※アーカイブ記事なので情報は掲載当時のものです
古墳が多い富田林市ですが、羽曳野丘陵の東側、富田林の街並みや石川方面を見下ろす位置にも多くの古墳の痕跡が残っています。
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しかし、その中でも津々山台にある廿山(つづやま)北古墳は、特殊な部類かもしれません。なぜならば古墳を整備して、津々山台2号公園になっているからです。というわけで津々山台2号公園に行き、古墳の上から石川方面を眺めてみました。

津々山台2号公園の前に来ました。元々古墳だったところが公園になっているだけあって、小さな丘のように盛り上がっています。また芝生になっていてピクニックにも最適ですね。
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階段で丘の上に登れるようになっています。
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というわけで登ってみましょう。古墳が天皇陵に比定されているところはもちろんのこと、多くの古墳は近づけても上まで行けるところはそう多くありません。そういう意味でも、古墳が公園になっている津々山台2号公園は貴重ですね。
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公園として整備されているので、両端が芝生に覆われています。

この日は天気がたいへん良かったので、シートのようなものを持ってきてしばらく休憩すればよかったと少し後悔したほど。
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木々が高いところは日陰になっています。遊歩道に従って歩いていきましょう。
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遊歩道として歩けるところよりもさらに高いところは、恐らく整備される前の状況が残っているように見えます。
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やがてここが古墳であることを示す表示板がありました。
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こちらが廿山北古墳の説明版です。説明によると、ここから700メートル北東にある宮林古墳の状況から古墳時代前期(4世紀後半)のに作られた可能性(推測の域を出ていない)がある古墳です。
一辺が32メートルの方墳。高さは7メートルほどあるそうで、墳丘に段がある二段築成の方墳です。
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埴輪(はにわ)や葺石(ふきいし:墳丘の崩壊を防ぐために敷き詰める石)などの確認も出来ていないそうで、内部構造や出土物についても不明とのこと。
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左側に古墳の墳丘の測量結果と公園として整備された後の現況についての平面図が載せてあります。こういうのがあるとわかりやすいですね。
公園に整備される前は周辺に灌漑用のため池があったそうで、それがかつての古墳の周りをかこっていた周濠ではとの推測が書かれています。
埋葬者についても明確にはわからないそうですが、現在の富田林市南部地域に勢力を持た豪族の墳墓と考えられているそうです。
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ということで、この地域の豪族の主は、石川とその先に見える金剛山や大和葛城山が見えるこの位置に墓をと思ったのかもしれません。今は住宅地となって回りに住宅があるので、石川は見えませんがその先にあるふたつの山の姿は、はっきりと見えます。

余談ですが、眺める角度を変えると、PLの塔(大平和祈念塔)の姿も大きく見えました。昔の豪族のお墓が、今は富田林の絶景が愉しめる公園になっている。まさに歴史の流れを感じます。
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廿山台北古墳(津々山台2号公園)
住所:大阪府富田林市津々山台3丁目3−8
アクセス:近鉄富田林駅、南海金剛駅からバス 津々山台二丁目バス停から徒歩5分
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この記事を書いた人
奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような唯一無二の文章執筆、情報を発信しています。



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