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【南河内郡千早赤阪村】三つの自治体から地車がそろい踏み!南河内最大級、建水分神社御旅所の宮入

河内長野と狭山の秋祭りは終わりましたが、まだ富田林の一部や南河内郡の秋祭りはこれからで、この週末に行われます。

(美具久留御魂神社の公式ーページに当日のスケジュールが紹介されています)

例えば、喜志にある下水分こと美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ)への宮入(外部リンク)が19日日曜日に行われ、伝統的方法で奉納されるな河内俄(にわか)も奉納されます。その他にも18日土曜日には、佐備の佐備神社や河南町にある一須賀神社でも宮入りが行われる予定です。

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そして、千早赤阪村の上水分こと建水分神社への宮入も18日土曜日にに行われるのですが、これは千早赤阪村だけでなく、河南町や富田林からも宮入する地車があるため、南河内最大級と呼ばれています。とても気になり、昨年見てきましたので、その様子を紹介しましょう。ちなみに画像は当日の富田林駅ですが、駅前にも地車が曳行されていました。

富田林駅からバスで現場に向かう前方にも地車が出ていました。

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ちなみに富田林駅と喜志駅については18日、19日の両日の午後6時以降になるとバスの乗り場が変わるので注意しましょう。

喜志駅では試験曳の日(金曜日)も含めて3日間がそうなるそうです。

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さて注意したいのは宮入が行われるのは、建水分神社そのものの境内ではなく、神社の御旅所(おたびしょ)、通称:比叡の前(ひえのまえ)である点です。千早赤阪村(外部リンク)によると、比叡の前は御旅所北古墳・御旅所古墳があるところで、出土資料が郷土資料館で見学できるとのこと。

そのためバスで向かう場合の最寄のバス停は森屋バス停もしくは川野辺バス停が便利です。


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今回は川野辺バス停から降りて歩いていくと、普段は何もない御旅所の周りには多くの的屋さんの屋台、そしていろんな町の法被を着用した人たちが集まっていました。

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美味しそうな多くの的屋さんが集まっています。

これは村の秋祭りそのものの雰囲気ですね。

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そして順番に地車が宮入りしていきます。20近くとされる地車が集結するので、南河内最大級と呼ばれています。

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少し動画を撮りました。「まち」の地車と比べて、村に集まる地車は素朴な雰囲気です。曳歌もソーラン節など民謡を歌っていました。

建水分神社(公式ページ)によると次の順番で宮入が行われるとのこと。

①水分 ②森屋 ③川野辺 ④二河原辺 ⑤桐山 ⑥芹生谷 ⑦中 ⑧神山 ⑨寛弘寺 ⑩白木 ⑪長坂 ⑫今堂 ⑬南別井 ⑭北別井 ⑮寺田 ⑯南加納 ⑰北加納 ⑱東板持⑲下河内

(中の地車)

宮入りにも順序が決められているそうで、原則的に「水上順」となっており、これは神社を起点に川上から川下へと決められているそうです。所有地区の諸事情で地車曳行自体を差控える地区もあるものの、ここ数年の宮入り台数は18台前後とのこと。


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水分、森屋、川野辺、二河原辺、桐山、芹生谷は、地元千早赤阪村の地車ですが、中、神山、寛弘寺、白木、長坂、今堂、寺田、南加納、北加納、下河内は河南町からの地車、南別井、北別井、東板持は富田林からの地車が宮入りしています。つまり3つの自治体から集結しているわけですね。

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(神山の地車)

多くの地車が建水分神社に宮入りするのは、明治時代の神社整理が影響していると考えられます。明治維新の後、明治新政府は神社仏閣に介入しました。有名なのは神仏分離令(廃仏毀釈)で多くの仏教寺院が廃されましたが、同時に神社に対しても合祀を進めてある程度まとまった単位にしようとしました。


1906(明治39)年に神社合祀令が出され、多くの神社が合祀されて統合されていきました。大阪府では8割もの神社が消失したともされており、南河内地域を歩いて歴史を確認すると、本当に多くの神社が廃されてひとつの神社に合祀されていることがわかります。

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(寛弘寺の地車)

千早赤阪村にある建水分神社にも多くの周辺の神社が合祀されました。合祀される前の氏神が建水分神社に祀られていることから建水分神社に宮入するため、今のように多くの地車が集結する結果となりました。

(白木の地車)

ただ合祀されたのち、分離した例もあります。富田林市史(外部リンク)によれば、西板持にある板茂神社は1907(明治40)年に建水分神社に合祀されました。しかし納得できない氏子がいたようで、氏子同士の争いなどがあり、戦後になって元に戻ったそうです。

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(西板持の地車は建水分神社には宮入りせずに板茂神社へ)

そして西板持の地車は板茂神社に同じ日に宮入しています。仮に分離せずに合祀したままなら、西板持も建水分神社に宮入りしていたと思われます。

(長坂の地車)

ただし、大阪府神社庁(外部リンク)を見る限り、板茂神社の問い合わせ先は建水分神社になっており、完全に関係が切れたわけではないようです。

(桐山の地車)

昨年はあいにくの雨混じりの天気だったので、地車の上にシートがかけられていたのが多くあって残念でした。今年は晴れるとよいですね。

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御旅所の正面には鳥居があり、その奥に神輿が見えます。建水分神社で祀られている神々が鎮座し、宮入する地車の様子を見ています。

こちらは川野辺の地車です。宮入りしている御旅所の近くにある地区ですね。


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二河原辺(にがらべ)の地車です。千早赤阪村の地名で、道の駅ちはやあかさかも二河原辺にあります。

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順番に宮入りするので待機している地車も多くありました。

こちらは今堂の地車です。河南町にあり河南町役場の南側に今堂の集会所やちびっこ・老人憩いの広場があります。

「南」と一文字の法被姿の人がいますが、これは富田林の南別井です。


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そして、北別井です。私は次の予定があったのでこの後引き上げたのですが、これからが本番で当日は次の予定で行われています。

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(寺田の地車)

  • 10:30 神輿修祓式(みこししゅばつしき:神輿を使う前に行われる儀式で邪気や汚れを祓い清めます)
  • 11:00 神輿を建水分神社の本社から御旅所まで渡御
  • 11:30 御旅所へ各地車が宮入り
  •    地車が全て参集後に祭典、にわか奉納が行われます
  •    地車が宮出して神輿も御旅所から建水分神社の本社に還ります

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建水分神社のページで過去の画像を見る限り、夜まで行われる見込みなので、昼間なのに地車の中にはすでに提灯がかかげられていたものもあったようです。

帰り道、東板持の地車が向かってきました、この後下河内の地車があるので、本当に宮入りするだけでも時間がかかる一大秋祭り、夜まで続く理由がうなづけます。


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建水分神社御旅所(比叡の前)

住所:大阪府南河内郡千早赤阪村水分
アクセス:森屋、川野辺バス停下車徒歩

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この記事を書いた人

奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような情報を発信しています。

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