南河内郡太子町には、聖徳太子御廟をはじめ、4つの天皇陵、日本最古の国道(官道)の竹内街道、万葉集にも出てくる二上山、二上山中腹にある日本唯一の大陸風岩窟寺院の岩屋など、たくさん見どころが多い場所。ところが残念なことに、大阪府の自治体の中でも知名度がとても低いそうです。同じ太子町という名前の町が兵庫県にもあるためでしょうか?
|
|
|

その歴史遺産について、もっと知られても良い自治体である「太子町」。現在進行形のことですが、西方院というお寺では、頻繁にイベントを行ったり、境内にカフェを併設するなど興味深い取り組みを行っていて、以前からとても気になっていました。

(西方院の北にある叡福寺)
西方院が積極的に活動を行っていることについて、今回取材させていただく機会ができましたので、ここでご紹介しましょう。当日は蘇我孝明院主が応じてくださいました。
日本最古級の尼寺

(西方院の南側にある三尼公御廟所は凝灰岩製層塔が3基並んでいる)
まず院主さんのお話をご紹介する前に、西方院についておさらいしましょう。場所は聖徳太子御廟のある叡福寺から道を挟んだ南側にあります。
|
「PR」 |

日本最古級の尼寺ですが、現在の西方院は男性の院主さんのため、尼寺ではありません。ここで日本最古の尼寺で調べると、まず奈良県の明日香村にある向原寺境内にある(豊浦寺跡)、それから法隆寺東院に隣接する中宮寺が出てきます。

前者は推古天皇の宮「豊浦宮(592-603)」があった場所です。推古天皇が小墾田宮(おはりだのみや)に移ったときに、蘇我馬子が豊浦宮を譲り受けて、603年にできた尼寺です。後者は聖徳太子が母后のために尼寺を創建したもので607年の創建とされます。

西方院は、聖徳太子が622年に死去した後に出家した三人の侍女(三尼公)により、太子自らが、自分の墓所とするように定めた場所(聖徳太子廟:後の時代に叡福寺が建立される)の前に創建し、太子の御遺髪を納め、太子作と伝わる阿弥陀如来尊像を安置したとされます。
|
|
|
- 善信尼(俗名月益、蘇我馬子の娘)
- 禅蔵尼(俗名日益、小野妹子の娘)
- 恵善尼(俗名玉照、物部守屋の娘)
西方院公式ページに西方縁起について紹介(外部リンク)されています。上記2寺院と比べると少し遅れてはいるものの、他の寺同様、いずれも聖徳太子に関わりの深い最古級の尼寺であることは確かです。そして蘇我院主の名刺にも「大日本最初尼院」と明記されています。

(寺内にあった中世伽藍推測図「法楽尼寺」という名前で西方院が描かれている)
三尼公の建立した時の名前は法楽尼寺です。阿弥陀如来の西方極楽浄土を欣求(ごんぐ:喜んで道を願い求める)していたとされていることから、常行念仏最古の道場で念仏の根源の地でもあるそうです。
|
「PR」 |

(江戸時代の推測図では「西方院」となっている)
1574(天正2)年に織田信長の命で明智光秀が河内を攻めた際に、法楽尼寺は焼かれてしまいます。その後、1639(寛永16)年に蓮誉寿正尼(れんよじゅしょうに)が中興して本堂を再建。この時から西方院という名前になりました。明智光秀の襲撃から守ったとされる聖徳太子作の阿弥陀如来像が本尊で、三尼公木像、聖徳太子御二歳像が安置されています。
|
|
|
先代から尼寺ではなくなる


(蘇我院主を取材した部屋、紅葉の美しい場所)
西方院は、聖徳太子ゆかりの尼寺として、江戸時代に再興した人も尼僧「蓮誉寿正尼」ですが、現在は男性の院主となっています。蘇我院主によれば、40年位前まではずっと尼寺だったのですが、ご縁があり院主のお父さんが先代として初めて男性が住職の寺になったそうです。

ちなみに蘇我馬子らの蘇我氏と同じ苗字の蘇我院主ですが、西方院は代々尼寺だったために、血のつながりなどはないとのこと。院主によれば明治時代になって苗字を名乗ることになった際に、蘇我氏ゆかりの地ということで「蘇我」になったのではと推測されていました。蘇我院主は西方院で生まれ育ったそうですが、院主として寺を継ぐ前には学校の教師でした。
|
「PR」 |
寺をもっと身近に感じてほしい

