大阪唯一の村「千早赤阪村」。村といっても、当然ですが地域によって人の流れも異なります。特に道の駅のある周辺や金剛登山口は、イベントや週末になれば人が集まる印象が強いです。
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そんな中、集落もなく木々に覆われた水越峠周辺も意外に人が集まる場所です。ひとつには大和葛城山や金剛山の登山口のため、車で来る人が多いからです。

さらに峠のすぐ近くにある竹の杜さんでも頻繁にイベントを行っており、それも夜に行われることが多いため、夜道に車を走らせて訪問する人が想像以上に多いです。そして竹の杜さんは水越峠の山の中に留まっているのではなく、里に出てきて様々な竹に関するイベントを通じて活躍しています。
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(Beyond万博inかわちながのでも紹介された)
先日もミュージシャンのサキタハヂメさんとのつながりがあることから、河内長野のアフター万博の際にもラブリーホールのホワイエで、木たまごコロコロ(木製たまごを竹の滑り台に転がして遊ぶもの)を設置するなど、積極的に活動をしています。
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このように各方面で活躍されている竹の杜さんのことを、私はかねてから気になっていました。というわけで竹の杜さんにアポを取り取材させていただくことになりました。

ちなみに現在水越峠に公共交通で行く最適な方法は、河南町からやまなみタクシーを使って青崩東で下車します。徒歩15分位山の中を歩くと、竹の杜のバンブー(bamboo)池田屋さんに到着します。
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ということで、竹の杜バンブー池田屋で、代表の池田亮さんにお話を伺いました。
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日本有数の大手飲食チェーンのスーパーバイザーだったのが脱サラへ

池田さんは東大阪に家があり、現在は千早赤阪村まで通っているのですが、元々は大手飲食業で働いていました。20歳代の最初は焼肉屋さかい、その後転職して日本有数の大手飲食チェーン「トリドール」に入ります。ちょうど丸亀製麺が立ち上がってこれから売り出すころだったそうです。
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「堺のららぽーとがオープンした時にはスーパーバイザーとして担当しました」と池田さん。これはららぽーと堺から道路を挟んだ反対側にある堺美原店のことです。他にも全国の丸亀製麺のお店と本部とのやり取りで奔走していました。

チェーンの飲食店のスーパーバイザーといえば、現場の店長のよりもさらに上に位置し、複数の店舗をまとめるだけでなく、売上管理やスタッフの教育、さらに会社の本部との連携を担う重要な任務です。

池田さんはこのまま会社勤めをしていれば、さらに出世が見込めるような位置にいながら、なぜあえて脱サラして千早の山の奥で竹を扱う仕事を始めることになったのでしょうか?
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転機が訪れたのは池田さんが45歳の時でした。ちょうどコロナ禍が始まったころです。「この時東京に転勤する辞令を受けました。ある意味良い話だったのです。ですが、また単身赴任をしなければならないばかりか何が起きるかわからない不安があったのです」と池田さん。
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すでに子どもも成長し、東大阪が生活の拠点となった以上、家族を東京には連れていけない。そしてコロナ禍という今まで経験したことのない状況に直面した時、池田さんの脳裏には「後悔のない人生を送りたい」と浮かびました。転勤し待遇が良くなったとしても、おそらく先が見えていたこともあり、「だったら一度人生をリセットしたい」と判断したのです。

「転職は考えていませんでした。自営で何かができれば」と、池田さんは退職までの1年間(※業務の引継ぎに要した時間)の間に、これから自分が進むべき道を模索します。「自分は里山が好きだ」と思った池田さんは当初、里山で古民家を手に入れて民宿のようなものができればと考えます。
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竹との出会いで方向性が決まる

(能勢にある秋鹿酒造)
「東大阪から通える範囲といえば」と、池田さんが最初に目を付けたのは千早とは正反対、北摂の能勢でした。休みの度に能勢に行き、調査と物件探しを始めました。地域に溶け込みながら物件を探すものの、どうも予算を越えるところが多く、なかなか絞り切れません。
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そのときに池田さんはたまたまある物との出会いで自らの方向性を変えることになりました。それは「竹」です。ある日、地域の人の竹を切るのを手伝った池田さんは「楽しい!」と直感するのです。

「うっそうとした竹林に対して動くことで変化が起こることがとても楽しかったのです。竹を切ると当然見た目が綺麗になりますが、そこに風が流れます。その変化の瞬間がとても楽しく感じました」と池田さん。

