【千早赤阪村】日本一かわいい道の駅を作った若者移住の先駆者らてさん。40歳代で大阪唯一の村にて再出発

インタビュー記事

過疎地といえば、少子高齢化が進んだ影響で人口が減り、最悪の場合そこでの生活維持が困難に陥る恐れのある地域のことをさします。大阪府では能勢町や豊能町、岬町とともに千早赤阪村が該当(外部リンク)します。



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しかし、千早赤阪村は過疎地と言いながら、大阪市内から比較的行きやすい場所にあります。そして「大阪唯一の村」というネーミング自体がブランド名のようになっているため、若い人の移住も結構あり、「暗い」というよりむしろ「明るい」印象さえあります。

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そんな明るい印象を与えた千早赤阪村の陰の立役者といえば、Sさん元夫婦でした。手作り感があふれ、「日本一かわいい道の駅」ともよばれる道の駅ちはやあかさかを再生した若者移住の先駆者だったのですが、離婚とともにSさん元夫婦は、ふたりとも千早から引っ越しされました。ちなみに、道の駅自体は後継者も育ち、当時からの賑わいは続いています。

ところがSさん元夫婦のうち、女性の「らて」さんが、40歳代で再び千早赤阪村に戻ってきました。場所は道の駅ではなく、金剛登山口にある茶屋跡をカフェと雑貨コーナーに改装した「もぐらの寝床」です。



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(以前、金剛山ビールでSさんを取材したことがあります)

私は、いったん村を出ながら再び村に戻ってきた「らて」さんのことがとても気になりました。そこで今ではスペインとの二重生活を営んでいるという、らてさんに取材を申し込み、お話を伺うことにしました。

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大阪唯一の村と出会い、日本一かわいい道の駅を作る

(USJ)

らてさんはもともと愛知県出身で、大学を出てから就職のために大阪に来ました。そして就職先を聞いて驚きました。なんとあのUSJだからです。

(USJ)

らてさんは、USJで店舗の現場やイベントのプロモーション等の仕事を行ったのち、元夫のSさんと知りあってという流れになるのですが、そう考えるとUSJで培ってきたノウハウこそが、千早赤阪村の道の駅の活性化と密接につながったのかもしれません。



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らてさんらが南河内地域に関係するようになったのは、いきなり千早赤阪村ではありません。ワーホリでロンドン滞在の経験を得たのち、らてさんが30歳になる少し前、2010年に結婚して最初に住んだのは河南町でした。そして活動した拠点は富田林寺内町にあるたびもぐらカフェ(現:もぐの木さん経営)です。

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当時、らてさん元夫婦は寺内町の物件を所有していた地主さんと意気投合し、2011年に物件のDIYを行って「たびもぐらカフェ」を立ち上げました。そうすると、自然と同世代の仲間たちが集まってきたそうです。

また自宅のあった河南町では、コミュニティのつながりが持てるように畑などを作りました。そんな中、らてさん元夫婦は河南町よりももっと田舎に興味を持つようになり、やがて千早赤阪村との接点が生まれました。

当時千早赤阪村で行っていたまちおこし協力隊との接点などご縁が重なり、2017年に千早赤阪村に移住します。そしてらてさん元夫婦らが行った最大の業績が道の駅の再生事業でした。もちろん元夫婦ふたりだけでなく、多くの支援者・協力者とともに行われた事業です。



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(リニューアル前の写真を見ると、当時の道の駅はこの建物だけだった)

道の駅ちはやあかさかそのものは、1993(平成5)年4月22日に道の駅に登録され、これは大阪府では最も早くに誕生していました。リニューアル前の画像を確認すると、上記画像の建物だけが道の駅の販売コーナーとなっており、その前に自動販売機があって、周りは駐車場でした。らてさん元夫婦はこの駐車場だったエリアを手作り感あふれる楽しいエリアに作り替えたのです。

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車を利用するのが当たり前のような地域で駐車場をつぶして売場やイベントスペースにするというのは大胆な発想でした。しかし、道の駅ちはやあかさかでそれが実現できたのは、すぐ隣りにくすのきホールや千早赤阪村立郷土資料館、楠公誕生地があり、それらに通う人たち向けの大きな駐車場があったことも幸いしました。

