【富田林市】喜志駅が見えるバス停「大深」の深い意味!そして江戸時代の大坂繁栄に貢献した加賀屋の生家も(2025年2月23日アーカイブ記事)

富田林の歴史

※アーカイブ記事なので情報は掲載当時のものです

喜志駅の西側は近鉄バスですが、東側はかつては金剛バスで、今は「金剛ふるさとバス」という愛称のついているコミュニティバスが走っていますね。

喜志駅の東口から最初のバス停は大深(おぶけ)ですが、駅が見える位置にあり、駅からとても近いのです。

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大深バス停を地図で調べると、喜志駅前バス停から240メートルほどしかなく、徒歩で3分の位置にあります。喜志駅から最初の交差点、喜志南のさらに手前にあるのです。

大深バス停から喜志駅を見ると明らかに駅舎が見えますね。何でこんな近くにバス停がと思いました。ただバス停の間が短いところはもちろん他にもあり、例えば河内長野の赤峰バス停から千代田台バス停までの距離も驚くほど近く、140メートル程度しかありません。おそらくそんな事例は全国にいくらでもあるでしょう。ところで、喜志駅と富田林駅から運行しているバスの駅の次にあるバス停の位置を示した地図を見ると、喜志駅から梅の里住宅東までの距離、富田林駅からPL本庁前までの距離はとても長いのです。また富田林駅からレインボーバスの府民センター前、富田林駅から堺筋までの距離を確認してもそれなりの長さがあり、喜志駅から大深バス停までの距離が、いかに短いかわかります。



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そんな大深バス停の「大深」の意味が気になりました。調べてみると、地名には歴史的な意味合いが強いことがわかりました。江戸時代にあった喜志五郷(平・宮・桜井・川面・大深)のひとつです。富田林市史宮津藩の喜志村相給支配(外部リンク)では次のような記述があります。



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喜志村は、大深(おぶけ)・川面(かわづら)・平(ひら)・桜井・宮の小字から成り立っていたが、本庄宮津藩領は大深・川面・平の三カ村と宮村の一部を領有し、小堀代官領は桜井と宮村の残りで構成されることになった

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ちなみに大深は現在の喜志町二丁目周辺が該当するとのこと。ただ美具久留御魂神社に宮入するだんじりは「大深」ではなく「喜志」になっており、地車小屋のある会館名も喜志会館になっています。つまり昔は大きな喜志村の中にあった大深が今は喜志の名前になっていて、場所の名残としてかつて使われていた地名「大深」の名前がバス停に残ったということですね。

そして、大深(喜志)は江戸時代の大坂繁栄に貢献した有名人が生まれた場所です。それは加賀屋甚兵衛です。なにわ大坂をつくった100人(外部リンク)の84番目に甚兵衛が紹介されており、それによれば1680年生まれの加賀屋甚兵衛は11歳の時に大坂(大阪)にある加賀屋に奉公に出ます。独立後に現在の住之江区の新田開発に専念し、1751年に西大坂最大級の加賀屋新田を作った人物です。大阪メトロ北加賀屋駅の「加賀屋」こそ、甚兵衛の新田かあったことの証と言えます。



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甚兵衛は功績を認められて苗字帯刀が許され、桜井甚兵衛を名乗ったとのこと。そして桜井町にある明尊寺(みょうそんじ)の過去帳を調べた結果、加賀屋(桜井)甚兵衛の名前が載っているそうです。ただ、なにわ大坂をつくった100人の文章の中で「現在の富田林駅近くの大深」と書いてありますが、富田林駅の近くにそんな地名が確認できませんので、「現在の喜志駅近くの大深」のことだと考えられます。

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そんな中ご縁があり、喜志地域の語り部と言える尻谷さんが「加賀屋甚兵衛」の生家と墓地を案内してくださいました。尻谷さんは農業を営んでいますが、岩手県大槌町から譲り受けたという奇跡の復興米の育成のために田んぼを貸し出して、小学生に田植えや稲刈り体験の場を提供しています。その他にも河内俄(にわか)の復興や富田林和太鼓まつりの総合プロデュースなど、地域の顔役でもあります。尻谷さんによれば、地元の霊園には力士の墓も多いとのこと。



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尻谷さんが初めて下水分社にわか連「喜楽座」で行った公演こそが、加賀屋甚兵衛です。甚兵衛は新田を開発した後、新田とすぐそばを流れる大和川との安寧と繁栄を祈願するため、郷土の美具久留御魂神社から御魂を勧請し、高砂神社と高崎神社を造営しました。

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甚兵衛の墓は大阪市住之江区の大阪南加賀屋霊園にあるそうですが、尻谷さんが言うには地元喜志の霊園に1841(天保12)年に建立した墓(右側)がに残っているとのこと。その横に150年後の1991(平成3)年に新調した石碑があり、そこには「摂州(摂津国)加賀屋新田、桜井氏」の文字が刻まれていることを記しています。

さらにすぐ近くに「建て替えられてはいるが」ということでしたが、かつて甚兵衛の生家があった場所を案内してくださいました。こういう場所の情報は地元の人でないとわからないので、貴重なお時間を頂くことができました。

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ということで、喜志駅に近い大深バス停の大深の由来を調べました。大きな旧喜志村を形成していた喜志五郷のひとつであったこと、そして江戸時代の大坂の繁栄に寄与した加賀屋(桜井)甚兵衛が生まれた地であることがわかりました。

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大深バス停

住所:大阪府富田林市喜志町3丁目
アクセス:近鉄喜志駅から徒歩3分



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この記事を書いた人

奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。

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