同時に生まれ故郷を思い出したといいます。故郷の家の近くにも竹林があったそうで、竹を切ることでその時のことを思い出しました。「竹への情を感じた時、竹で何かしたい。自分は竹で生きていく」と竹に魅せられた池田さんは、ついに竹と関わる人生を歩むことを決めたのです。
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(綾部は旧丹波国の北側にある)
古民家から竹に関することにテーマが変わった池田さんは、能勢の北にある京都の綾部に行きました。そこには竹炭で有名な竹炭工房三代目伝徳さん(外部リンク)がいたからです。

伝徳さんに会いに行き、竹炭のすばらしさを知った池田さんは、同時に日本中で竹が余っている印象を持ちました。「山にはこんなに多くの竹があるのに、うまく活用できていない。竹を広めることができれば社会貢献できるのでは」。そう考えた池田さんは、伝徳さんのもとで通いの修業をすることになりました。
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この時には池田さんに直接伺っていませんが、公式ページを見ると、伝徳さんの他、愛媛県大洲市の(株)夢大地さん、山口県宇部市の(株)サクセスアイさんとの交流を通じたことも竹炭づくりの後押しとなりました。
千早に拠点を持った理由は

さて東大阪から通える距離として能勢、そして京都の綾部で活動を続けていた池田さんが、一転して南河内の大阪唯一の村「千早赤阪村」に拠点を持つことになったのでしょうか?
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「実は最近まで南河内で知っている自治体、は富田林と河内長野だけでした」と池田さん。特に南河内郡のことはあまりよくわかっていなかったので、能勢のほうに行っていたのですが、ある人たちとの出会いが、池田さんの気持ちを南河内に向けることになりました。
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それは、河内長野石見川にある水の杜さんです。池田さんは水の杜に行き、水の杜のメンバーとの交流を深めながら、視線が少しずつ南河内に向くようになりました。「能勢での動きを続けながら南河内に行くことが少しずつ増えてきました」と池田さんが言うように、自然と南河内の人とのかかわりが増えていきます。

そんな中、池田さんは南河内の山々を見た時に良質の竹があることに気づきます。「通常日本では大きな孟宗竹(もうそうちく)が多いのですが、南河内には良質の真竹(まだけ)が多いのには驚きました」と池田さん。良質の竹が多いだけでなく、意外に都市部とも近いことに気づいたことで、気持ちが北摂から南河内に変わっていきました。

そして迎えた2022年3月に池田さんは「どうせやったらこっちでやったらええやん」と、南河内のあるところを勧められました。それが千早赤阪村でした。
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当時、道の駅ちはやあかさかを運営していたSさんは、空き家バンクの運用も行っていました。池田さんは2回目にSさんに会った時に、池田さんの本気度「竹炭のために」との思いを知り、水越峠にある現在の場所を紹介してくれたそうです。
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「ここは前のオーナーさんが鳥取に引っ越しをすることになったので空いたんです」と池田さん。管理会社やSさん任せではなく、自ら前のオーナーさんと直接話し合いをした末での物件取得となりました。
竹の杜命名の由来と竹炭

「前のオーナーさんはこの場所を『たからのもり』という名前をつけていたんです」という池田さん。「もり=杜」から竹の杜となるのは必然的だったのかもしれません。それでも池田さんはネーミングに対して当初迷いがありました。
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それを後押ししたのが、南河内に目を向けるきっかけとなった石見川の水の杜さんでした。「同じ杜なので、水の杜さんと相談して決めました」とのこと。水の杜さんとは源流フェスに参加するなどで今でも交流があるそうです。
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「ここで竹炭を作ります」と窯を案内してくださいました。竹炭を作るのには季節にもよりますが、竹を切るのに1日、竹を墨の大きさに割るのに1日かけ、それから火入れを行います。3日ほどかけて摂氏1,000℃の高温にまで上げるとのこと。

「ここまで高温になると煙がなくなります」と池田さん。その状態になった後、4、5日かけて温度を下げていきます。

ここで竹炭について改めて調べると、低温で焼いたものはタールが表面に付着して不純物が多くて割れやすく、土壌改良という用途で使われることが多いそうです。
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それに対して高温で焼くと銀色の光沢が出て、金属音がするそうです。そして目に見えない超微細な孔が無数に形成されるそうで、これは空気中のにおいや有害物質、水分を効率的に調湿、吸着する効果が高くなります。
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池田さんは「修業時代に満月の夜に竹炭を作るのが良い」と言われたそうで、今でもその教えを守り、満月の時に竹炭を作るとのこと。

