【河内長野市】観心寺除夜の鐘&初詣の予定は?かつての領地、観心寺七郷の小深から鳩原まで歩くと何がある

河内長野のおでかけ・散歩記事

河内長野の除夜の鐘&初詣スポットといえば天野山金剛寺や延命寺なども含め数多くあります。しかし、観心寺も忘れてはいけません。

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観心寺の公式ページ(外部リンク)によると、観心寺の年末年始の行事は次のようになっています。12月31日23:30から除夜の鐘がスタートし、先着600名に2026(令和8)年版の大随求菩薩・煩悩滅罪カードお守りの授与が無料で行われます。またその他への授与品(じゅよひん:仏のご加護が宿る品物)の対応は23:00〜25:00(午前1時)までの予定です。


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1月1日の授与品対応は9:00~17:00で、新年5日まで御祈祷が10:00~16:00の予定で行われます。また1月7日には1年の国家安全祈祷の七日堂修正会が11:00から行われます。これは誰でも体験できる行事で、国宝の金堂で行われる1000年続く祈りとのこと。

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(画像提供:観心寺KU-RI)

また、観心寺KU-RIさんからの情報によると、高野山画僧で文部科学大臣表彰やNHKなどの有名メディアに数多く出演している藤原裕寛氏と観心寺のコラボで誕生した破魔矢(はまや)も1月1日から観心寺境内で販売します。数量に限りがあり無くなり次第終了です。

  • 大サイズ(観心寺本堂 1,500円)
  • 小サイズ(2026年の干支・馬 1,000円)

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その他にも観心寺バス停前にある茶屋恕意-JOY-さんでは12月31日(水)は年越しの「夜カフェ」ということで、 23:00~02:00まで営業するそうです。

(観心寺は楠木正成以外にも歴史上の多くの武将との関係があった)

なお観心寺と2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』との関係がないか調べると、1594(文禄3)年に豊臣秀吉によって25石(米3,750kgに相当)の寄進を受け、秀吉の子豊臣秀頼によって金堂や諸堂の修復などが行われた記録があるそうです。

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(1年前に行われたふるさと歴史学習館の特別展より)

そんな観心寺は中世のころには広い領地を持っていて、七つの村を統治していました。観心寺七郷と呼ばれるものです。(石見川、小深、太井、鳩原、小西見、上岩瀬、下岩瀬)

(岩瀬薬師寺)

このうち上岩瀬、下岩瀬は合わせて岩瀬で、現在の千早口駅近く、岩瀬薬師寺があるあたりです。下岩瀬薬師寺保存会の資料によると、薬師寺はもともとは薬師堂と呼ばれていました。そして観心寺の薬師堂再建が行われたという記録が残っているのに、当時の観心寺の境内に薬師堂が無かったとのこと。そのため観心寺の境内の外、岩瀬の薬師堂ではと言われているそうです。


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また小西見は「おにしみ」と読み、やがてそれが鬼住村となったとのことで、現在の神ガ丘、延命寺があるあたりになります。

それ以外は観心寺から奈良との境までの大沢街道(国道310号線)沿いにありました。この中で、小深、太井、鳩原までかつての観心寺七郷が現在何があるのか、まだ寒くなる前に歩いてみました。まずはバスに乗り小深まで行き、そこから下るように歩きました。

小深バス停で下車します。かつては石見川までバスがありましたが、今はすべて小深からは千早赤阪村の金剛登山口方面に行ってしまいます。

ということでなだらかな下り道を歩いていきます。この区間は歩道が基本的にないので、車にだけは注意して歩きましょう。

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なだらかに下りていきます。小深から石見川の間もそうなのですが、かつての村と村の間には森のようになっているところを歩いていきます。

四万十川と同レベルの水質と言われている石見川を下るように歩きます。

かつて存在していたカフェの跡がそのまま残っていました。

ここで道が分かれています。右に行くと小深の集落の中心に行くようです。今回は左側のバス道を歩きます。


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1973(昭和48)年に竣工した橋なので、52年が経過しています。

