南河内地域でも屈指の難解地名と呼ばれている「毛人谷(えびたに)」は、現在地名として残っている面積はわずかです。大阪外環状線の北側、富田林市立西山墓地とPL教団の敷地の一部だけです。
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しかし、元々は寺内町に接する位置まで毛人谷という地名だったために、寺内町の近くを歩いていると画像のように毛人谷の名前が付いた建物がいくつか見られます。

住所としての毛人谷ではなくても、昔の毛人谷地区としては今でも健在なことがわかります。
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そして寺内町と接している旧田中家住宅の隣にある五六七稲荷大明神も毛人谷の名残を感じる場所です。ちなみに五六七は(イムナ)と呼びます。「コロナ」とは呼びませんので注意しましょう。
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こちらが五六七稲荷大明神です。いつもは素通りするだけですが、今回は中に入ってみることにしました。五六七だけを調べると「みろく(弥勒菩薩)」を指しているという情報や出てきますが、ここでは五六七を(いむな)と呼んでおり、これは古本の古来の「ひふみよいむなやこと(一二三四五六七八九十)」の一部と考えらえます。
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石灯籠に何か文字が刻まれています。残念ながら文字がかすれて読めませんでした。

毛人谷での五六七の明確な意味は、調べても出てきませんでした。ただし「郷土史の研究」では、元々毛人谷村の郷蔵(ごうぐら:村の共同倉庫)のそばにあり「御蔵の稲荷」と呼ばれていたそうです。
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鳥居の中に毛人谷村方の文字が見えます。創建は明治の初めごろとされます。
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五六七稲荷大明神という名称と、中央に赤い鳥居が並び、さらに右手に眷属の狐がいることから、稲荷大神を祀っていると考えられます。

上を見ると馬の絵馬です。これは毛人谷というよりも元々は神様が乗るために生きた馬(神馬:しんめ)を奉納し、生きた馬から絵や木馬、土馬に代わったという流れがあります。そういう中で馬以外の絵が描かれる絵馬が誕生しました。ということなので馬の絵馬は本来の考えに近いことになります。
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扉の下のほうには松田豆腐店の名前があります。
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社殿の右側に大きな石碑と像があります。

創立百年記念碑で、「毛榮組(けいえいくみ)」の文字が見えます。毛榮組とは、大峯講と呼ばれるもののひとつで、で毛人谷村の村人で構成された大峰山へ参詣するためのグループです。

そして隣にあるのが役小角(行者)像です。葛城修験や大峰山修験を開いた修験道の祖なので、毛榮組の記念碑の横に安置されています。
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葛城修験にしても大峰修験にしてもこの地域とはゆかりが深いため、行者像もいろいろなところで見かけますが、こんなに大きくて立派な像は初めてかもしれません。

像の下にも毛榮組と刻まれています。

ということで、旧毛人谷村に残っている五六七大明神と、大峯講の毛榮組の記念碑と大きな行者像を紹介しました。厳密には寺内町ではないものの、すぐ南側が寺内町の中ということもあり、旧田中家住宅も加えて独特の空間味わいのある場所です。
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五六七大明神
住所:大阪府富田林市本町7
アクセス:近鉄富田林駅から徒歩5分
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この記事を書いた人
奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。



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