そんな蘇我院主が、今のようにイベントなどを行おうとしたのでしょうか?ひとつは長く尼寺だったため、近年の宗教離れ、儀式の簡素化、デジタル化など時代が変化して寺院運営がこれから厳しくなっていくことをを院主自身が感じ取ったためでした。
|
|
|

そんな中、蘇我院主がこれからの寺の在り方を考えていた時に、偶然耳にした会話を聞いた時「はっ」としたといいます。それは「神社は気軽に入れるのに、お寺って何となく入りにくいね」と話していたからです。

それを伺った時、私も確かにそう感じました。神社は本当に気軽に境内に入れる。入口である鳥居をくぐって入って拝殿まで行き祭神に手を合わせますが、寺院の多くは入口に屋根の付いた門をくぐる必要があるためか、「入っていいのかな」と感じる場合があります。

有名な寺院ならまだしも、無名の小さな寺院になると、門が開いていて自由に出入りできるようになっていたとしても、同様に感じます。小さい寺院だと普段その地域にいない「よそ者」が安易に入ったら、寺の住職や関係者に注意されないかと感じることがあるからです。

ただ西方院は以下の3つの霊場となっていることから、寺を訪問する人がいる開かれた寺院なのだそうです。
|
「PR」 |
- 新西国霊場三十三箇所第8番
- 河内西国霊場第3番
- 聖徳太子御遺跡霊場第33番
それでも院主は「もっと気軽にお寺に入ってきてほしい」と考えるようになります。蘇我院主によれば、かつての寺院は「まち」のコミュニティの中心という側面があったからです。
|
|
|

かつて寺といえば学びの場所としての寺子屋があり、病院や役場としての機能があったり、あるいは困りごとの相談所としての役目があったからといいます。現在は参拝者、御朱印を求めて霊場を回る人、墓参りなど寺に来られる人の目的が限定的となり、空洞化しているのではと考えたそうです。

(2015年 第1回目の結縁祭のチラシ)
「昔のコミュニティの中心という役割を取り戻すまではいかなくても少しでも気軽に寺に来てほしい」と、院主さんが思いついたのが、イベントだったのです。それが結縁祭(けちえんさい)です。2015年からおよそ2年に1回のペースで行われています。(ただしコロナ禍の影響で、2019年の次は3年後の2022年に開催)

結縁祭のテーマは「佛さま・お寺・そして人を結縁(つなぐ)。」です。前回は2024年だったので今年は行われませんでしたが、来年も行う方向で準備を進めており、西方院instagramによれば、太子芸術祭と同時開催として2026年11月14、15日の開催が決まりました。
|
「PR」 |

(南林寺)
「これまで五回やりましたが、毎回来場者が増えています」という蘇我院主。1回目は200人ほどが来場したそうですが、5回目の前回は2000人のイベントに成長したそうです。そのようなこともあり、西方院だけでは手が回らなくなり、3回目からは南側にある南林寺の協力も得て共同開催という形で行われるようになりました。

(第5回目、前回の結縁祭のチラシ)
参考までにどのようなことが行われているのかを確認すると、2日間で1日に50近くのお店が出店します。そしてワークショップや落語会、書道教室、ライブなど多彩な内容で、事前予約が必要なものもあります。
|
|
|

(第5回目、前回の結縁祭のチラシにはバスの時刻表も明記)
結縁祭のときは西方院門前駐車場は終日閉鎖され、臨時駐車場があるものの、多くの人が来て駐車場が早い時間から満杯になる事から、公共交通での利用を勧めています。おそらく次回行われる際にも同様の措置が取られるものと考えられます。
|
「PR」 |

「結縁祭が始まるまでは高齢者と子どもたちが楽しめるイベントが多かったのですが、ちょっとおしゃれなお店が来たことで、若い人や大人も楽しめる内容になりました」と、蘇我院主。回を重ねることに規模が大きくなっていることこそが、結縁祭が多くの人に受け入れられている証なのかなと感じました。
朝活

(次回は2026年1月17日に開催予定)
早起きして仕事などを始める前に自分の好きなことを行う「朝活」は、朝の時間を意識的に活用することで、特に若い社会人の注目を集めています。それと同じことを西方院でも今年から始めました。これは併設しているカフェを運用している「麻里子さんのケーキ」さんが提案し主体的に行っています。
|
|
|