こうしてらてさん元夫婦らのアイデアと斬新な発想により2018年に新しい道の駅が誕生しました。藤野興業さんのページ(外部リンク)に、道の駅リニューアルの記念式典の様子が紹介されております。それによると当時の松本村長の挨拶から始まり、中学生による吹奏楽の演奏、保育園児による太鼓パフォーマンスなど盛大に行われたそうです。そして「日本一かわいい道の駅」が誕生し現在に至ります。

(らてさん元夫婦が道の駅の目玉商品として開発した金剛山ビールを作った南さんは、現在万里春ビールのブルーマスター)

過疎地とされる村の再生事業に大きくかかわり、村民たちを明るいマインドに変えようと奮闘を続けたらてさん元夫婦でしたが、今から3年前離婚に踏み切ります。「離婚はしましたが、相手のことが嫌いになったとか、そういうことではなかったんです」とらてさん。



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(夜のイベントで盛り上がる道の駅)

ちなみに今でも元夫のSさんとのつながりはあるそうで、お互い目指す道が変わったことが別れる理由になったとのこと。

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(道の駅で行われた上映会)

そして話し合いの末、ふたりとも村から離れました。「村を離れないで!」と村民の方々からは引き止められもしましたが、すでに後継者を育てていることから、村のことは後継者に委ね、自分たち新たな人生を模索すべく各々の道に進んだのです。

村を離れ向かったのは、かつて南蛮と呼ばれた巡礼の地

離婚し村を離れたらてさん、当時すでに40歳を過ぎていた状態での人生の再出発です。普通ならとても不安がありそうなものと思いましたが、実際にらてさん自身、この選択はとても不安だったそうです。



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「宇宙空間にダイブして仰向けになった気持ち」と意味深なことを言われるらてさん。不安もたくさんありましたが、それ以上にリセットそのものが心地よかったといいます。しかし、今だからこそ言える話として、当時みんなの手前、表向きは暗くしていたそうです。

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では何をしようとしたのか、特に何も考えていなかったらてさんは、旅に出ることにしました。最初に向かったのは北海道でした。アイヌ民族の末裔が今も住んでいるという村があり、そこでしばらくお世話になったとのこと。そこで、魔除けの意味を持つといわれる赤い糸や布で施された文様が特徴的な「アイヌの赤い着物」と出会いました。

その後、らてさんは次に沖縄の久高島、伊江島に行きました。そこでアダン葉帽子に出会ったらてさんは、大阪と伊江島を何度も往復して編み方を学んだそうです。こうして少しずつどう進むべきかを模索しながら、らてさんは新しい体験を得ていきます。

こうして久高島に通っていたらてさんが、あるご縁でさらなる新しい出会いを得ることになりました。それは戦国時代に日本にやって来て、日本人から「南蛮」と呼ばれていた地のひとつ、スペインです。

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(画像提供:らてさん)

「スペインの最西端ガリシア地方へ巡礼に行くことにしたのです」とらてさん。ガリシア地方と巡礼に関して確認すると、ガリシア地方にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラにはイエスキリストの新約聖書に登場するイエスの使徒のひとり、サンティアゴ(ヤコブ)の遺骸があるとされる場所です。



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(画像提供:らてさん)

そして、西ゴート王国(現在のフランス南部からスペイン、ポルトガルあたりを支配した国家)の末期(7世紀末:西暦700年の少し前)のころから行われている巡礼です。サンティアゴ・デ・コンポステーラは、カトリック教徒の間ではエルサレム、ローマと並んで世界三大巡礼地とされています。

「縄文の香りがした」とらてさん。ガリシアにはケルト文化が残っているといいます。調べてみると、ガリシアとフランスのブルターニューそしてアイルランドにケルト文化が今でも残っているそうです。

(黄色い部分がケルト文化が残っている地域)

アイルランドとスペインと聞けば、一見遠い位置にあるような気がしますが、地図で位置関係を見ればよくわかります。3カ所の間に「ケルト海」があり、海を経由すれば、お互い距離が近く文化が残った理由もうなづけます。

(画像提供:らてさん)

らてさんは、千早赤阪村と出会う前にワーホリでロンドンに滞在したことがあり、その時にスペインに行ったことがあったのです。ところがガリシアは、ほかのスペインとは明らかに違うイメージを受けます。

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他にもらてさんはポルト(ポルトガル)から巡礼の道を歩いていたときのこと。たまたま泊まったホテルの名前から、「アルケミスト 夢を旅した少年」という小説の主人公とその時の自分を重ね合せる機会がありました。

