河内長野のミュージアムといえばふるさと歴史学習館。私は特別展が行われるタイミングでたびたび訪問しました。特別展は展示コーナーの奥にありますが、そこに至るまでの常設展はいつも同じだったので、最近は素通りすることが多かったのです。

しかし、今回は常設展が大幅に変わったという情報を得ました。そして画像にも説明がありますが、もともと大師町にあった郷土資料館と高向にあったふれあい考古館が2011年に合併してできたのがふるさと歴史学習館とのこと。南海バスに乗って向かうと「くろまろ館」とアナウンスがあります。調べるとふるさと歴史学習館の愛称が「くろまろ館」なのです。
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(リニューアル前の常設展)
確かに今までの常設展を振り返ってみると、ミュージアムというより郷土資料館という感じがしていました。
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今回、15年目の節目を迎えるタイミングで常設展をリニューアルしたそうです。

ちなみにいつも無料なのでもっと活用したいですね。
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この日は、ふるさと歴史学習館の太田館長が案内してくださり、リニューアルのポイントなどについて聞いてみました。

太田館長によれば、14年前から変わらない常設展の展示が今の状況と大きな隔たりがあるといいます。実はその間に河内長野が3つの日本遺産に登録されたことが大きいです。
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- 2019年 中世に出逢えるまち
- 2020年 女人高野
- 2020年 葛城修験

特別展ではこれまで日本遺産のテーマを取り上げていましたが、常設で日本遺産を学べるところがないという声があったとのこと。せっかく3つも日本遺産があるのに、それをどこで体系的に学べるのかそういう場所がなかったのです。
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そのようなこともあり、入口のエントランスでは、河内長野が関係する3つの日本遺産について解説をしている場所を今回設けました。
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太田館長は、河内長野に観光に来た人が日本遺産の構成要素について見られる空間を設ける場所を設置したことで、観光に来た人がより3つの「日本遺産」を感じてもらえればと仰っていました。
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そしてこちらは木屋堂(こやどう)の風景のジオラマがあります。ふるさと歴史学習館の学芸員の方々は歴史的に意義がある場所をジオラマで作り、ついにはワークショップまで行っていましたが、今回のリニューアルでジオラマの展示が増えたのも特徴です。
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ちなみに木屋堂は河内長野の「長野」のあたり。河内長野駅や長野神社の周辺で、中世にあったとのことで、長野神社も当時は「木屋堂の宮」とよばれていたそうです。
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エントランスから中に入ると入口から雰囲気が変わります。まず「市」としての河内長野の特徴について紹介があります。
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そしてこれは圧巻だと思いました。太古から現在にいたるまで、河内長野に関係する部分だけを抜粋した年表です。

この後も出てきますが、今回のリニューアルは日本遺産で登録された「中世」を特にクローズアップしています。そのため、どうしても中世よりも情報量が必然的に多くなる近世の江戸時代以降は、年表でもあえて控えめに記載しているそうです。

従来の常設展は、新しい時代から古い時代にさかのぼるような展示方法でしたが、リニューアル後は逆にしました。つまり古代から始まり、中世、近世、近代以降という展示順序になったのです。

ということで、旧石器時代から古墳時代にかけての河内長野の説明があります。
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そして、古代の河内長野の象徴といえる、くろまろ君も常駐するようになりました。道の駅がある高向出身で、聖徳太子が小野妹子を大使として派遣した遣隋使や遣新羅使。その後の遣唐使では、大使よりも格上の押使(おうし/すべつかい)としてに参加したとされる飛鳥時代の外交官、高向玄理(たかむこ の くろまろ)をモチーフとしたくろまろ君。今までいなかったのが不思議なくらいでした。
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さて、太田館長は「今回のリニューアルで中世の展示エリアを充実させました」といいます。