朝活は3部構成で、朝7:00に集まって寺の掃除を行います。7:30からは本堂の中に入って読経と法話があり、8:00からは併設しているカフェで無料のモーニングティがいただけます。朝活については毎回15名前後とのこと。結縁祭とは違った形でのコミュニティの場になっていますね。
|
「PR」 |
カフェ・教室について

境内には壽観庵と名付けられたカフェスペースがあります。

カフェは専属のスタッフが行っているのではなく、シェアキッチンとなっており、「麻里子さんのケーキ」の他にも「Fujiおにぎりカフェ」「ロマンティック農園」「タイシテラス」「Yosa vege cafe」さんなどが出店しています。
|
「PR」 |

カフェスペースを撮影させていただきました。カウンターになっていて大きな窓がふたつあり、内庭の景色が見られます。
|
|
|

テーブル席もあります。
|
「PR」 |

蘇我院主によれば、もともとここには茶室があったそうです。老朽化で茶室を建て替えることになった際に、「茶室を作ったとしても年数回しか利用されないだろう」と考え、だったらもっと気軽にいろんな人が使えるスペースが良いということで「現代風茶室」としてカフェにしたそうです。

さらに座敷スペースもあります。この場所ならかつての「茶室」で行っていたことができますね。

カフェにはバスの時刻表があるので、バスを利用する際には重宝しそうです。
|
|
|

西方院ではカフェのほか教室を行う部屋があります。またイベントも含め固定ではなく毎月予定が変わるようです。
|
「PR」 |

こちらが教室が行われている部屋ということで、己書教室(おのれしょきょうしつ:自由に筆を走らせて書画を楽しむ道場)、足圧マッサージ、フラワーアレジメント、子育てに関するお話会などが行われています。
もっと太子町を知って欲しいとの思い

(近鉄喜志駅前には聖徳太子御廟の石碑がある。隣には小野妹子墓の石碑も)
「地元で聖徳太子のことは当たり前すぎるからかもしれませんが、聖徳太子廟と書いている案内板がバス停などの一部を除いてほとんどない」と蘇我院主は残念がります。確かに「叡福寺」という寺名は地元の人はわかっても、遠方の人にとっては何の寺なのかわかりません。逆に「聖徳太子御廟」なら知らない人を探すほうが大変なぐらいぐっと知名度が上がります。
|
「PR」 |

加えて太子町の知名度の低さをどうにかできればと考えているそうです。灯台下暗しで、地元の人は特に気になっていないのですが、東京方面など遠方からくる人からすれば「あの聖徳太子の墓がある場所!」ということでみんな感動します。
|
|
|

「いっそのこそ、『聖徳太子町』にしたほうがわかりやすいのでは」ともいう蘇我院主。冒頭にも書きましたが、太子町の歴史や自然の豊富さはもっと多くの人に知って欲しいと感じましたし、アピールしてもいいと思います。

西方院では独自のイベントの他、太子町のイベントにも協力をしていて、私が知っているものでは第18回太子聖燈会の時にも西方院さんでマルシェが行われ、さらに本堂の前でライブが行われていました。
|
「PR」 |

(4月に行われていた西方院さんのマルシェ)
叡福寺の行事、太子・和みの広場で行われていたマルシェdeたいし夜市もふくめて西方院でもイベントを行ったことで、人々が行き来できる賑わいの場の面積が広がり、より楽しい雰囲気になっていたことを感じました。

「西方院は私の物ではなく皆さんのお寺、だから次につなげていかなければいけない。だからもっといろんなことをやっていきたいです。ただし『聖なる祈りの場所』と『自由な風が吹く場所』そんな西方院でありたい」とのこと。西方院を通じて太子町が賑やかになってくれればと、蘇我院主は締めくくりました。
|
|
|

聖徳太子御廟叡福寺の目の前にある日本最古クラスの尼寺である西方院の院主の思いを通じて、コミュニケーションが取れる場としてもっと気軽に寺に行ける雰囲気をつくりつつ、できれば太子町そのものの知名度が広がればといわれます。
来年の結縁祭は太子芸術祭との共催ということなので、西方院を中心にますます「まち」が盛り上がる気がしました。
|
「PR」 |

ちなみに年末年始の西方院ですが、大晦日は除夜の鐘、正月三が日は特別写経会が行われ壽観庵のカフェもオープンするので、毎年参拝客で賑わいます。

南向山西方院(外部リンク)
住所:大阪府南河内郡太子町太子1663
アクセス:聖徳太子御廟前バス停下車徒歩1分
instagram
|
「
|
|
|
「PR」 |
この記事を書いた人
奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。



コメント