【河内長野市】鉄道のレールには第二の人生があった!千代田駅のホームで活躍中のレールをチェックしました(2022年11月21日アーカイブ記事)
※アーカイブ記事なので情報は掲載当時のものです
普段何気なく使っている電車のホームですが、よく見て調べていると実は歴史やいきさつがあることがわかります。今回は意外なところから南海千代田駅のホームの柱にも意外な歴史があることを知りました。

それは、先月3年ぶりに開催された南海電車まつりです。車両など、メジャーな展示が人気ですが、鉄道ファンなら興味がそそられるような、ややマイナーな展示もあります。
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その中のひとつが古レール展示で、ここである事実を初めて知ることになります。

このように南海電車で使われていたレールの一部が展示されていて、それがどこのものなのかなど、年代などが事細かく書かれています。
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その中で、こちらのレールが気になりました。英国のレール製造会社ボルコウ・ボーンで1897年に作られたとのことですが、気になったのはいちばん右に貼っているシールです。
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ここに千代田駅1番線2-2との表記があります。千代田駅と関係があるレールとのことのようですね。かつて千代田駅の前に敷かれていたレールでしょうか?
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もうひとつあります。こちらも千代田駅1番線で2-3とありますね。
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しかしよく見るとレールにしては少し形が曲がっています。これはどういうことでしょうか?
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答えがこちらにありました。これは駅前のレールではなく、駅の柱に使っていたというのです。レールは役目が終われば屑鉄とか、溶かして形を変えた別の用途なると勝手に思い込んでいましたが、それだけではなかったのですね。
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情報によると、2012年(平成24)年にバリアフリーの一環としてエレベータを設置するために撤去したものなのだそうです。
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(かつて富田林市内の幼稚園で第二の人生を歩んだ大阪市電の車両)
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鉄道車両であれば、画像のように第二の人生として博物館に展示されたり、幼稚園などの博物館とは別のところでまったく別の用途で使われたりすることはありますが、レールも第二の人生を歩んでいたとは驚きました。

古レール展示での紹介によると、このようなレールの柱はかつて鋼材が貴重だった時代に使われたとあります。100年以上前に作られたレールの柱なので、今は別の意味で貴重なんですね。
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ちなみにレールの寿命は20年程度とのこと。ということはレール時代よりも駅の柱時代の方が寿命が長いことになります。

では、バリアフリー化をして一部の柱が撤去されたとはいえ、まだ元レールだった柱が残っているはずだということで、千代田駅の1番ホームに来てみました。
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このように塗装の色は違いますが、写真にあった通り、レールと思われる柱があります。
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私もまったく意識していませんでしたが、こうやって情報を知って見ると、確かにレールの形をしていますね。

こちらが今千代田駅のホームの前にある現役のレールです。見比べると確かに形が似ています。

こちらがバリアフリー化でできたエレベーターです。エレベーターの周辺は同じ鉄の柱でも明らかに違うもの。
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千代田駅の歴史を振り返ると、1938(昭和13)年に、この場所に大阪陸軍幼年学校(現:大阪南医療センター)が移転ししたので、滝谷駅と長野駅(現:河内長野駅)の間に新設されたそうです。
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その後、1989(平成元)年に、駅舎を橋上(2階)化して駅西側にバスターミナルが整備されましたが、ホーム自体はそのまま。レールが1897年に作られたところを見ると、それから20年ほど現役のレールとして利用してから駅の柱にしたとなります。
つまり千代田駅が設置された時の柱が現役で残っていると考えられますね。

千代田駅もそうですが、バリアフリー化工事や駅の高架工事などで失われつつあるとのこと。千代田駅の残された古レール柱は、今となっては非常に貴重なわけです。
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かつて鉄道車両の運行を快適にするために作られた縁の下の力持ちと言える線路が、その役目を終えても駅の柱として今度は電車を待つ乗客を快適にするという役目を果たしていたというのは、何とも素敵だと思いました。
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また電車まつりのような展示会が無ければ気づくことが無かった、第二の人生を歩んでいる線路たちを眺めていると、今もまだ縁の下の力持ちなのかなという気がしました。
南海千代田駅一番ホーム
住所:大阪府河内長野市木戸1丁目1
アクセス:南海千代田駅直結
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この記事を書いた人
奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような情報を発信しています。