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さらにガリシア帽子という本来は親からの口伝で伝えられている技術についてもご縁が重なり、らてさんが運よくガリシア帽子づくりの体験ができました。このようなことが続き、気が付いたらスペイン・ガリシアにハマります。



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らてさんは日本に戻ってバイトしてお金を貯めるとスペインに渡航するという2国間の往復生活がスタートします。そしてここ最近では、年の半分近くスペインに滞在するような生活になりました。

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旅で得たコレクション販売から、再び村へ

(画像提供:らてさん)

らてさんはガリシアの巡礼街道を歩いているときに、偶然蚤の市と出会いました。蚤の市については、ワーホリでロンドンにいた時に触れる機会が多かったこともあり、スペインの蚤の市も違和感なく見に行きます。

そしてらてさんは、蚤の市にある「一点もの」のアクセサリーにとっても強い興味を持ちました。手づくりをキーワードに、蚤の市で手に入れた「一点もの」をコレクションとして集めるようになったのです。「マドリードは地区全体が蚤の市」と言うらてさん、ガリシアに縛られず、マドリードのラストロや南仏など、各地の蚤の市に行くようになり、ぴんときたものがあれば手に入れるようになりました。

そのようなことをしているうちに、らてさんの頭の中にある思いが芽生えてきます。

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旅先で見つけたアイヌの赤い着物、沖縄伊江島の帽子、そして蚤の市のコレクションなど、「これらを日本に戻っている間に販売したら売れるのでは?」と考えたのです。



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「最初はマルシェからスタートしました」とらてさん。2023年の冬から活動開始、らてさんによる日本での販売活動がスタートしました。しかしこの時のらてさんは、村に戻るつもりはありませんでした。

そんならてさんが再び村に戻るきっかけになったのは、もぐらの寝床の間借りオーナーになるという「ご縁」に恵まれたからです。

元々茶屋だったもぐらの寝床は、日替わり店長(シェアカフェ)での営業を行っていました。しかしらてさんが抜けた後に2代目としてシェアカフェを管理していた二宮整体を行っているアカザワユリさんが整体に力を入れることになり、2025年の8月末でシェアカフェ制度を辞めることになりました。

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(さわコーヒーさんは2023年5月からシェアカフェに参加)

そして、ユリさんはトトノッタ整体の運営に注力することになり、2年半前からシェアカフェの一員として参加していたサワコーヒーさんがカフェの三代目オーナーになることになります。そしてもう一ヶ所スペースが開いていると、スペインに滞在していたらてさんに声がかかりました。

らてさんはこの話に応じる形で、まだスペイン滞在中ではありましたが、2025年9月20日から間借り雑貨店「旅する雑貨店らっちゃこ」をオープンさせます。そしてらてさんが帰国したのが11月、およそ3年ぶりに村に戻ってきたのです。

こうして、もぐらの寝床さんは「サワコーヒー」、「トトノッタ整体」、「旅する雑貨店らっちゃこ」の3店トロイカ体制が確立します。なお、「旅する雑貨店らっちゃこ」さんは基本は土日だけの営業です。

なお、らてさんは春ごろになるとまた半年ほどスペインに旅立つとのこと。らてさんが日本を離れている間は、サワコーヒーさんやトトノッタ整体さんなどが代わりに店番をする体制となり、らてさんはスペインから気になるアイテムを日本に送るそうです。



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結果的に夏場がスペインで、冬場に日本というイメージになったらてさんの滞在。正直今でも不安があるといいます。それでも、冬の金剛山は樹氷を見る登山客が多いことからけっこう利用者が多いとのこと。そして地元の方の利用もあるそうです。

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40歳を過ぎてから新しい挑戦をしたらてさん。勇気のいる行動で常に不安が付きまとう生活を送っていながらも、ご縁を大切にしていくうちに、スペイン・ガリシアの世界を知ることになりました。これからも日本とスペインを往復しながら、行きたくてもなかなか行けない場所にある珍しいものが千早赤阪村で手に入ることになります。

らてさんの活躍ぶりを応援しながら、この日はサワコーヒーさんで美味しいコーヒーをいただきました。らてさんのお話を伺っているだけで、こちらも勇気をもらった気がしました。

もぐらの寝床(旅する雑貨店らっちゃこ)

住所:大阪府南河内郡千早赤阪村千早980
営業時間:11:00〜16 :00
定休日:月から金(土日のみ営業)

アクセス:金剛登山口(千早本道口)バス停下車すぐ



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この記事を書いた人

奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。

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