また竹炭の他にも様々な竹製品があります。「本当は竹細工もといいたいところですが、そこまで手が回らない」ということで、池田さん自身が竹細工を作って販売することは基本的にはないそうです。むしろやり方を指導して、竹の良さが広まったらといいます。

例えば「竹あかり」については大阪府立花の文化園で昨年は一緒に行ったそうですが、やり方を教えたので、今年は花の文化園独自で竹あかりづくりを行ったとのこと。ちなみに竹は村内中心で取得するそうですが、それ以外の地域、数カ所でも手に入れるそうです。
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登山口のトイレ掃除と家族の反応

池田さんは、竹に関する仕事のほか地域のためにも働いています。実は水越峠近くにあるトイレは登山客が安心して登山ができるように設置してあります。そして地域の人がそのトイレを管理と掃除をしていました。
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しかし、高齢化でなかなか管理が難しくなりました。そこで池田さんは毎週1回(月曜日)に友達といっしょに代わりにトイレ掃除をしています。だからいつもきれいなトイレだったのですね。

まだ千早に拠点を構えて3年なのに、完全に地域に溶け込んでいる池田さんの姿がそこにあります。しかし、まだ生活の拠点は東大阪にあるとのこと。
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「家族はまだ怒っているかも」と、池田さんは今の行動に対して家族からは決して歓迎されていないことをつぶやきます。理由は明確で、大手チェーン店の社員として安定した給料が入っていた生活から一転して、不安定な生活となったからです。

池田さんには現在中学生のお子さんがふたりいるため、これから学費などでお金がかかるタイミングと重なったこともあります。
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「でも、妻はこの場所に関しては、いちばん最初から好意的で気に入ったようでした」。そのためにも生活基盤が安定するように頑張りたいとのこと。「まだまだギリギリですが」といいながらも、「いつか拠点を東大阪から千早に移せたら」と明るい表情で答えていました。
竹を通じて村をアピールしたい、そして竹の根のようなネットワークを

最後に池田さんに、今後の展開についてお話を伺いました。直近では東大阪市で12月21日(日)12:00〜17:00に「そなえる森-家族みんなで遊ぶフェス-」(外部リンク)を稲荷山ペットパークで行います。池田さんは防災士の資格を持っているそうで、竹で炊飯したり、ランタンや竹炭を作ったりできることをイベントを通じて教えます。
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(東大阪から見える生駒山)
災害があった時、いざという時に竹でできることを遊びながら学べる場を担当するとのこと。家族が住んでいる東大阪のイベントなので、少しでも家族の理解が得られたらとのことでした。
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また竹の杜でも12月28日(日)10:00〜17:00~イベントが行われます。「氏名が伝える『使命書』と笑顔門松づくり」(外部リンク)という年末にぴったりのイベントで、「氏名を紐解くアート書家」との異名を持つ純子堂さんとのコラボ企画が実現します。世界にひとりしか居ないあなただけの使命書を書く内容で、大切な方へのプレゼントにも最適とのこと。笑顔で新年を迎えるのに欠かせない笑顔門松も一緒に作るそうです。

また2026年3月14日には奈良県生駒市の高山竹林園で高山ま〜ぜま〜ぜふぇす(外部リンク)にも主体的に参加するとのこと。生駒市高山町は竹の町ということで、「イベントを通じて生駒山と金剛山を竹でつなげたら」と池田さんは意気込んででおられました。
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「来年は千早赤阪村村制70周年です」と池田さん。竹を通じて村の魅力発信を行いたいともいいます。いろんな人に提案して竹のすばらしさを広め、少しでも多くの人に知ってほしい、そして「地中に張り巡らされている竹の根のような広がり、ネットワークを構築したい」と、スーパーバイザー的に語る池田さん。
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最後に敷地内の竹をバックに池田さんを撮影しました。その時の笑顔は、都会のように明るすぎず、村のように明るさは控えめながらも、どこか大きな優しさを感じました。なお、池田屋さんの製品が買える場所は次の通りです。
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- 竹の杜
- 道の駅ちはやあかさか
- 竹の杜公式サイトからのオンラインショッピングです

竹の杜 bamboo池田屋(外部リンク)
住所:大阪府南河内郡千早赤阪村大字水分1282番12
TEL:0721-26-8644
営業時間:9:00~16:00(11月~2月)、9:00~18:00(3月~10月)
定休日:不定休(イベントで不在になることが多いので事前にご確認ください)
アクセス:やまなみタクシー青崩東停留所より 徒歩15分程度
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この記事を書いた人
奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。



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