【南河内郡千早赤阪村】10月25日開催の楠公無料講演会を前に、正成を祀る水分神社摂社南木神社をご紹介
千早赤阪村を中心とする南河内地域は、中世南北朝時代ゆかりのものが今も数多く残っていますね。さらに戦前は、大楠公こと楠木正成が天皇に忠誠をつくした忠臣ということで大いに称えられ、「楠公信仰」というべき状況でした。そのため楠妣庵(なんぴあん)観音寺や楠公学問橋(南海高野線三日市駅前の陸橋)のように、中世だけでなく大正から昭和初期にかけて建てられたものも数多く残っています。そして10月25日には、木正成親子にまつわる恒例の無料講演会が行われます。
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今回で7弾目となる「甦れ 大楠公親子の絆 大河へ」講演会が10月25日土曜日にすばるホールの小ホールで定員200名で行われ、参加費は無料です。出演者は以下のように各分野の専門家が集まって行われます。司会は元宝塚歌劇団84期生宙組の風莉じん (本多千夜子)さんです。

(出演者とプロフィール:大阪府宅地建物取引業協会南大阪支部提供)
- 衆議院議員 島田智明
- 天野山金剛寺座主 堀智真
- 日本経済大学 准教授 久野潤
- 上方講談師 旭堂南歩
- 詩道楠水吟詠会総師範 松葉水緑/尾﨑水紅

(昨年の様子)
講演会の主旨は楠木正成、正行の親子を主人公とした大河ドラマを誘致する為の啓もう活動で、楠木正成関連で様々な視点からの講演や詩吟の披露など、とても有意義な講演会。私も何度か参加しました。
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(昨年の様子)
以前、こちらの講演会で聞いた話では、大河ドラマになるタイミングが「○○周年」などと、取り上げる出来事に対してキリが良いタイミングと聞いたことがあります。

(昨年の様子)
だとすれば、鎌倉幕府滅亡700年後の2033年以降かもしれないので、少し先になるかもしれません。たとえそうだとしてもこのような講演会を通じて粘り強く活動を続けることが大河ドラマ実現への近道と考えられますので、地域の取り組みとしては大事なんだと感じます。
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講演会のテーマとなる楠木正成は千早赤阪村で生まれたとされるので、講演が始まる前に正成ゆかりの地に足を運ぶと、より講演の内容がわかりやすいと考えられます。

その中でも南木神社(なぎじんじゃ)への参拝がおすすめです。場所は金剛山の鎮守でもある建水分神社の境内にある摂社(せっしゃ:本社に付属し、その祭神と縁故の深い神を祭った神社)ですが、正成を祀る神社として全国的に有名な神戸・湊川神社よりも遥かに古くから正成を祀っています。
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画像のように建水分神社の入り口から上がったところの真正面に南木神社が鎮座しているので、一瞬南木神社が建水分神社と間違えてしまうほど立派な社殿です。

南木神社の創建は1337(延元2/建武4)年です。建水分神社の公式ページ(外部リンク)によると、これは正成が戦死した湊川の戦いの翌年です。楠木氏の氏神である建水分神社の境内に正成を主祭神とする神社を建てたのです。その際に南朝2代目の後村上天皇から「楠木」の名字をもじった南木明神(なぎみょうじん)という神号を賜ったとのこと。
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(陸軍大将・荒木貞夫男爵の筆による由緒標)
江戸時代、それまで南木神社は建水分神社本殿裏に祀られていましたが、老朽化で倒れ掛かってしまったので、当時この地を収めていた領主・石川総茂(いしかわ ふさしげ)により、1697(元禄10)年に現在の社地に遷座します。総茂もまた、正成に対する崇敬の念があったからこそ実現しました。
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1934(昭和9)年に室戸台風が襲来し、境内の老松が倒れたため社殿が崩壊してしまいます。幸いにも御神体は無傷だったのですが、再建をする際に、大楠公への信仰が強い時代ということも重なり、格式の高い神社の建築方法(官幣社建築)に準じて設計再造営されることになりました。これは神社境内に鎮座する摂社としては極めて異例の対応でした。
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(拝殿の手前にある鳥居には昭和13年8月の文字が)
こうして1940(昭和15)年竣功(しゅんこう:神社仏閣の建築物)したのが現在の社殿です。この年は皇紀2600年と重なったこともあり、4月12日の正遷座祭では、地元の南河内と堺の神職25名が集まり、さらに神社総代、氏子30名が加わって奉仕したそうです。
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その後、2004(平成16)年11月にはに建水分神社御創祀2100年記念事業一環として行われていた南木神社社殿改修工事が完工しました。

それにしても立派な社殿なので、建水分神社の社殿と間違えても頷けてしまいます。ちなみに正面に見えるのは本殿の手前にある拝殿及び幣殿(へいでん:拝殿と本殿をつなぐ建築物)で、国の登録有形文化財(外部リンク)です。
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左側には口が閉じている狛犬がいます。

右側の口を開けているほうは厳密には「獅子(しし)」というそうです。

拝殿の上には、楠木氏の菊水紋が見えます。

ということで参拝しました。拝殿の扉が開いていて遠くに本殿が見えます。
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拡大しました。幣殿を通じた先にある建物が南木神社本殿で国登録有形文化財、一間社春日造銅板葺(外部リンク)です。中には御神体として木造楠木正成坐像が鎮座しています。

ということで南木神社を紹介しました。建水分神社本殿と見間違えるほど立派な境内摂社、主祭神の楠木正成が戦前に、天皇への忠臣として大いに称えらえたことでこのような立派な社殿が建てられました。
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(今年の式次第:大阪府宅地建物取引業協会南大阪支部提供)
講演会の主催者、大阪府宅地建物取引業協会南大阪支部 東門幸一支部長は、千早赤阪村小吹で会社を経営されていて、金剛山に日々登山されている方です。そして東門支部長は楠公に関する講演会をする理由として次の2点を挙げました。
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- 今の世相(政治、生き方、親子の愛情)の問題点を考えると、地元出身の有名な中世の武将のことを知る事が大事なのではと考えた。
- 現在NHK大河ドラマ化誘致として楠木正成を取り上げているので、その点について協力したいと考えた。

地域を盛り上げる無料の講演会なので、お時間のある方はぜひ参加してみてはいかがでしょう。もし時間に余裕があれば、その前に千早赤阪村の建水分神社に行かれ、水分神社の本殿に参拝の後、もっとも早く楠木正成を祀った南木神社にも参拝してみてください。そうすれば正成が活躍した中世・南北朝時代に思いをはせながらその時を過ごせば、後日講演会の内容がさらに身近に感じられると感がられるからです。

南木神社(建水分神社摂社)(外部リンク)
住所:大阪府南河内郡千早赤阪村水分357
アクセス:近鉄富田林駅からバス 水分バス停下車徒歩5分、千早赤阪役場前バス停下車徒歩20分
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この記事を書いた人
奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような情報を発信しています。