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橋を渡って振り返りました。橋の名前は小深橋です。画像の中ほどから上にあるガードレールは先ほど見た小深の集落に向かっている道です。

小深口バス停のまえに営業中の幟が見えてきました。

こちらは古民家カフェの野風さんです。ネット上の口コミによれば50年間空き家だった古民家をリノベーションしてお店として利用できるようにしたそうです。

引き続き歩いていきます。

太井に入りました。右手に金網の扉があります。個人所有の田畑に向かう道のようです。国道の下、川を中心とした両側には田畑が見えました。

この日は天気が良かったのが幸いでした。

のどかな風景が広がっています。

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小学校跡のある錦川バス停の前を通過します。


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車に注意しながら引き続き歩いていくと、

太井の中心部近くまで来ました。

左手に山の上への道があります。

日本の里山の原風景を見ている思いです。

道しるべがあります。

少し中に入ると砂防ダムが見えました。

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太井の集落が終わり、再び木に覆われた中に入っていきます。

集落を抜けると途端に山の中に入ったような雰囲気です。


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バスが私を追い越していきました。

家が全くない森の中ですが、視界は明るいです。

次は郵便のバイクが私を追い越していきました。

ここは延命寺方面への分かれ道です。昔の小西見(鬼住)村に続く道ということで、まっすぐ行くと延命寺に行きます。観心寺が管理する七つの村同士の連絡道ということだったのかもしれません。

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引き続きバス道を歩きます。太井から鳩原に入っていきます。


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森がなくなり開けてきました。

ここは西端のバス停です。

バス停を過ぎて引き続き歩きます。今回の目標は川上神社前までです。


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歩道がない道を引き続き歩きます。歩いた時は平日のお昼とあって車の往来がほとんどなかったのが幸いしました。

道なりをそのまま歩いていくと、

川上神社の近くまで来たようです。

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川上神社前バス停が見えてきました。


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(川上神社本殿の横にある鬼住神社)

川上神社はかつて鳩原神社と呼ばれて、観心寺七郷のうち旧鳩原村の氏神だったようですが、明治時代に周辺の村にあった神社が合祀されます。そして名前が川上神社になりました。

また、川上神社境内にある檜尾山弥勒寺は、観心寺の創建に深くかかわった眞紹律師(しんしょうりっし)が、観心寺の住職を弟子に譲って隠居した場所で、観心寺の奥の院だったとされます。

ということで観心寺七郷の一部を歩きました。バスならすぐに行ける距離ですが、歩くと結構な距離がありました。そして昔の村同士の間が森になっているのがわかりました。


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(小深と石見川の間にある行者湧水)

今回に加え、私はかつて小深と石見川の間を歩いたり、観心寺から川上神社(鳩原)や川上神社から延命寺方面(小西見)方面に歩いたりしたのでわかりますが、途中は山の森の中を歩きました。観心寺七郷はどの村も村との間に森があります。また各村々に観心寺ゆかりのものが残っているのがわかります。

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(ふるさと歴史学習館が作った、中世のころの観心寺のジオラマ)

中世のころの観心寺は今よりも境内が広くて数多くの子院があって、さらに商業施設などもあったために大きな町のようになっていました。その町ののような寺院を陰で支えていた七つの村があるという歴史があります。当時と今とでは全く風景が違うかもしれませんが、実際に歩いてみるとかつての観心寺が大きな勢力だったことがうなづけました。


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(次のバスが来るまで無料販売所の野菜をいくつか買いました)

今日の除夜の鐘あるいは1月1日からの初詣や7日の法要など、この年末年始も観心寺には多くの人が参拝に行くと思われます。その時ふと中世のころの観心寺のことなどを頭に思う浮かべて新しい年を迎えてみてはいかがでしょう。


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観心寺

住所:大阪府河内長野市寺元
アクセス:観心寺バス停から徒歩

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この記事を書いた人

奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。

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