【大阪狭山市】金剛駅から狭山、三都、池之原、龍神社と初詣を取材しながら大阪狭山市駅まで歩いてみました

大阪狭山、南河内郡のおでかけ・散歩記事

今日は3が日の最終日ですね。その参考もかねて、昨日1月2日に大阪狭山市内にある神社に初詣に行ってきました。

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今回はバスを使わず、南海金剛駅から狭山、三都、池之原、龍神社と初詣の様子を取材しながら大阪狭山市駅まで歩いてみました。アバウトな数になりますが、総距離数は11キロ、歩数は1万5,000歩くらいでした。



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狭山神社


南海金剛駅西側のロータリーを越えたところにあるシロノサカと呼ばれている坂を下ると、狭山神社前の道に出ます。

狭山神社です。今回訪問した神社の中で、最も多くの参拝者の姿を見ました。



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天照皇大神(あまてらすおおみかみ)と素盞嗚命を主祭神とする狭山神社については以前記事にしたことがあります。詳しくはそちらをご覧ください。

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茅葺屋根になっているところが古神札納所です。ベビーカステラの屋台も出ていました。

拝殿には行列ができていました。

行列に並んで参拝します。

狭山神社の境内には、狭山堤神社などいくつかの社があり、参拝者の皆さんも各境内社に手を合わせていました。



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こちらの赤い鳥居は稲荷神社です。

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500円のキツネみくじがありました。

こちらはおみくじや授与所です。入口の左手にあります。

狭山神社の基本情報

住所:大阪府大阪狭山市半田1丁目223
アクセス:狭山神社前バス停下車、南海金剛駅から徒歩6分



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三都神社


バスに乗っていく方法もあったのですが、今回は歩いて狭山神社から三都神社を目指しました。

狭山神社から三都神社へは道を西方向に歩いていきます。およそ30分くらいで神社の手前の臨時駐車場のところに到着しました。

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臨時駐車場からさらに西方向に歩けば三都神社の入口です。

三都神社の説明です。江戸時代まで熊野三所権現と呼ばれていて、熊野にある神々を勧請(かんじょう:御霊を呼ぶ)してできた神社です。そして背後の陶器山の尾根には天野街道があります。そして境内にかつて金蔵寺という大きな寺院があったそうです。



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神社は階段の上にあります。三都神社は大阪狭山市今熊にありますが、神社に熊野の神々を祀ったことから今熊野と呼ばれるようになり、それから「今熊」という地名誕生につながったそうです。

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神社の入り口にある文殊地蔵尊にも参拝者がいました。

境内まで階段を上がってみましょう。

途中に鳥居があり、左右に門松があります。

鳥居をくぐってもう少し階段を上がると、社殿が見えてきます。

三都神社の社殿です。三都神社の三都とは昔、この地に存在した村の名前(河内国丹南郡三都村)からきているようです。また天野街道から紀州の熊野に続く道があったそうです。調べると高野街道・町石道から高野山を経由して紀伊半島を縦断する小辺路などがあります。

三都神社の祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、素盞鳴尊(すさのおのみこと)の3柱です。これは熊野三所権現(熊野本宮大社で祀られる家津美御子<けつみみこ:すさのお>、熊野速玉大社で祀られる速玉<はやたま:いざなぎ>、熊野那智大社で祀られる牟須美<ふすみ:いざなみ>)と一致しています。



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(中学生が奉納した午の絵馬)

創建は7世紀ごろとのことですが、一度兵火により焼失します。そして金蔵寺の僧だった諦観という人が、16世紀に寺の境内に熊野権現を祀り再興させたとのこと。ところが明治時代になって金蔵寺のほうが廃仏毀釈の影響で姿を消し、神社だけが残ったそうです。

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三都戎神社です。こちらで祀られている恵比寿大神は少し耳が遠いとのこと。そこで槌(つち:トンカチ)で板を叩いて願いごとを伝える必要があります。

その他にも境内社がいくつか鎮座しています。その中にはかつての金蔵寺が所蔵したと思われ、1983(昭和58)年に文化財調査の際にみつかり、鎌倉時代末期の作と判明した毘沙門天像を祀っている毘沙門天堂があります。

