にて、叙位累進の記録があります。建水分神社の公式ページの御由緒(外部リンク)によれば、次のように朝廷からの神社の昇叙記録(神社の昇進の記録)が残っています。
- 863(貞観5)年正五位下
- 874(貞観16)年従四位下
- 879(元慶3)年従四位上

さらに927(延長5)年に延喜式神名帳が編纂された時にも、「河内国石川郡 建水分神社」が河内國・石川郡・官幣・小社の式内社(しきないしゃ:延喜式神名帳に載った神社)と記載されました。
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建水分神社は皇室の崇敬がとても篤い(あつい)神社でしたが、南北朝時代に大きな動きがありました。1334(建武元)年に、96代の後醍醐天皇が楠木正成に、社殿を現在の場所に遷すよう勅を出しました。


(旧宝物庫)
もともとは水越川の畔に社殿があったのですが、鎌倉時代の末期に正成が赤阪城や千早城での戦いを行った際に、戦いの火が神社にかかってしまい荒廃してしまったからです。
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そして山の上に遷し、本殿、拝殿、鐘楼等を再営(再建)します。その後、神社は1337(延元2)年に神階正一位という最高位を授け賜ったとのこと。

そのような経緯から、神社に行くには坂を上る必要があります。画像は坂を上りきったところです。正成を祀る境内摂社の南木神社もありますが、それは後日詳しく取り上げましょう。今回は建水分神社の本社を取り上げます。
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こちらは中に神輿が入っている神輿庫です。

(昨年の秋祭り)
水分神社の金色した神輿は秋祭りの時に御旅所で見ました。神輿の中に鎮座していると考えられる神様が、宮入してくる地車の様子をじっくりと眺めているようですね。
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(手水舎)
さて御由緒の続きを見ると、織田信長が河内を攻撃した際に境内が焼き討ちに遭い、領地を没収するなどしたため衰退。豊臣秀吉の時代になり、祈祷料として田地を寄進して深く崇敬したので、復興していったそうです。
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建水分神社は周辺18ケ村の総鎮守で産土神(うぶすながみ:生まれた土地の守護神)でしたが、そのこともあり1873(明治6)年に郷社(ごうしゃ)という神社の格になりました。1907(明治40)年、例祭に地方公共団体の神饌幣帛料(しんせんへいはくりょう)の供進(きょうしん:神様へ供え物の献上すること)が受けられる神饌幣帛共進社(しんせんへいはくりょうきょうしんしゃ)に指定されたそうです。その後、1914(大正3)年4月からは祈年祭・新嘗祭にも神饌幣帛料の供進が受けられるようになったとのこと。そして1913(大正2)年に郷社から上位の府社に昇格しました。
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(昨年の秋祭り)
またこの時、氏子地域内にある17の神社を合祀したそうです。その関係で秋祭りになると、南河内最大級とも称される多くの地域からの地車(だんじり)、建水分神社の御旅所に宮入りします。
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画像の大鳥居 は1690(元禄3)年に造立されたとのこと。笠木(かさぎ:鳥居の最上部に設置されているもの)の長さは10.6メートル、高さは7.1メートルあります。これは近代(明治)以前に建てられた石造鳥居としては全国有数規模です。
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大鳥居に書かれている扁額「正一位水分大明神」です。御由緒によれば、もともと木でできた木額(外部リンク)で、後醍醐天皇の筆によるものを正成の嫡男・楠木正行が奉納したそうですが、摩耗したので1705(宝永2)年に金銅製にて模造したものです。葉室(藤原)頼孝が書いたと言われています。

1860(万延元)年に建立された狛犬です。こちらは口を開いている阿像で、像の高さは133センチメートルあります。

こちらは口を閉じている吽像で137センチメートルとのこと。住吉大社のものと並んで、大阪府では最大級の大きさです。
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百度石です。

本社への道はさらに高い所にあります。階段を上がらないといけませんが、手すりがあるので安心です。
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本殿三殿で祀られている祭神は5柱です。
- 中殿に創造・万物生成の天之御中主神(あめのなかぬしのかみ)
- 左殿の右室には天水分神(あめのみくまりのかみ)
- 右殿の左室には国水分神(くにのみくまりのかみ)
- 左殿の左室には水を主宰する神である罔象女神 (みつはのめのかみ)
- 右殿の右室には、諸々の罪穢を清めて大海原に持去るため、凶事を除き去る祓の神である瀬織津媛神 (せおりつひめのかみ)
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公式ページによると、古い創建伝承のある神社で、万物の根源を示す天之御中主神を祀っていること自体が非常に希有とのこと。それは天之御中主神を祀ること自体が畏れ多い(おそれおおい)ので、祀らぬ神とされたためだからです。
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拝殿まで上がって来ました。境内図(外部リンク)をみると拝殿のさらに先に本殿がありますが、通常はそこまで行けないとのこと。

(拝殿の後ろに階段がありその上に本殿がある)
ということで拝殿の前で参拝しました。拝殿は織田信長の焼き討ちで焼失したものが再建されたとのことですが、1801(享和元)年の河内名所図絵では紹介されているので、それ以前に建てられたと考えられています。
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(拝殿の位置からわずかに本殿と思われる建物が見える)
本殿(外部リンク)は1334(建武元)年に、楠木正成が後醍醐天皇の勅命で造営されたもので、三殿で構成されています。中殿は一間社春日造となっていて、左右の両殿が二間社流造(ながれづくり)で渡廊(わたりろう)で連結させる「水分造」と呼ばれるものです。

この形式は、全国でも他に例を見ない唯一無二のきわめて珍しいもの。神社建築でも異彩を放っていて、構造の細部も卓越した技術で造られており、建築の模範と称されているそうです。1900(明治33)年に現在の重要文化財に相当する指定を受けたのち、1950(昭和25)年に改めて国の重要文化財に指定されたそうです。
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こちらは末社の金峯神社です。公式ページによると由緒創建は不詳。祀られているのは皇室の御祖神、日本人の総氏神とされる天照大御神とのこと。
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脇参道がスロープ道になっていましたので、帰りはそちらで降りることにしました。

少しだけ階段もありましたが、ほんのわずかです。脇参道を降りていきます。

下まで降りてきました。

こちらは旧絵馬堂です。
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現在は休憩所になっています。

ということで、建水分神社を紹介しました。神社の境内は大阪唯一の村の山の中、周囲が緑に囲まれいるためか、スピリチャルな雰囲気も漂う確かなパワースポットでした。
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建水分神社(外部リンク)
住所:大阪府南河内郡水分357
TEL:0721-72-0534
アクセス:近鉄富田林駅からバス 水分バス停下車徒歩5分、千早赤阪役場前バス停下車徒歩20分
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この記事を書いた人
奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。

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