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【大阪狭山市】ニョロっと細長すぎる!狭山駅南、池尻自由丘にある池には何がある?実際に歩いてみました

すでにご存知の方も多いと思いますが10月1日から31日まで大阪狭山市の循環バス(さやりんバス)が運賃無料となります。今回はそんな無料期間の市内散歩にもおすすめの話題です。

狭山池は別格としても、大阪狭山市にはたくさんため池がありますね。

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いくつかあるため池の中で気になったのが、赤い丸で囲った池です。狭山池の北側に副池があり、そこにはオアシス公園があったことは以前にご紹介しましたが、その副池の北にもうひとつ小さな池があります。それも「ニョロっと」という言葉が似合いそうな細長い形をしています。ニョロっとした池は南海狭山駅と副池の間、池尻自由丘にあります。

地名の池尻は古くからある地名で、かつては池尻村でした。狭山池の尻という意味があるように感じますので、狭山池の頭は南のほうと考えられたのかもしれません。そして大阪狭山の歴史(外部リンク)によると、池尻村には南北朝時代に池尻城があり、1352(正平2)年には池尻合戦が行われ楠木正成の子正行が足利軍と合戦を行ったという記録があります。

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そして安土桃山時代の1594(文禄3)年に池尻村は後北条氏の領地になり、河内狭山藩に引き継がれました。1889(明治22)年に合併して旧狭山村になったのち、1942(昭和17)年に自由が丘住宅分譲開始という記録があります。これが現在の池尻自由丘という地名につながったようです。戦後数多く作られたニュータウンではなく、戦時中に分譲された住宅地だったんですね。

池の形がとても気になったので北側から南に向かって歩いてみることにしました。池に流れる小さな流れ沿いに細い道があり、住宅地同士の隙間にある道を歩いていくと、例の池の北側に行けました。もちろんため池の中は立ち入り禁止なので、柵の外から池の周りを歩いてみましょう。画像は柵越しから池の様子を眺めます。

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南方向に歩いていきます。地図でもわかるように川のように細長いのが池の特徴です。

池の前の通路は、人だけが歩けるほど細いです。

途中で今まで歩いた道を振り返りました。

途中ですが、ここから池沿いには道がないので、いったん池の前から離れます。

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しばらく池から離れた道を歩きました。途中で池尻中一丁目北のバス停がありました。

再び池の前に来ました。ただこの辺りに来ると、草が水面上から顔を出していいて、浅瀬になっているようにも見えます。

上の画像は金網越しに撮影しました。実は地図で見ると橋が架かっているのかと思いましたが、実際には池がここで分断されていました。

大阪狭山市の地形図で池の名前を確認すると、実はひとつに見えてふたつの池「新池」「中池」で構成されていることがわかりました。間の茶色いのが橋ではなく堤防敷で、堤防敷を境に池は別々になっていたのです。

そしてこの分断しているところは堤防敷であると、水利組合の看板がありました。

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堤防敷から北側にある新池を見ています。

では、反対側(南側)はどうなっているのでしょうか。南側には中池があるはずですが、北側同様に堤防敷なので駐車禁止する旨の看板がありました。

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反対側の中池です。地図上ではひとつの池に見えましたが、北側の新池とははまったく雰囲気が異なっています。草木に覆われていました。

中池沿いには道がないので、外側の道を歩いて南側に出てきました。ここも堤防敷で、中池と南側を区切っています。堤防敷から中池を見ると、先ほどの新池との境とは雰囲気が異なり、かなり開けています。

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では、中池の反対側、南側はどうなっているのでしょうか?

地図上ではまだ池があるようになっているのですが、実際には南側の小さな池は埋め立てらえており、現在は複数の住宅が建っていました。つまり実際には上記の図のように新池と中池だけが残っていて、中池の南側には池はありません。

ということでニョロっとした不思議な形をした池を歩いてみました。ひとつの池のように見えたのですが、実は橋の正体は池をさえぎる堤で、新池と中池のふたつで構成されていました。そして南の先端部分はすでに埋め立てられていたのです。以上地図ではわからず、実際に歩いてみてわかったことです。

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さて10月からのバス無料ですが、私は前回5月の時に利用しました。痒いところに手が届くようなバス網の乗り放題は秋の行楽シーズンには最適です。ぜひ今回の池の話題ように実際にバスに乗って市内を回って新しい発見を探してみてはいかがでしょう。

新池と中池

住所:大阪府大阪狭山市池尻自由丘
アクセス:南海狭山駅から徒歩

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この記事を書いた人

奥河内から情報発信
大阪府河内長野市在住の地域ライター・文筆家。2021年に縁もゆかりもない河内長野に移住し「よそ者」の立場で地元の魅力・町が元気になるような情報を発信しています。

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