その他には以下の境内社があります。春日社、初辰大神、熊野三宝荒神、稲荷大神、祖霊社、吉祥水天宮です。

おみくじ授与所ですが、この時、ちょうど雪が降ってきました。

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とても寒い日でしたが、初詣の神社境内にはたき火があるところが多く、三都神社にもありましたので体が温まりました。

三都神社のたき火は結界の中にありました。

三都神社(熊野神社)の基本情報

住所:大阪府大阪狭山市今熊5丁目647
アクセス:三都神社前バス停下車、今熊バス停下車徒歩12分



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池之原神社

3番目は池之原神社です。先ほどまで雪が降っていましたが、今度は晴れました。途中大阪府道34号堺狭山線を渡って北側に向かいます。

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池之原神社がみえてきました。鎮守の森の入り口にある大きな鳥居は平成時代に建立された一の鳥居です。それとは別に地車小屋横からも入口があります。この山は「宮山・愛宕山」と呼ばれているそうで、もともとはこの山がご神体ではという説もあるようです。ただし創建や由緒に関する情報はなく、かつては熊野権現を祀る熊野神社だったそうです。

そして1907(明治40)年に、かつてこの場所にあった熊野神社が三都神社に合祀されたとあります。

しかし、合祀後も地元の人々は社地をそのままにしたそうで、1978(昭和53)年に地元の人の要望で、御霊がふたたび池之原の地に復社し、池之原神社になったととのこと。同じような事例として富田林の板茂神社があります。そのような経緯から池之原の地車は池之原神社に宮入します。

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地車小屋からスロープ状になっている道を歩きます。秋祭りの宮入りのころには多くの人でごった返しそうですが、正月2日目にもかかわらず、狭山神社や三都神社と比べて静かです。

池之原神社は熊野神社の他、こんぴら(金刀比羅)宮と天満宮も祀っているとのこと。

ここに階段があります。



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階段を上ってみましょう。

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階段を上がったところに赤い鳥居があり、神社境内になります。

左右に石灯籠がある真ん中に階段があって、上がったところに拝殿があります。ちなみに池之原は旧岩室村に属していたそうで、同じ旧岩室村にはかつて琴平神社があって同じ時期に三都神社に合祀されました。そのため熊野神社の跡地に池之原神社として復社した際に、琴平神社の神(金刀比羅)も一緒に来た可能性が考えられます。

ということで参拝しました。

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拝殿の奥に本殿が見えます。左から天満宮、金刀比羅宮、熊野神社の提灯が確認できました。

地元の要望で復社したためか、宮司ではなく神社世話人会が神社の管理を行っているようです。

池之原神社にも境内社があります。

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高森大神と戎(えびす)大神です。高森大神を調べると、大国主命の子、味須岐高彦根命(あぢみすきたかひこねのみこと)が出てきます。農耕神で稲作を日本に広めた神様とのこと。

池之原神社は、静かに初詣ができました。



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池之原神社の基本情報

住所:大阪府大阪狭山市池之原4丁目681
アクセス:池之原会館前バス停下車

龍神社

池之原神社から歩くこと10分程度で狭山池の西側に出ます。

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平成の大改修を記念した石碑の横の階段を上がって狭山池に向かいます。

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狭山池の前に来ました。すでに狭山池を守護している龍神を祀る龍神社の社が見えますが、

せっかくなので、いったん回り道をして鳥居の正面から参拝します。鳥居の後ろに小さな龍神社の社と狭山池がみえますが、その後ろを見るとちょうど大和葛城山と金剛山、そして間にある水越峠が見えます。

龍神社の変額です。

そして鳥居をくぐり改めて龍神社の社の前で参拝しました。

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さて狭山池にはこの日もいろんな人がいましたが、よく見ると凧あげをしている人が居ました。



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凧あげとはお正月らしいですね。

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狭山池の北堤から南のほうをながめると、ちょうど岩湧山が見えました。

龍神社の基本情報

住所:大阪府大阪狭山市岩室
アクセス:南海大阪狭山市駅から徒歩15分

ということで、南海金剛駅から歩いて、狭山神社、三都神社、池之原神社、龍神社と4カ所の神社を回ってお正月の大阪狭山市の初詣の風景を取材しました。

そして、大阪狭山市駅に無事に戻ってきました。お正月3が日の最終日、1月3日の初詣での参考になれば幸いです。

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この記事を書いた人

奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。

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