3つある日本遺産の中でも「中世に出逢えるまち」は、河内長野が単独で登録されています。河内長野駅前の階段に「中世マーク」がペイントされ、薬膳精進カレーや楠公めしといった中世をイメージしたお土産品があるだけに、中世をもっと理解できる空間に努めたのです。
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日本の中世はなかなかイメージがつかみにくく、私もいろいろな場で学びながら、江戸時代とは違う中世の姿があることを知りました。河内長野に観光に来る人が中世をイメージできる展示が多くあるのはとても素敵ですね。
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そして、先ほども触れましたが、中世をイメージできるようにジオラマが多く展示してあります。画像は中世の観心寺をイメージして作られています。

こちらは天野山金剛寺の中世の様子です。
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ジオラマだけではありません、中世の時代に出土したもの、その結果ふたつの寺院内では産業があり、経済も回っていたことが伝わればと太田館長は言います。
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実際に土の中から出土したものが展示してあります。中には破片をつなぎ合わせてひとつの形にしたものがあります。

こちらの甕は天野山金剛寺でかつて僧房酒「天野酒」と作る際に使っていたとされるものです。今の天野酒は西條酒造さんが醸造していますが、天野酒をお土産に買う前に展示物を見ると当時のイメージを膨らませられますね

そして寺院だけではありません。主に戦国時代に活躍したとされる烏帽子形城跡の山城のジオラマもあります。
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そのあとは近世です。近世は主に高野街道に関する展示がありました。

江戸時代には西代藩が存在し、殿様がいたことや寺ヶ池が造られて新田が開発されたこと、さらに創作物に関する説明がありました。

もちろん、ジオラマもあります。こちらは西代藩の陣屋(殿様が政務を行う城のようなもの)を模したものです。
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そしてこれは寺ヶ池水路が滝畑ダム近くからどのようにして寺ヶ池まで流れているかを示してます。

そして最後が、明治(近代)の展示物です。現在の大阪南医療センターがある場所にあった陸軍幼年学校のことや、実際に一般の家で使われていたもので寄贈を受けたものが展示してありました。
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ということですが、最後のこちらの竪穴式住居を復元したものだけはどうしても動かせる場所がなかったので、そのまま常設展の最も奥に展示していました。

常設展はここまでですが、ちょうど現在開催中の特別展についても紹介しましょう。
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さて、来年の2月1日まで「三日市北遺跡と弥生時代の河内長野」の特別展が開催中です。

特別展は、2000年前の河内長野(弥生時代)の展示を行っています。
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弥生時代と三日市北遺跡の説明があります。

また弥生時代の社会についても、血縁社会のことや土器の移動、贈与経済についての紹介もあります。

弥生時代には東大阪市の近くまで河内湖があり、その近くで造られた土器が、紀の道川(東高野街道)を通って河内長野三日市北遺跡まで来た様子が紹介されています。当時から使われていた道なんですね。
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そして生駒山で生産された土器が三日市北遺跡で出土したということで土器が展示してあります。

こちらは二上山で採れるサヌカイトや紀ノ川流域で採取される結晶片岩についての説明です。
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常設展のリニューアルとともに新しい展示物もぜひご覧になってみてはいかがでしょう。

また特に変わってはいませんが、収蔵庫の展示物も価値があります。
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これもそのままですが、外に展示してある石碑などにも注目したいところ。

移築されたものですが、貴重なものの数々なのでじっくり見てはいかがでしょう。
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ということで、ふるさと歴史学習館の通常展示ががリニューアルになったことを中心に、特別展のことやそのほかの展示についても紹介しました。今までついつい通り過ぎていた常設展が、日本遺産を意識できる学べる場所となったことはとても有意義な気がしました。
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ふるさと歴史学習館
住所:大阪府河内長野市高向2230-5
TEL:0721-64-1560
開館時間:9:00~17:00
定休日:月曜日
アクセス:道の駅奥河内くろまろの郷バス停から徒歩8分、下高向バス停から徒歩15分
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この記事を書いた人
奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。



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