太子町にある聖徳太子廟、小野妹子の墓、歴代天皇陵(用明天皇、敏達天皇、孝徳天皇)を回りましたが、もうひとつ大切な天皇陵があります。それは推古天皇陵、聖徳太子と政治を執り行った日本初の女帝の陵墓です。
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推古天皇陵は叡福寺や用明天皇陵から見て南東の方角にあります。
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ちなみにタイトルにもあるように、推古天皇だけではなく、推古天皇と敏達天皇の子だった竹田皇子の墓でもあるので、合葬陵墓とのこと。竹田皇子は将来の天皇になる有力候補のひとりでしたが、早くに没したため厩戸皇子(聖徳太子)が皇太子になったそうです。

さて、推古天皇陵参道入り口の近くまで来ました。
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ここからが、推古天皇陵の参道です。
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推古天皇は593年から628年まで、36年間の長期間天皇の位にいました。聖徳太子は皇太子で摂政でしたが、聖徳太子のほうが推古天皇より先に没した(西暦622年)のため、聖徳太子が天皇に即位することはありませんでした。

推古天皇と聖徳太子、蘇我馬子の3者が政治を行っていたので、推古天皇の業績と聖徳太子の業績が重なっています。
- 冠位十二階の制定
- 十七条憲法の制定
- 小野妹子の遣隋使派遣
など。
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参道を上がっていくと天皇陵の拝所が見えてきました。
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天皇陵に設置されている宮内庁の案内板です。

いよいよこの階段を上れば推古天皇陵の拝所です。
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階段を上がったところ、ここが拝所です。
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推古天皇磯長山田陵(しながのやまだのみささぎ)の文字が刻んであります。磯長と山田は太子町になる前に存在したふたつの村の名前(旧磯長村、旧山田村)ですね。ちなみに古墳としての名称は山田高塚古墳(やまだたかつかこふん)です。
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(よく見ると古墳の部分が丘のようになっているのが見える)
山田高塚古墳は方墳または長方墳です。3段築成の墳丘で、1段目は東西59メートル・南北55メートルとほぼ正方形の形をしているのに対して、3段目は東西34メートル・南北25メートルと東西に長い長方形をしているのが特徴です。

また太子町教育委員会の「推古天皇陵」「王陵の谷・磯長谷古墳群 -太子町の古墳墓-」という資料によれば、江戸時代の修復で改変された可能性があり、本来は1段目も長方形ではないかと指摘しているそうです。
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最近では、2012年に考古学、歴史学の研究者団体が宮内庁職員の案内で推古天皇陵を立ち入り調査したそうで、このときの調査で石室の一部とみられる石材を確認したそうです。

他の天皇陵の前にもある、警察官の立寄所です。

さて日本書紀では、天皇が死を前に次のように群臣に言い残したと記録されます。
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是時、群臣各誄於殯宮。先是、天皇遺詔於群臣曰「比年五穀不登、百姓大飢。其爲朕興陵以勿厚葬、便宜葬于竹田皇子之陵。」壬辰、葬竹田皇子之陵。
引用元:日本書紀巻第廿二豐御食炊屋姬天皇 推古天皇
現代語訳:これより先、天皇は群臣に、「この頃、五穀が実らず、百姓は大いに飢えている。私のために陵を建てて、厚く葬ってはならぬ。ただ、竹田皇子の陵に葬れぱよろしい」と言い残されていたので、二十四日、竹田皇子の陵に葬った。
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つまり推古天皇の遺言により、先に亡くなって葬られていた竹田皇子の墓に葬られ、合葬陵墓になったようです。

拝所の横からよく見ると綺麗に掃き清められています。
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余談ですが、推古天皇陵のすぐ近くに二子塚古墳と呼ばれる古墳があります。地元では二子塚古墳こそが真の推古天皇陵と竹田皇子墓という伝承があるそうです。確かに宮内庁が定めた天皇陵とは実際の天皇が埋葬されている墓が異なるのではという事例は今城塚古墳公園(天皇陵とは別に継体天皇が埋葬されたという伝承のある古墳)(外部リンク)など、ほかにも聞いたことがあります。
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太子町によると二子塚古墳は現在、2026(令和8年)度中の終了を目標(外部リンク)としている整備工事中のため、立ち入りが禁止です。整備工事が終われば二子塚古墳にも足を運ぶことができればと思います。
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その他にも奈良県橿原市にある植山古墳(うえやまこふん)が、ふたりの合葬墓という説があります。これは古事記の中に、最初は「上山古墳」に埋葬され、その後、現在の「科長大陵(山田高塚古墳)」に埋葬したのではと記載があるからです。

いずれにしても古墳の周囲はとても開放的で、空間が広がっている場所にありました。

山田高塚古墳(推古天皇陵・竹田皇子墓)
住所:大阪府南河内郡太子町山田3320-2
アクセス:推古天皇陵前バス停から徒歩6分
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この記事を書いた人
奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。



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