南河内郡の河南町は北側に太子町、南側に千早赤阪村に挟まれた場所にあります。そして西側は富田林の東條と隣接していて農空間が広がっているのに対して、東側は奈良県との境になっている山が迫っています。そんな河南町を地図で見た時に以前からとても気になっている場所がありました。
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これは河南町の輪郭だけを取り出した白地図ですが、気になっているところを青で囲みました。南東部を見るとまるで盲腸のように細い場所があります。
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拡大しました。盲腸のように細長い場所の周りは千早赤阪村です。しかし、なぜかこの細い部分だけが河南町になっていて、そこは青崩地区と呼ばれています。青崩は「あおげ」と呼ぶそうで、河南町上河内という大字の中にある地区(字)です。河南町の前は旧河内村、その前は旧上河内村に属していました。

また画像は千早赤阪村にある水越峠手前のトイレですが、トイレの裏側から金剛山への登山道があります。そして登山道の名前は「青崩道」という名前がついてます。
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一度この盲腸のようになっている青崩を歩いてみたいという衝動にかられた私は、その機会に恵まれました。青崩は国道309号線沿いにあり、水越峠の手前まで伸びています。

こちらに水越川にかかる下之橋がありますが、この橋が河南町の青崩の先と千早赤阪村水分の境目です。
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下之橋を渡り終えると河南町上河内にある青崩です。橋の袂にやまなみタクシーの停留所があります。

青崩東(あおげひがし)です。やまなみタクシーがあるおかげで、公共交通派でもここまで来ることができるわけですね。
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バス停から国道とは別に集落に続く道があります。まずは集落から歩いてみることにしました。
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青崩の歴史を調べると、南河内郡東部教育會編 「郷土史の研究」の中にある河内村について、青崩に関する名前の由来がありました。それによると、「古老の言」として次のように記載があります。
「地名は中古此地に山崩れあり、土色青色なりし故、かく名つけいと言ふ。」
つまりある日、山が崩れた時に土の色が青色だったので、青崩という地名が誕生したとのこと。
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(河内長野の神ガ丘にある鬼の盥付近で見た赤い土)
酸化した鉄が混じっている場合に赤い土色になっているのを見たことはありますが、青い土というのは何かなと思っていたら、そういう色になることもあるそうです。それはグライ層(G層)というもので、水はけが悪く酸素が不足した土壌の場合に、鉄分が還元されて青灰色や緑灰色に変色した土の層が現れるそうです。なので青崩の地名のもとになった山崩れで青い土が出てきたというのは十分あり得る話です。
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また青崩と呼ばれる地区に人が住み始めたのは戦国時代の後柏原天皇の時代、大永年間(1521年~1528年)だという記録も見つかりました。南河内郡東部教育會編 「郷土史の研究」には次のような記載があり、上河内の本郷から青崩に移住したとあります。
青崩は今より約四百年前、後ろ柏原天皇の大永年中、谷口政治郎氏及奥の淺吉氏の先祖、大字上河内の本郷より離れて、こゝに移住せしに始まる。

ここで少し寄り道をしました。せっかくなので青崩の本当の先端部分がどうなっているのか気になったのです。
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地図を頼りに歩くと、農園てるじいと書かれている石碑があり、また葛城山方面の道、かつて金剛バスが運行していたときに存在していた葛城登山口バス停に向かう道しるべがありました。農園てるじいさんを調べると里山農業に関する活動(外部リンク)と関わりのある方のようです。
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石碑の先に最先端の場所があるようですが、その手前で農園てるじいさんの敷地内に入ってしまう様だったので引き返します。

最初の地点に戻って、青崩地区を根元に向かって歩いていきましょう。

左の一段低いところに国道があり、集落があるところは高台になっています。

のどかな散歩道を歩いていきます。
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国道の部分が山の切れ目の谷になっています。途中からは千早赤阪村になって村の中心部方向に道が続いています。

その先を見ると白いものがみえます。後でわかりましたがPLの塔です。
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左側に国道があり、並行して道が続いています。

しばらく歩くと国道との合流点に差し掛かります。

かつてこの近くに葛城登山口バス停がありました。今は平日の限られた曜日限定になりますが、やまなみタクシーでこの近くまで行くことができます。
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(画像は水越峠方面を撮影)
国道と合流しました。青崩の集落内はほとんど車が通らなくて安心な道ですが、国道は車の通行がそこそこあるので注意が必要です。
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ここで標識が見えます。

標識を拡大すると「青崩」との表記があります。
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また河南町の広報版にも青崩の文字が見え、それは上河内の中にあることを示しています。

さらに歩くと青崩地区集落センターの建物があり、そこにカナちゃんの絵が描いてあります。そして「河南町へようこそ」と書いてあります。

さてここに、階段があります。
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階段の上には石灯籠が見えます。かつて神社があったのでしょうか?
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神社があったかどうかは確認できませんでいたが、青崩にもかつて地車があったようです。もう曳行する人がいないためか、令和時代になって羽曳野西浦の子供地車として譲渡されたという情報や、かつて近くに小さな地車小屋があって小型の地車がでてきた動画などがありました。
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階段の上は藪になっています。かつてここに鎮座していた神様がいたのかもしれません。

石灯籠には「村中」と刻まれています。
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石灯籠のあるあたりが青崩の中心のようで、道路を挟んだ反対側には青崩地区集落センターがあり、その隣に青崩ちびっこ·老人憩いの広場があります。

さらに歩いていくと複数の車が止まっているのが見えますが、あそこにあるのは、モコカフェ(MOCO cafe&dogrun)さんです。
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モコカフェさんを過ぎてもう少し歩いていきます。
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所々に家があります。

やがて、上河内の分岐点を示す標識が見えてきました。標識の右側道路をまたぐように線が見えますが、細いほうが電線で、太いほうが電信線のようです。

そして柱があります。NTTと書いてあるので電信柱と思われますが、そこには「アオゲ」と書いてあります。そして下には「スイブン」の表記があります。こちらは電柱の表記でしょうか?だとすれば、水分から来ている電線になると考えられます。
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道はまだ続きますが、上河内との分岐点付近がおおよそ盲腸の付け根部分に該当するようなので、青崩散策はここで終わりにします。国道沿いの盲腸、回廊のように続く青崩は、やまなみタクシーがあるので、公共交通でも容易に行けます。ただ、集落以外は交通量の多い国道沿いのなので、これをご覧になって自分たちも歩いてみようと考えている方は十分注意しましょう。
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青崩地区
住所:大阪府南河内郡河南町上河内
アクセス:やまなみタクシー 青崩西、青崩東、青崩地区集落センター停留所下車
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この記事を書いた人
奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。



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