【南河内郡千早赤阪村】秋の村をのんびり歩く!河内長野鳩原から小吹、中津原を経て東阪まで歩いてみました

大阪狭山、南河内郡のおでかけ・散歩記事

大阪唯一の村、千早赤阪村でよく行く場所といえば、道の駅やくすのきホールがある北側のエリアと、金剛登山口のある南側のエリアがどうしても多いです。

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しかし改めて地図で見ると、東西のスポットも気になる場所が多いことに気づきました。東側には水越峠があり、西側には小吹台があります。

今回はそんな村の西側、河内長野にある鳩原から西恩寺や中津神社を経由して東阪まで歩いてみました。



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鳩原のバス停です。右の道がバス道で小深や金剛登山口に行く道で、左の道が今回歩く道になります。

バス停近くにある子安大地蔵尊の石碑です。これは紅葉で有名な西恩寺のこと。

基本は上り坂です。多少車が通る道なので、歩く際には注意しましょう。

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坂を上がっていくと開けたところに出ましたが、まだここは河内長野市鳩原です。

坂を登り切り峠のようになっていますが、よく見ると標識があります。あのあたりが千早赤阪村との境界線です。



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千早赤阪村に入っていきます。

千早赤坂村に入りました。地名は小吹になります。

HODGE x PODGE(ホッジポッジ)さんです。公式サイト(外部リンク)によると、江戸時代に建てられた古民家を改装したサイクルショップとのこと。

そのまま歩くと西恩寺の前に行けます。

引き続きまっすぐ歩いていきます。

右のほうに登り道がありますが、ここは左の道を歩きます。このあたりで地名が小吹から中津原に代わりました。

どこかで見たことのある建物と思えば、中津神社の秋祭りのときに地車が待機していた場所でした。



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10月の秋祭りの時に夜に歩いた道ですが、昼間だと雰囲気が全く異なります。

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トンネルを抜けたところです。中津神社は、画像真ん中の道を歩いていきます。

この画像では右側の道が中津神社の参道です。

中津神社の鳥居が見えます。地車は右の道から境内に入ってきました。

改めて神社の鳥居をくぐります。

お祭りの人は多くの人がいた中津神社ですが、この時は誰もいません。右手に見えるのが地車小屋で、左手に青いビニールシートらしいものが見えたあたりが獅子舞の楽屋でした。

氏子の方々が座っていた席です。祭りの時は、きれいなゴザが敷かれていましたが、普段は板の間ですね。

少し休憩させていただきました。10月のあの夜に多くの村人たちが集まって地車が暴れ、幻想的な獅子舞が行われていた場所です。しかし、あらためて訪問すると「あれは夢ではないか?」と感じるくらい、普段は広い境内の敷地だけ。ただ静けさだけを感じる場所でした。

中津神社から先に進みます。このあたりから坂がまた増えてきます。

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歩いている道が谷のようになっていて、左右の山の上に橋が2本もかかっています。

こちらは大阪府森林組合木材総合センターです。大阪府森林組合の公式ページ(外部リンク)によると、南河内樹木リサイクルセンターと木材共販所が併設してあります。

リサイクルセンターが不要な木材の持ち込みによる処分の対応を行っており、共販所は原則月2回原木市を開催しているとのこと。



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そのまま南河内フルーツロード沿いの道を歩きます。

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ここで細い道を歩きます。

このあたりは中津原の集落になっているようです。

よく見ると小さな水の流れがあります。

この川は佐備川で、中津原を源流に富田林の甘南備や佐備、板持を南北に流れてやがて石川に合流します。

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古くからの集落らしい建物です。疫病の平癒を願って中津神社が創建されたのが1432(永享4)年なので、それ以前から集落があったことが考えられます。中津原の地名の由来を調べてみると、全国の「中津」という地名と同様に、川(佐備川)の中の津(港)から来たという説があります。

また1966(昭和41)年に発行された広報ちはやあかさか創刊号(外部リンク)の中には、中津天皇こと仲哀天皇(神功皇后の夫で応神天皇の父)の御所があったという説が掲載されていました。



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いずれにしても、中津原は相当古くからの歴史があることがわかります。

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小さな地蔵堂があります。

地蔵堂を奉納した年月日が記されています。天保五年(1834年)十月吉日に奉納されたと刻んでありました。

地蔵堂の横にあった細い道を歩いていきます。

ここから上り坂になります。結構急でした。後で地図で確認すると佐備川と千早川の間にある山で、中津原と東阪との境になっている峠でした。

山を登りきると建物が見えてきました。

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ここは旧千早小学校の運動場で、今は指定緊急避難場所です。それにしても多くの学校は山の上とか人が住んでいるところより高いところにある場合が多いですね。子どもたちの体力づくりのためでしょうか?

峠から東阪に入る下り道です。

左手に紅葉を見ながら山を下りていきます。

山を下り切ったところがバス道です。



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千早赤阪村立中学校と金剛登山口を結ぶバスのルートです。

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東阪中のバス停前に到着しました。ここで終わりなのですが、このすぐ近くに気になるスポットがあるので最後に見にいきました。

こちらは、早農業協同組合倉庫で昔の農協の倉庫です。今は別の用途で使われているようです。

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現在のJAのマークではなく、昔の農協のマークがついているのがレトロ感ありますね。

ということで晩秋の千早赤か村を歩いてみました。道の駅やくすのきホール周辺や金剛登山口と違うマイナーなルートですが、自然と歴史がより深く感じられる道、高低差がそれなりにあるので、少し健脚者向けかもしれません。

鳩原から東阪への道

住所:大阪府南河内郡千早赤阪村小吹、中津原ほか
アクセス:鳩原バス停、東阪中バス停下車より徒歩

この記事を書いた人

奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。

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